第三十二話 結果報告
数秒前まで散々苦しめられた敵の死を目の前にして、それが確定的なものだと断定できると、俺は思わずその場に座り込む。
「…か、勝てた……結構危なかったな…!」
その声は勝利を喜ぶ歓喜を含ませたものではなく、思った以上にギリギリだった命のやり取りを勝ち残ったことへの安堵を滲ませたもの。
情けない話だが、今の戦いは一瞬の油断でこちらがやられてしまっていても何らおかしくはないものだったし、すぐさま止めに使用した魔法を使っていなければ、今頃勝者はどちらだったか正直分からないくらいのものだ。
だが、過程はどうあれ俺が勝ち残ったという事実は変わらない。
少なくとも今は、それを噛み締めても叱られはしないだろう。
「やっとノルマ達成だな……もう少しスムーズに進めたかったけど、まぁそれはいずれまた……お? この魔力って…」
そんなことを考えながら土の上に寝転がって疲弊した体を休めていたが、何とはなしに辺りの気配を探ってみるとこちらに近づいてくる者の存在がいることに気が付いた。
普通ならばそれを察知するのと同時に警戒態勢に入るのだが、どこかその魔力の反応に覚えがあったのと、近づいてくる者の正体になんとなく想像がついていたのもあってゆっくりと振り返ってみれば……案の定、そこには見慣れた姿をした彼女が立っていた。
「やっ! 警報級の魔獣討伐おめでとう! 少し危ない場面もあったけど、私が手を出すまでもないようだったし結果オーライだね!」
「…えぇ、何とかノルマも達成できましたし、これでいいですかね? …師匠」
現れたのは他でもない師匠であるレティシアであり、数時間前に別れてから一度も姿を見せていなかった彼女に再会できたことで俺も頬が綻ぶ。
離れていたのはたったの数時間だったというのに、こうしてまた話せていることが無性に懐かしく思えるのだから不思議なものだ。
そんな師匠に言われた目標は果たせたかと問えば……これまた満面の笑みを浮かべられながら答えてくれた。
「うん! これだけばっちりこなせてたら言うこともないからね。…ひとまず、その怪我だけ治しちゃおうか」
そう言うと師匠は、懐から瓶に詰められたポーションと呼ばれている回復薬を取り出す。
その栓を開けると、未だに地面に横たわっている俺めがけて降り注がせてきた。
…いや、確かにポーションは負傷部位に振りかけるだけでも効果を発揮するけど、それでももう少し丁寧に振りかけてほしかったな。
頭に注がれてきたポーションのおかげで切り傷も塞がったようだし、出血も止まったようだから文句もないが……そうだとしてももうちょっとやりようはあっただろうに。
まぁ、その辺りの雑さが師匠らしいとも言えるので、今更いちいち追及しようとも思わないけどさ。
「よし、オッケー! これで傷もばっちり治ったね!」
「ありがとうございます。…けどやっぱり、少し疲れましたね」
「そりゃそうだろうね。ただでさえ初めての実戦だっていうのに、警報級の魔獣討伐までこなしてるんだから疲弊もするよ」
「…無茶をさせてる自覚あったんですか?」
「多少はね。でもアクトならその程度のこと、問題なく乗り越えられるって信じてたからさ」
「……そうですか」
どうやら俺に対して与えた課題が相当に高難度であることは理解していたようだが、師匠はそれでも俺のことを信じてその目標を提示してくれたのだろう。
…途中で手傷は負わされてしまったし、完璧とは言えない結果であることにも違いはないが……それでもこの人の弟子としては、やはりこのくらいのことはできて当たり前になりたいとも思った。
「ところでさ、アクトが最後に使った魔法は何? 私も初めて見る魔法だったし、模擬戦でも使ったことはないやつだったよね?」
「あぁ……【ディープマニラ】のことですか。別にそんな複雑なものでもないですよ」
傷の治療も一段落し、ようやく落ち着いた状況になったところで向こうから質問が飛んでくる。
