第五話 師匠との邂逅


 俺の部屋にいきなり現れた謎の美女、レティシア。

 ほんのわずかな問答を交わしただけでも彼女が悪人ではないことは伝わってきたが、それでもどうやってここまでやってきたのか不明な以上、完全に気を許すわけにもいかない。


 それらの理由から、気を抜かないように相手の一挙一動を見逃さないようにと意識を手中させていれば、向こうが何かに興味を持ったかのように目をほんの少し見開き、言葉を掛けてきた。


「へぇ……君、アクトだっけ?」

「は、はい……そうですけど」

「随分繊細な魔力のコントロールをしてるね……しかも、その年で」

「っ!?」


 一瞬、驚愕のあまり思考が空白になりかけた。

 俺が魔力を操作できることはまだ誰にも明かしていない秘密だ。

 それが露見しないようにとこれまで細心の注意を払ってきたし、その努力の甲斐もあって怪しまれたことだってない。


 だというのに、彼女はそれをただ一見しただけで見破ってきた。

 まさかこの事実がバレるなんて予想だにしていなかった俺は内心驚愕で埋め尽くされるが、そんな様子を知ってか知らずかレティシアは言葉を続ける。


「…ふむ。全体的に淀みもないし、それどころか凄く綺麗に流れてる……アクトは誰かに魔法を習ってたりするの?」

「……い、いや。だれにもおしえてもらってない」

「え? じゃあ、これを独学で?」

「………」


 そんな彼女の問いかけに、無言の首肯で返す。

 レティシアの疑問は全て確信を突くものだったので、誤魔化すだけ無駄だろうと思い素直に返事を返したが……場合によっては、面倒な事態になってしまうかもしれない。


 そのままほんの少しの沈黙が場を支配し、停滞した状況がいつまで続くのかと思われたが、それも他ならぬ彼女の手によって破られることになった。


「…凄いじゃん! これだけの魔力操作技術を自力で、それも誰にも頼らずにやってのけたってことだよね!」

「…え?」


 予想していた反応とはまるで異なるリアクションに、俺の方が間抜けな声を上げてしまう。

 てっきり、どうやって訓練してきたのか、その年齢でなぜ魔力が操作できているかなんてことを聞かれるとばかり思っていたのに、そんなことは一切聞かれずになぜか褒められた。

 …本当になんでだ?


