第三十一話 勝者という結末


 俺を押しつぶさんばかりの勢いで駆け寄ってくる熊の魔獣。

 しかし、俺はそれを見ても特に焦ることなく魔法を発動させていく。


「これでも食らっとけ。【追走弾スプリットチェイス】!」


 掌に浮かび上がらせた見た目上は何の変哲もない水の球。

 俺はそれを作り上げると即座に目前の敵へと打ち出し、ターゲットとした顔面へと向かって一直線に放たれていった。


 …だが、やつもただの馬鹿ではない。

 いくら魔獣が知性無き存在とは言っても、己に迫ってくる危険をわざわざ当てられるような真似をするわけもなく、単に真っすぐに放たれただけの魔法ならどれだけの勢いがあろうと回避することは容易い。


 そしてそれは俺の予想通り、相手は悠々と顔を少しずらすだけで迫ってくる水の球を躱そうとして……そこで、想定外の展開が起こる。

 回避されたと思った水の球。それが次の瞬間にはその勢いを一切減衰させることなく軌道を捻じ曲げ、魔獣の顔に叩きつけられたのだ。


「ガッ!? グゴオオオアアァ!!」

「上手くいったな…! 隙だらけだ!」


 顔に直撃すると同時に水しぶきを上げながら飛び散った水滴が目にでも入ったのか、腕を振り回しながら苦悶の声を上げる熊。

 そんな隙を見逃してやるほど、俺は甘くない。

 今度は振り回される腕の直撃を食らわないように細心の注意を払いながら、やつの懐へと潜り込んでいく。



 通常ではありえない軌道を描きながら打ち放たれた【追走弾スプリットチェイス】という魔法。

 あれは厳密に言えば無属性魔法に分類されるものであり、俺が独自に開発した魔法でもある。


 通常、魔法とは直線状の軌道で放たれるのが常識であり、それを捻じ曲げようとしてもせいぜいが緩くカーブを描くくらいのことが限度というのが当たり前のことだ。

 しかし、この【追走弾スプリットチェイス】は敵に当たるまで必ずその姿を追い続ける追尾機能が備わっており、そんな常識を軽く打ち破る性能を誇っていた。


 この魔法の原理を明かしてしまうと、俺が魔力を直接認識できる能力───便宜上、魔力視と名付けておこう。そこからさらに派生して目視できた魔法の軌道を作り上げる魔力の回路が存在するという事実から着想を得た。

 無意識の間に人が魔法を発動させる時、そこには直線状になった魔力の回路が組み上げられ、魔法はそれに沿って飛んでいく。

 ここから思いついたのは、この魔力の回路を意識的に組み上げれば不可思議な軌道が描けるようになるのではないかというものだった。


 そんな発想を得た俺は気を逃すまいと言わんばかりに開発に取りかかり、最終的に完成したのがこの【追走弾スプリットチェイス】だったのだ。

 試行錯誤を重ねた末に俺がたどり着いた完成系であるこれは、魔法の発動地点と着弾地点のみこちらが手動で設定しておき、途中に組み立てられるはずの回路は意図的に消しておく。

 そうすることで、生み出された魔力の球は着弾ポイントとして設定された位置にどんな障害があろうとも突き進んでいき、絶対追尾式の魔法へと至ったのだった。


 この魔法が無属性に分類しているのは、原理さえ再現できてしまえばどの属性でも関係なく発動できるのと、必要となるのが純粋な魔力の操作技術だということが理由だ。

 本当は素の状態の魔力をぶつけることで純粋な攻撃力を生み出しても見たかったのだが、無属性の魔力に殺傷力は皆無なのでやむなくこうなった。


 まぁそれはいい。

 要するに、この魔法は扱い方さえ知ってしまえば誰にでも使えるものであり、その汎用性の高さも大きな魅力だ。


 …だが、一度師匠に詳しい原理を説明したら『頭おかしいの?』と言われたんだけどさ。

 失敬な。


 確かに多少技術が必要な点は否めないけど、それでも万人に使用できるというメリットは変わらないのだからいいだろう。

 そして少なくとも今、目の前の敵に有効打を与えるための時間を稼ぐことができたのだから。


「こんのっ…! 固すぎだろ!」


 直撃した水球に翻弄されている間に俺が狙ったのは、やつの足元。

 俺たちの体躯の差を考えれば頭部を直接傷つけることは難しいし、それ以外の場所では致命傷にはなりにくい。


 ゆえに比較的狙いやすい部位であり、当てられれば機動力も奪うことができる足をターゲットとして短剣を振るったのだが……想像以上のやつの皮膚の固さに阻まれ、浅い傷を付ける程度で留められてしまった。

