閑話 悪意あるつぶやき


 ここは、フィービル伯爵領の教会のとある一室。

 建物の中でも比較的高い位置に存在しているこの部屋は、この教会に所属している者の中でも地位の高い者が過ごす空間であり、現在は大司教であるゴアグル──つい先ほどアクトとフローリアの案内を終えたばかりの男がその身を休めていた。


 …しかし、その体から発せられる雰囲気は、先ほどまでの穏やかな様子とは似ても似つかない。

 全身から不機嫌さを醸し出しながら、それを隠そうともしていないところを他の者が見れば、普段の振る舞いとの差も相まって別人と錯覚することだろう。


「……ふん。忌々しい我儘なガキどもめ。大人しくこちらの言う通りにしておけばいいものを……」


 そんな彼一人の状況の中で、憎々しさすら含ませながらつぶやかれた一言は静かに部屋を反響させている。

 その声は、温厚さなど微塵も感じられないほどに冷たいもので……まるで、ゴアグルという人間が別人の皮を被って話しているかのようだった。


 しかし、当然そんなことはない。

 むしろ、どちらかと言えばこちらの方が彼にとっての素に近いものだった。



 …今回のフローリア・フィービルによる教会への視察。

 それに伴って彼女を教会内部へと勧誘、もしくは懐柔させるための要員として、本来はゴアグル別の者が派遣されてくる予定だった。


 しかし、実際はゴアグル本人がこの教会までやってきている。

 その理由は、今回の一件が彼にとって大きな手柄となることが容易に想像できたからであり、あの貴族子女の三重適性持ちという価値を考えればそれを引き入れたゴアグルの立場も盤石なものとできるから。

 ただそれだけのことだった。


 そう。そもそも先の視察においてゴアグルはまともに視察の案内などこなすつもりなどはなから無く、フローリア・フィービルだけを狙いとしてここまでやってきていた。

 そこにこぎつけるまでに様々な工作を要したのは記憶に新しいが、後の己の利益を考えればそれも些細なことだ。


 そしてその目論見通り、伯爵家は護衛こそ送り込んできたが、それ以外の人員は潜り込ませることもなく教会に赴いてきた。

 代表者となるのはまだ幼き子供でしかないあの少女であり、それ以外の者は単なる付添い人。


 隙を見て彼女を懐柔させることなど、自らの力をもってすれば容易いこと……そう、思っていた。

 だが、ここで一つのイレギュラーが発生する。


 付き添いとしてやってきた者の中に、あの少女の兄とされているアクト・フィービルという少年が紛れ込んできたのだ。

 当然、最初は交渉の中でそんな厄介者を入り込ませることなど御免でしかないので、断ろうとしたが、あの小僧がどうしてもついていきたいと聞かないようで、こちらも断り切れずに受け入れることになってしまった。


 まぁ、そんな予想外の要素も紛れ込むことになってしまったが、大した問題でもない。

 いくら貴族の者が一人増えたからといって、所詮は幼児が付きまとうだけのこと。


 その程度ならこちらで言いくるめることなど容易く、さして障害にもなりはしない。

 …あの忌々しい子供がやってくるまでは、そう思い込んでいた。


 しかし、蓋を開けてみればどうだ。

 ゴアグルがそれとなく教会への勧誘を投げかければ、そのタイミングに被せてくるかのように向こうが会話を濁してくる。


 どれだけ巧妙に隠そうとまるで全て反応し、こちらの思惑を塗りつぶすと言わんばかりに行動する。

 少女の方は笑みを浮かべながら反応するだけだったが、あの小僧は明確な答えを決して返さないように常に立ち回っていた。


 そのせいで、簡単な仕事だと思っていた今回の件はまともにこなすことすらできずに終わろうとしている。

 …それこそ、自らの無能さを晒しているかのように。


「…そんなわけがあるかっ! わたくしの邪魔をする者などありはしない!」


 ゴアグルにとって、これまでの人生は順風満帆と言えるものだった。

 とある子爵家の三男として生まれ、その生まれゆえに家を継ぐことはできなかったが、魔法の適性がはっきりとしてから彼の意識にも一つの変化が生まれた。

 己には希少な光属性魔法の才があると判明してから、自分はな存在だということを自覚したのだ。


 そうしてそのまま流されるように教会へと所属し、順調に実績を積み重ねて今の大司教という立場に収まっている。

 …その過程で、己にとって邪魔だと思える相手はということもあったが、それも本人にとっては有望な自分の糧になれたのだから当然のことだという認識でしかない。

 厄介なことは全て実家の権力にものを言わせてもみ消してきたという背景もあるが、彼からしてみればそれは当たり前の力を行使しているだけのことだ。


 第三者から見れば明らかに異常な、されど当人にとってはごくごく自然な自尊心の高さの塊というのがこの男の本質であり、それは現在になっても変わるものではない。

 そんな中にあって、彼はまだ己の現状に満足していなかった。


 大司教という一部の者しか至れない高位の地位にありながら、自分はこの程度の器で収まるような人間ではないという思考で満たされている。

 他者から聞かれればなんて傲慢な思考かと侮蔑されそうなものだが、少なくとも本人は大真面目だ。


 停滞してしまっているこの状況。さらに上へと昇り詰めるためにはどうすればよいのか……そうした考えに埋め尽くされていた時に耳にしたのが、フローリア伯爵令嬢の噂だったのだ。


