第八話 模擬戦の一幕


 師匠から魔法を習うようになってから一年が経った。

 あれから俺の方も様々な魔法を覚えていき、日課となった魔力の上限を増やす訓練も続けてきたこともあって、以前に比べれば魔力量は着実に増えてきている。


 そして今、俺たちが何をしているのかというと………


「ほらっ、今から撃つからね! しっかり守りなよ!」

「てかげんしてくださいよ! 【水牢すいろう】!」


 庭に響き渡る俺の叫び声と共に繰り出されてくる火球の数々が、それを物語っている。

 俺は水属性魔法で自分を包み込むように周囲を水で埋め尽くし、襲いかかってくる炎から身を守る。


 本来、【水牢すいろう】は敵の逃げ場を失わせて拘束するために作った魔法だが、こうして自分の周囲を固めてしまえば防御にも転用できる。

 その分機動力が失われてしまうので、使いどころは見極めなければいけないが……今はその時だろう。


 現在師匠と実践しているのは模擬戦形式の特訓であり、内容としては向こうが撃ちだしてくる攻撃をひたすらに耐えるという、シンプルながらそれゆえにきついものだった。

 何しろあの人、俺は周辺を隙間なく水で囲っているというのに、それをものともせずに炎の球を突っ込ませてくるんだ。


 しかも、通常なら水は火に弱いというのが常識のはずなのに、それを嘲笑うかのように威力を一切減衰させることなくこの守りを突破させてくるのだからやっていられない。

 …明らかに、三歳児相手にやる内容ではないだろ!


 だが、そんな俺の心の声を無視して師匠は攻撃を続けてくる。

 息つく間もなく飛んでくる炎の球に対して、俺は対処のしようがないものは回避に徹しながら、比較的威力の低いものは渾身の【水球ウォーターボール】を叩き込んで迎撃する。


(…水の守りも突破してきたのには驚いたけど、防ぎようはある。師匠もそこまで本気でやってるわけじゃなさそうだし、それが唯一の救いかね)


 こちらに向かってくる魔法を耐えしのぎながら、思考を続ける。

 これが訓練ということもあってか向こうも全力を出しているわけではないようだし、ギリギリ俺が対処できるレベルまで難易度を落としてくれているのだろう。


 というか、そうでなければこの勝負なんて一瞬で決着はついている。

 一度だけ師匠に「ほんきでやってください!」なんて言ったことがあったが、そのあまりの実力差から本気で後悔したことは記憶に新しい。


 自身の身の丈を遥かに超える炎を繰り出しながら、まるでドラゴンの息吹を思わせるかのような圧倒的な圧力を誇る魔法の数々───。

 まだまだ自分では届いていないことは分かり切っていたことだったが、あれほどの高みにあの人が立っているとは想像すらできていなかった。


 …だがまぁ、悪いことばかりではない。

 師匠の立っている場所。あの強さを見れば、その彼我の距離に気が遠くなりそうなものだが……決してたどり着けない領域でもないことは理解できた。


 ならば、今の俺が目指すことは師匠に一撃を入れられるようになることであり、そのためにもこうして日夜特訓に励んでいるというわけだ。


(にしても……弾幕の数が多すぎる…! これじゃ耐えるのもギリギリ……ッ!!)


 必死に周辺の魔力の流れを読み取りながら、次はどこから火球が来るのかを想定して行動する。

 これもまた努力の末に身に着けた技術であり、一年前に師匠に明かした俺の魔力を視認できるという能力を使って、相手の魔力の流れを見切っているのだ。


 修行を続ける中で分かってきたことだが、魔法を発動させるとき、どうやら人とその魔法の間では魔力の回路のようなものが構築されているようだった。

 それに加えて、魔法の軌道もまたそれを通して組み上げられているようで、それを認識すれば軌道を事前に見破れるのではないかと考えたのだ。


 そして、その目論見は大当たり。

 限界まで集中して魔法を観察してみれば、非常に小さなものではあるが糸にも似たような魔力の残滓が空中に浮かび上がっているのが見えてくる。


 それが沿うように設置された場所を避けていれば、俺に攻撃が当てられることはない……はずなんだけど。

 これもまた師匠の凄まじさを痛感するが、あの人は魔力の残滓が見えたと思うと同時に魔法が飛んでくるんだ。


 …どれだけ魔法発動の過程を効率化すればそんなことができるのか不明だが、少なくともはっきりしているのはこの戦法が師匠には通じないということだけだ。


(ほんと…頼りがいのある師匠だよ!)