だが、その質問自体は俺の方でもある程度予想していたものだったし、別に隠すことでもないので素直に明かしてしまう。
「あれは一言で言ってしまうと、特定範囲内の水圧を増加させる魔法なんですよ。だから見た目上は変化はないですけど、あの熊もその圧力に体内が押しつぶされて即死したってわけです」
俺独自に開発した魔法である【ディープマニラ】。
これは俺が指定した範囲内に存在している水圧を上昇させていくという効果を有しており、非常に強力な殺傷力を秘めている。
水圧の強弱は俺の好きなように設定できるうえ、水さえあればどこにでも発動させられるので、攻撃手段としてはこの上なく頼りにできるものだろう。
最後の止めを刺したあの時、俺が設定したのは水深にしてみれば八千メートル級の圧力に匹敵する威力を秘めた水圧であり、平地の圧力に慣れ切っている生物からすれば唐突にそんな環境に放り込まれればまともに生存することなど不可能だし、よほどの防御力でも持っていなければ一撃で仕留められる自信だってある。
だが、その便利さに比例するデメリットもある。
まずこの魔法だが、その強さゆえに手加減が一切できないのだ。
もし対象を人間に当てて使おうとすれば最低でも体内の臓器が損傷するし、威力を弱めようとしても水圧による攻撃を加えてしまえば間違いなく骨だって砕ける。
そんな事情もあって師匠との模擬戦では使う場面がなく、これまでは開発だけしてお蔵入りしていた魔法だったのだが……今回お披露目できて少し満足しているところもあった。
さすがに師匠との模擬戦であっても、無駄な損壊を負わせたいわけではないしな。
その辺りの分別は弁えているつもりだ。
そしてこれがもう一つのデメリットなのだが……これ、とにかく燃費が悪いのだ。
先ほど発動させた【ディープマニラ】は、範囲を熊の顔面周辺だけに絞って可能な限り有効射程を狭めたというのに……それでも俺の総魔力の二割近くが持っていかれた。
今となってはそれなりの魔力量を有する俺の魔力でさえ二割も持っていかれるとなれば、その消費に対して効かなかった時のダメージはでかい。
だからこそこの魔法はそうポンポンと扱えるものではなく、いざという時のための最終手段として温存していたのだが、これがもし長期戦であれば容易に切れるカードではなかった。
今回使ったのはあの熊を倒せれば訓練は終わりだという前提があったことと、消耗戦に持ち込めば俺が敗北する可能性が高かったので、強制的に短期決戦に持ち込みたかったという理由があったからこそ使ったのだ。
結果的に倒せたからよかったが、万が一あの場面でこの魔法が耐え切られていたらと思うとゾッとする。
保険として別の魔法も用意自体はしているが、現状で最も攻撃力が高いものがあれであることは違いないのだから、それで仕留められるに越したことはないからな。
「また面白い魔法を作ったね……それ使われたら、さすがの私でもやられそうだよ」
「…いや、確かに【ディープマニラ】を使えば師匠にも有効打を与えられる可能性は高いと思いますけど、それと同じくらい俺には師匠が無事な未来しか見えないんですけど……」
師匠に軽く言われて少し想像してみたが、やはりこれでも師匠に一撃を入れられるとは到底想像できなかった。
確かに、もし師匠と本気で戦うことがあったとして、そこで初手の段階で俺が【ディープマニラ】を彼女の頭にでもぶちかませば勝機があるようにも思えるが……どうしても、それを食らったうえでなんやかんやで師匠がものともせずに攻撃を返してくる未来しか予想できない。
…俺も強くなったとは思うけど、いつも必ずそれ以上の力でボコボコにしてくる人だからなぁ。
まだまだあの人の本気だって引き出せてない気がするし、口ではやられそうなんて言っているがそれだって冗談に近いものだろう。
「ふっふっふ。まぁ、私もまだアクトに超えられるつもりは微塵もないからね。早くしないといつまで経っても追いつけないよ?」