 これだ、と思った。

 己が今以上の高みに上がるためには、彼女の存在を利用してしまえばいいと。


 教会が欲している光属性の適性持ちに加えて、王国の歴史上でも類を見ない三重適性という希少性。

 取り込めれば教会としても大きな箔がつけられるし、それを成した己もまた評価されることだろう。


 そんな淡い欲望を腹に抱えたまま始まった今回の視察だったが、結果を見れば失敗なんてものではない。

 わずか六歳ばかりの子供に己の狙いはことごとく防がれ、当初は苦労せずとも達成できると思われたことは全て先回りして潰された。


 …何より、特別であるはずの自分を見つめてくるあの冷徹な眼差しは、ゴアグルにとって到底許容できるものではなかった。


 今回の失敗を取り戻すためにも、フローリア・フィービルはどうにかして教会に取り込まなければならない。

 しかし、アクト・フィービルのあの対応の仕方も自分にとっては許せるものではなく、今後のことを考えてもどうにかしておきたかった。


 その二つの、目的と言うにはあまりにも自分勝手な願いでしかない欲求を叶えるためにはどうすればよいのか………


「…そういえば、フローリア嬢はあの小僧に随分と懐いていたな」


 頭の中で目的を達成するために考え続けた結果、ふと思い浮かんできたのは視察中にも度々目に入ってきたあの兄妹の過剰とも言える仲の良さだった。

 あの時はフローリア本人にしか興味が湧いていなかったのと、アクトによる細かな妨害に気を取られていたので思い至らなかったが、こうして冷静に思い返してみれば色々と目に付くこともあった。


 何気ない行動の一つ一つにもアクトはフローリアに負担がかからないようにと気を配っているように見えたし、フローリアの方もアクトに対して相当に気を許しているのか彼の傍から離れることはなく常に隣に寄り添うように立っていた。

 …どうしてかは皆目見当もつかないが、妹の方は才能という面で圧倒的に劣っているはずの兄にかなり懐いているようだった。


 人の価値というものを才能や地位という一面でしか測れないゴアグルにとって、その事実は非常に不可解なものだったが……まぁ、今はそんなことはどうでもいい。

 ここで重要なのは、アクトという存在がフローリアにとっても大きなものであり、おそらく心の支えとなっているであろうという事実だった。


「……ふむ。となれば、やりようもあるか。アクト・フィービルには消えてもらうとしよう」


 そこで考え付いたのは、彼にとってはいつもと何ら変わらない当たり前の思考で……他者からすれば、理解できない思考回路だった。


 フローリアにとってアクトの存在は支えであり、他の何にも代えがたい大切なものだ。

 そんなところにゴアグルという部外者が立ち入ろうとしたところで、受け入れられるわけがない。そのくらいのことはさしもの彼であっても理解できている。


 …ならばどうするか。その答えは簡単だ。


 その支えとなっているアクトを

 あの忌々しい貴族の子供さえいなくなれば、フローリアはひどく心に傷を負うだろう。

 そうなれば、自分があの少女の心に入り込むことなど容易い。


 自らで悲劇を演出し、その解決策までも己の手で演出する。

 もはや喜劇とすら呼べない茶番のような醜い思考だったが、彼の中では完成された一つの流れとしてそれは脳裏に浮かび上がっている。


 この事実が露呈すれば面倒な騒ぎが起こるだろうが、心配することではない。

 幸いその手の伝手つてはこれまでの人生で何度も使ってきたし、いつものように作業をこなすだけだ。


 …バレることはない。何せ自分はなのだから。


 まるで自分に自分で暗示をかけるかのように、そうやって己の正当性を信じ込むことで彼はここまでのし上がってきたのだ。

 それが正しいのかどうかは……考えるまでもないことだが。


「…くくくっ。あの小僧も、私のためにその命を全うすることができるのだ。妹の方も有効活用はできるようだし、存分に可愛がってやろう」


 もし他人に聞かれていれば、まず間違いなくその首は撥ね飛ばされているであろう発言。

 だが、そんな言葉は誰もいない部屋に静かに吸い込まれていき……そこには彼の意地汚い笑い声が響くだけだった。


 女神に仕える者の純粋なる悪意の刃。

 それはまさに、渦中の人物であるアクトを食いちぎらんと襲い掛かろうとしていた。





 ……そして、その部屋の外で美しいがたなびいていることもまた、誰にも知られることはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る