「いや、冗談抜きで凄いよ…! それこそ、魔力の制御だけなら私でも勝てないレベルかも……」

「あの……きかないんですか? なんでおれがそんなことができるのか、とか…」

「ん? あぁ、そりゃ聞かせてくれるなら聞くけど、無理に聞き出しはしないよ。それよりも、この感動に浸る方が大事だからね!」


 …なるほど。少し話をして彼女の性格がつかめてきた。

 おそらく、レティシアは自分が興味を持ったことに関してはとことん突き詰めるタイプだが、それ以外の関心がないことに限ってはそれほど手を伸ばさない人物のようだ。


 それは今の会話だけでもよく分かったし、俺としても事情を聞き出されないことは都合がいいので助かったが……彼女はそれでいいのだろうか。

 俺がそんな何とも言えない複雑な心境に心を悶々とさせていると、瞳をキラキラと輝かせているレティシアの姿が視界に入ってくる。


「それにしても、このレベルの技術がありながらまだ魔法を教わってない……か。これはとんでもない逸材がいたかもね…」

「レ、レティシアさん…?」


 何やらぶつぶつとつぶやいている彼女だったが、少なくともこの事実を公に言いふらすようなことはなさそうなのでそこは安心した。

 …だが、それと同時に何かを企むような顔をしている彼女に少し背筋が凍るような感覚を味わった。


「ねぇアクト。魔法を教わるつもりはない?」

「…え、まほうって……レティシアさんからですか?」

「そうそう! 私って普段は弟子とか取らないんだけどさ、こんなに面白い素質を持った子がいたらさすがに見過ごせなくってね!」


 満面の笑みを浮かべながら、自分のもとで魔法を教わらないかと提案してくるレティシア。

 その誘いは俺としても願ったり叶ったりのものだったが、いくら何でも即答はできないので少し迷った素振りを見せると、彼女はさらに顔を近づけてくる。


「…もしかして、魔法とか嫌いだったりする? だったら強制はしないけど」

「い、いえ! そんなことはないです! …ただ、たぶんレティシアさんってすごいまほうつかいですよね? そんなひとにおしえてもらってもいいのかなって……」


 俺が懸念していることは、こんな突発的に魔法という特別なものを学ぶ機会を決めてしまっていいのか……というものではなく、レティシアのことだった。

 彼女が善人であることはもう疑っていない。今までの態度から俺はそう判断したし、これでこちらを騙そうとしているのならもうお手上げだ。


 …唯一足踏みをしてしまうのは、彼女の正体がまだつかみきれないことだ。

 いきなり現れた来訪客であり、なんとなくだが感じ取れる底の知れない実力。

 まだ出会って一時間も経っていない彼女に、全てを預けてしまってもよいのか。その一点が、前に進もうとする足を引っ張っていた。


 そんな俺の考えを察したのか、少し困った顔になりながらもその顔に苦笑を浮かべた彼女は、こちらに委ねるように語り掛けてくる。


「…あー、なるほどね。確かに私っていきなり現れただけの不審者だし、信用しろっていう方が難しい話か」

「そ、そこまでは!」

「あっはは。いいっていいって。結局どうするかを決めるのはアクト次第だし、そこは私が強制するところじゃないからね。…だけど少なくとも私は、アクトに魔法を教えたいって思ってるよ」

(………あ)


 その言葉には、多少の打算だってあったのだろう。

 実際、レティシアは俺の中の何かに引き付けられたようだし、魔法を教えようとしてくれているのだってそれが大きく関係しているはずだ。


 …それでも、それと同じくらいに。

 真っすぐに俺の目を見ながら決定権を任せてくれる彼女の赤い瞳は、何よりも美しいもので……それは、信用させるには十分すぎるくらいの光が灯っていた。


 そうして俺は、気が付いた時には………


「…では、おねがいします。おれにまほうをおしえてください!」


 …そう、返していた。


「うんうん! 任せておいて! 私とアクトの力があれば、あっという間に一人前の魔法使いになれるよ!」


 そんな俺の言葉を聞き入れた彼女は、出会ってから一番ともいえる満開の笑顔を咲かせながら大きく頷き、心底嬉しそうな表情を浮かべていた。


 …この表情を見れただけでも、受け入れた価値はあったかもしれない。

 思わずそう思ってしまうくらいには、魅力的な笑みだった。


「…さて、それじゃあガリアンたちに魔法指導の許可をもらいに行こうか。さすがに親に無許可で進めるわけにはいかないからね」

「あ、そうですね」


 そう言われて初めて冷静に思い至ったが、確かに父さんや母さんの友人と聞いているレティシアから指導を受けるのであれば報告は必須だ。

 そんな思考にも考えが至らないくらいには行き当たりばったりな提案を受け入れたのだと今更ながら思うが、後悔はない。


 どれだけ反対されたとしても、彼女から指導を賜ると決めた以上、それを覆すような真似はしたくなかった。


「あぁ、そうそう。せっかく魔法を教えることになったし、私のことは『師匠』って呼んでもいいよ? こういうのは形から入るのも大事だからね!」


 だがそんな不安をよそに、レティシアはとても気楽そうな声色でそんなことを申し出てきた。

 …別に文句はないけど、この場の雰囲気でそれを言うか?


 少し彼女の楽観加減に呆れそうになってくるが、これから教えてもらう立場としては無碍にするわけにもいかないか。


「えっと……それではよろしくおねがいします。ししょう」

「ゴフッ!? …まずいな、これ。想像以上に刺さってくるかもしれない……」


 向こうから言ってきたことだと言うのに、俺が師匠呼びをした途端に何やら胸を押さえて悶えるような仕草を見せるレティシア。

 そんな様子とぶつぶつとつぶやくような仕草は非常に気になったが、なんとなく聞いたところで答えてくれそうにもなかったので放っておくことにした。


 …それから、父さんたちのいる場所にたどり着くまでに何度も師匠呼びを誘導してくる彼女に対応しながら、その度に胸を押さえるリアクションをしている姿に若干呆れながらも移動していった。