「…今は勝てませんけど、いずれは絶対に超えてみせますよ。そのための覚悟も決めましたからね」
「……へぇ? 確かに冗談じゃなさそうだね。言葉にしっかりと感情が乗ってるし…それに、良い目をするようになってる。何か心持ちの変化でもあったのかな?」
「まっ、色々と考えることがあったってだけですよ」
あの熊との戦いの最中で誓った、強くなるという宣言。
誰にも届かないくらいの強さを手にしてみせるという覚悟は、戦いが終わった今でも俺の中で揺らがぬ決意として残っている。
その変化の機微を察したらしい師匠が面白いものを見てくるような目を向けてくるが、それは軽く受け流しておく。
…そうだ。今はまだ勝てないけど、そう遠くないうちにこの人だって超えてみせる。
そのための指標も、道筋だってあやふやなままだが、そんなものに惑わされていればどれだけ足を進めていても追いつけないのだから。
俺にできる最大速度、最短距離で彼我の差を埋めに行く。
そうすることが、師匠すらも超えた強さの頂への近道であると思ったから。
「ふーん…? 良い変化があったならここに連れてきた甲斐もあったね。弟子の成長を見守れて私は嬉しいよ」
「それと並ぶくらい疲れましたけどね……あっ、そういえば師匠。一つ頼みがあるんですけどいいですか?」
「頼み? 内容次第ではあるけど、何か欲しいものでもあったの?」
俺の力量が順調に高められていることを満足そうにうなずきながら噛み締めていた師匠だったが、そんな様子を隣で見ていた俺はこの機会に一つ頼みがあると告げてみた。
今まで俺の方から師匠に何かをねだるということはほとんどなかったので、その言葉に意外そうな表情を浮かべながらリアクションを返されたが、あいにく俺が望むのは物ではなかった。
「いえ、そうではないんですけど…これから定期的に、またこの森での実戦訓練をさせてほしいんです」
「ここで実戦訓練を? 今日だけじゃなくてってこと?」
「はい」
俺がねだったのは、今回行った魔獣との戦闘訓練を定期的に開催してほしいという要望。
今日だけでも散々痛い目に遭っておきながら、こんなことを口にしたのにはそれ以上に俺にとって魅力的な環境がここにはそろっているからだった。
まず第一に、模擬戦では得られない命のやり取りによって俺の力量を格段に引き上げられるため。
模擬戦という真剣ではあるが最低限の安全性を確保した戦いとは違い、この場での戦いというのは俺と相手も共に互いの命を奪おうという緊張感で溢れており、その空気感は模擬戦とは違った経験値を俺に与えてくれる。
それに何より、庭でも模擬戦では扱えなかった魔法が鍛錬できるというのも俺にとっては大きい。
先に挙げた【ディープマニラ】なんかはその筆頭だが、それ以外にもその規模感や周辺環境に与える影響を考慮して形だけ作り上げてそのままになっている魔法というのがいくつかあるのだ。
屋敷に近いあの場所ではまともに発動もできなかったものたちだが、普段は人だってそうそう寄り付かないこの森ならばそれを試すのにはうってつけであり、この機を逃すことはできなかった。
そんな俺の頼みを聞いた師匠はというと、しばらく悩んだように手を口元を押さえながら思案していたが……しばらくすると、パッとその顔を上げていつもの気楽な表情へと戻っていった。
「うん、いいよ! アクトがやりたいならまた連れてきてあげるよ。…それに私も、アクトの魔法開発には興味あるしね」
「…! あ、ありがとうございます!」
無事に了承が出されたことで、自分の中で喜びの感情が溢れてきそうになる。
最初は断られても文句は言えないと考えていたので、思っていた以上にあっさりと要望が通って安心するばかりだった。
魔獣との戦闘を終えたばかりの身ではあるが、最高の訓練場所を手に入れられた俺の胸中には歓喜が広がっているのだった。
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