 頭の中で文句にも似た敬意を抱けば、一層激しくなってきた炎の応酬に対処が追い付かなくなってきた。

 次第に追い詰められていくような、じわじわと首を絞められていくような感覚に焦りが蓄積し……を見逃してしまった。


(…っ! しまっ!?)


 俺の死角。対応に手一杯になっていた意識の空白ともなっていた真後ろの背中。

 その隙間に、これまたいやらしいタイミングで撃ち込まれてきた炎だが、これは位置的に回避できない。


 では撃ち落とすか………そう思って魔法を発動させようとするが、すぐにそれも不可能だと悟る。

 これは明らかに、今の俺の実力では押し負けてしまう火力が込められている。

 対処の選択肢は……ゼロだ。


(…また負け、か)


 そうして今回も敗北を悟り、炎が俺の背中にぶつかる……直前。

 ボシュッ! という音と共に炎は消滅し、まるで数秒前までは何も存在していなかったかのような空気を取り戻していた。


 内心で溜め息を漏らしながらも、俺の方も水の檻を解除していけば、そこには満面の笑みを浮かべた師匠が悠々と立っている。


「今日も私の勝ちだね! いやー、アクトの成長が見れて嬉しいよ!」

「…どのくちがいってるんですか」


 その美しい赤髪をたなびかせながら、模擬戦の余韻に浸っている師匠。

 俺の成長が見れて嬉しいなんて言っているが、どういうわけかこの人も出会った時と比べれば確実に強くなっていっているので、いつ追いつけるのかも怪しくなってきそうだった。


 そんな意図も込めて言葉を返せば、師匠は欠片も気にした様子がない。


「またおれのまけですね……くやしいですけど」

「そりゃあ私だって、まだまだアクトに負けるわけにはいかないからね。力は抑えてるけど、全力で勝たせてもらうよ!」

「…いつかかってみせるので」

「いいね! 楽しみに待ってるよ!」


 師匠との模擬戦では、得るものが多い。

 さすがに大怪我を負うわけにはいかないので、致命傷になりそうなものはぶつかる直前に消してくれたりもするが、そうと分かっていても油断すれば刈り取られると錯覚してしまいそうになるあの魔法の応酬は、俺の実力を伸ばすのにももってこいだった。


 実際、苦労の甲斐もあってこの一年間でかなり魔法を使えるようになってきたし、魔力量の問題で使えないものなんかもあったりするが、それも時間をかけて保有魔力を増やしていけば解決できるだろう。

 …だけど、目下の問題はやっぱり魔力の消費量だな。


 可能な限り最低限の魔力で最大限の効果を生みだせるように工夫はしているが、それでも長期戦になれば俺の魔力なんてすぐに尽きてしまう。

 こればっかりはどうしようもないことは理解してるけど、どうにかならないかと考えてしまうのは仕方のないことだろう。


「今日は大分持った方だね。どうする? もう一回やる?」

「…いえ、このあとはべんきょうもあるので、このあたりで」

「そっかー。なら、今回はここまでだね」


 俺が三歳になってから、いつもの魔法の訓練に加えて勉強の時間も付けられるようになった。

 年齢を考えれば早くないかとも思うが、貴族という立場ならば特段おかしなことでもないのだろう。


 まだ子供ということもあって、一日の中で一時間だけの軽い授業のようなものだし、そこまで苦でもなかった。

 教わるのはこの国の歴史だったり道徳だったりと様々だが、こういったことが後に身を結んでくれるだろう。


「なら、最後にセシルたちに挨拶だけしていこうかな。何も言わずに帰るのもあれだしね」


 師匠が俺の魔法の特訓のために屋敷にやってくるのは、およそ三日に一回のペースだ。

 なぜおよそなのかと言うと……師匠の奔放な性格のせいで、向こうの気分次第で来るか来ないかが決まってしまうからだ。


 もちろんこのペースも絶対のものでも何でもなく、気が向いた時には連日でやってくる時だってあるし、数日空けてから来るパターンもある。

 こちらとしてはしっかり日程を決めてくれた方がありがたいんだが……この人にそんなことを言ったところで無駄だ。それはこの一年間で嫌と言うほど分かっている。


 その辺りはもう諦めているし、父さんと母さんにそれとなく聞いてみても苦笑いされるだけだったので、要はそういうことなんだろう。


 ともかく、屋敷に一度戻ることにした俺たちは二人そろって庭を後にした。

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