 どうやら師匠はこの屋敷に来た時に客間に招かれていたようなので、その言葉に従って向かってみれば案の定、父さんと母さんの二人が豪奢ごうしゃなソファに座っていた。


「レティシア! 一体どこに行ってたんだ!」

「もう、探したのよ! 急に出て行ったりして!」

「あっはっは! ごめんごめん。ついアクトのことが気になっちゃったからさ」


 部屋に入った途端に二人の責めるような声がこちらに飛んでくるが、その張本人でもある師匠はどこ吹く風だ。

 …絶対悪いのは師匠の方だろうに、ここまで普段の態度を崩さないのはある意味尊敬できるかもしれない。


「全く……お前の奔放さは今に始まったことではないが、それにしても限度があるぞ」

「いやー、それを言われると耳が痛いね」

「それにしても、本当にどこに行っていたのよ。メイドたちに探してもらっても見つけられなかったし……」

「それだけどね、アクトの部屋に行ってたんだよ。ほら、私の後ろにいるでしょ?」


 そう言うと師匠は、彼女の背中に隠れるような形になっていた俺を横に並べる。

 そのタイミングで両親は俺がいたことに初めて気が付いたのか、二人とも驚いたように目を丸くしながらこちらを見てきた。


「あっ、アクトちゃん!? いつからいたの!?」

「えーっと、さいしょから……」

「お前……アクトのことを連れてきていたのか…」

「その通り! それでさ、二人に頼みというか提案があるんだけど」

「……提案?」


 俺が現れたことに母さんは慌てふためき、父さんは呆れたような反応を見せてくる。

 しかし、そんな反応も意にも介さず師匠は話を続け、提案という一言に母さんが疑問を感じたようだった。


「そう。実はアクトに関することなんだけど、私が魔法について教えてあげようと思うんだよね。いいかな?」

「………ちょっと待ってくれ。今おかしなことが聞こえた気がするんだが……お前がアクトに魔法を教えるだと?」

「そう言ったよ。言っとくけど、もうアクト本人から許可はもらってるからね」


 師匠の言葉を聞くや否や、額を押さえながら逡巡するかのような雰囲気を見せる父さん。

 やはり、子供の一存で決められるようなことではなかったのだろうか……そう思った時、予想とは反した言葉が飛んできた。


「…そうか。アクトがそれでいいなら言うこともないが……お前の方はそれでいいのか?」

「いいに決まってるじゃん。というか、魔法の指導自体私の方から持ち掛けたことだからね」

「なっ、そうなのか!?」

(…ん? 師匠の方から確かに話は出されたけど……そんなに驚くようなことなのか?)


 ふと疑問に感じたのは、師匠の言葉に対する父さんのリアクション。

 確かに父さんの立場から考えれば、友人が自分の息子の教師を務めるということは驚くことかもしれないが、それにしては反応が大きいような気がしたのだ。


「…ねぇ、ししょうってもしかしてすごいひとだったりするの?」

「あら、アクトちゃんてば聞かせてもらってなかったの? …レティシアは世界でも火属性魔法の第一人者として知られていて、世間では『炎舞の魔女』なんて呼ばれてる人なのよ」

「…へっ?」

「あれ、言ってなかったっけ?」


 母さんからもたらされたのは、予想の遥か上をいく答え。


 …いや、なんとなく凄い人なんだろうなっていうのは予想してたんだ。

 師匠の魔力を見ようとしてもはっきりと視認ができなかったし、時折感じられるオーラからただ者ではないだろうと思っていた。


 だけど……いくら何でも、そんなところまで想像することなんて誰ができるというんだ。


「それじゃあ改めて……周りからは『炎舞の魔女』なんて二つ名まで付けられてる魔法使いだけど、これからよろしくね! アクト!」

「……はい。こちらこそよろしくおねがいします、ししょう」


 …まぁ、何だ。

 確かに想定外の事実に驚きもしたけど、それ以上に俺はこの人から魔法を教えてもらいたいと思ってしまっている。


 肩書とか二つ名とか、そんなものも関係なくレティシアという魔法使いに憧れた俺の心は、始めから決まっているのだ。

 そう思いながら師匠の手を取れば、向こうもまた嬉しそうな笑顔を浮かべながら返事を返してくれた。


 色々なことがあったけど、最後は丸く収まった今日一日のことを俺は生涯忘れないだろう。




 …ちなみに後で聞いた話だが、どうして師匠が俺の部屋までやってきたのか。

 あの時師匠は屋敷に招き入れられた後、父さんと母さんから俺が生まれたこと。その子供が可愛くて仕方がないことを延々と聞かされていたらしい。


 あまりに二人が褒めるものなので、気になった師匠は部屋の場所をそれとなく探り出し、隙を突いて部屋まで歩いてきた、ということらしい。


 …話を聞いてる最中にも思ったけど、何やってるんだよ、師匠。

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