 あれではまともなダメージを与えられているとは到底思えないし、この攻防を何度となく続けたところで俺の体力が削られていくだけだ。


 …しかしまずいな。

 短剣によるダメージが期待できないとなると、俺にできることはかなり限られてきてしまう。

 思いつく選択肢としては【身体強化】による身体能力の向上に任せたゴリ押しや、水属性魔法を使った攻撃だが……それも効果は薄いだろう。


 【身体強化】による物理攻撃は、そもそも戦闘開始時から常時使用しているのだから短剣が効かない時点で意味なんてないだろうし、水属性魔法も使えるものは殺傷力の低いものばかりであり、あいつを殺しうるほどに攻撃力の高いものとなると存在していない。


(選択肢がないわけではないけど……はあまり使いたくないんだよな…)


 そんな一見追い込まれたかのようにも思える状況の中、俺の脳裏に浮かんでくるのは一つの魔法。

 水属性の殺傷力が低いという弱点をカバーするためにと編み出したものだが、正直なところ使い勝手の悪いものであり、積極的に取りたい選択肢ではなかった。


 しかし、そんな我儘を言っていられるような状況ではないことも事実。

 このままでは俺の側がジリ貧となって敗北に追い込まれて終わる可能性は高いし、打てる手があるのならここで切っておくべきところだろう。


(…やるしかないか。これが通じなかったら、その時はまた別の手を考えればいい)


 己の中で少しの覚悟を固め、魔法を発動させるための準備を整える。

 魔力を練り上げ、それを圧縮するかのようにした塊を掌に収束させながら自らの片手を魔獣に向けてかざしていく。


 徐々に高められた魔力が臨界点へと近づいていき、それが限界へと到達したのを把握すると同時に俺は一気にそれを放出していった。


「…せいぜい、これで苦しんでおけ!」

「ガボアッ!?」


 片手に収束されていった魔力を一瞬にして解き放ち、それを発動させると熊の顔全体がで覆われる。

 さすがのやつもこの展開は想定外のものだったのか、水で固められているがゆえに呼吸できない現状に苦しみもがきながらもなんとかそれを取っ払おうと自分の爪で削り取ろうとしている。


 だが、そんな抵抗は無駄だ。

 いくら手で取り払おうとしたところで俺の魔力で構成された水の檻は取り払えるものではないし、このまま待ち続けていればいずれこいつは溺死してくれるだろう。


 …そう。このままいけば俺は勝てる。

 その予測は間違いないはずのものだが……あいにく、俺の本命の攻撃はそこにはなかった。


 今は息ができないことに苦しんでいる熊だが、追い詰められた生き物というのは何をしでかすのか分からないものだ。

 最悪、魔法を発動させている術者本人である俺を殺せれば全てが解決するという思考に至って、こちらの考えも及ばない行動に出ても不思議ではない。


 そんな不確定要素は持ち込ませない。

 こいつには、反撃の目すらも与えてやらない。


 ギリギリの綱渡りになる可能性など今この場では不要なものであり、俺が手に入れるのは……勝利という結果だけで十分だ。


「…ありがとうよ。お前のおかげで得られたものもあったことは確かだった」


 止めを刺す前に、俺は目の前の敵にある種の感謝の言葉を送る。

 手傷を負わされた相手ではあったが、それでもこの敵から得られたものがあったことは事実だし、そのおかげで自分の中の覚悟のようなものも固められた。


 だからこそ、この戦いの決着は俺の手できっちりと終わらせてやる。

 それが敵に向ける最大限の礼儀だと思ったから、手向けとして俺の魔法で送ってやろう。


「…【ディープマニラ】」

「…ガ、ガバッ…! ……!」


 その魔法を放った途端、敵の中で何かが弾けるような音が辺りに響いたかと思えば……散々俺のことを苦しめてきた相手は、全身から力尽きたかのように倒れ込んでいった。


 息はない。再び動き出す気配もない。

 …間違いなく即死したと断定できる状態であり、実際は数分程度のものだったのだろうが、当事者の俺からすれば非常に長く感じられたこの戦いは見事勝利という形で収められたのだった。

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