第三話 この世界の知識


 俺が転生してから二年の歳月が経過し、ようやくまともに歩き回れるようになり、少しずつではあるが言葉も話せるようになってきた。

 まだはっきりとした単語なんかは難しいが、赤ん坊の頃と比較すれば大きな成長であることは間違いない。


 だが見た目もかなり成長してきたようで、今では母親譲りの銀髪もそれなりに伸びてきた。

 それと自画自賛になりそうだが、うちの両親は容姿がかなり整っているのでその遺伝子を受け継いでいる俺も整った顔立ちになってきているらしい。

 別に容姿が全てなんて言うつもりはないが、それでも悪いよりは格段に良いのでどうかこの調子で成長を続けてほしいものだ。


 まぁそれはそうと、今日も今日とて俺は魔力の操作訓練を繰り返し行っている。

 かつては大きな塊をほんの少しだけ動かすのが精いっぱいのものだったが、この二年間暇さえあればそれを実践していたので、今では魔力を細かく分解して全身に循環させることもできるようになってきた。


 これが魔法を扱う上で必要な能力なのかはともかくとして、確かに自分の成長を実感できる要素があるというのはモチベーションにも深く関わってくるので、これだけの成果を出せたとも言えるだろう。


 あぁちなみに、俺が魔力を操作できることは誰にも言っていない。

 その理由は主にいくつか挙げられるが……最も大きなものとしては、まだ魔法そのものが一般的なものであるかどうかがはっきりとしていないから、といったところだ。


 俺が行っているのは魔力の操作という一面に過ぎないが、そもそも魔力を有する者が稀だという可能性だって考えられる。

 魔法の生み出す利益や影響を考えれば、仮に魔法を扱えるものが少数だった場合面倒な事態を引き起こしてしまうかもしれない。


 いらぬ心配に過ぎないかもしれないが、この辺りは知識を手に入れてから公表しようと考えている。


「アクト様、またジッとしてらっしゃいますが、どうなされましたか?」

「あっ、めありー! べつになにもないよ?」


 そんなことを考えていると、俺に話しかけてくる者が一人。

 パッと振り返ればそこには、メイド服を着こなした女性が立っており、不思議そうにこちらを見ている。


 彼女の名前はメアリー。フィービル伯爵家に仕えるメイドの一人であり、その中でも比較的若い彼女は、今ではほとんど俺の専属世話係のような形になっている。

 これは可能な限り年齢が近い者を俺にあてがうことで、不要なストレスを与えることのないようにとしてくれている両親の優しさゆえのことだろう。


 それに若いからといって、彼女が未熟かと言えばそんなことはない。

 むしろその仕事捌きは見事の一言であり、こちらが気づかぬ間に一通りの作業を終えていることだって少なくないくらいだ。


「ちょっとほんをよもうかなっておもってただけだから、それくらいかな?」

「まぁ! アクト様はもう文字が読めるのですか!?」

「う、うん……まぁね」


 手を口で覆いながら、驚愕したかのようなリアクションを見せてくる彼女だが、その反応も当然のものだ。

 いくら教養を受ける環境が平民よりも整っている貴族だからといって、さすがに二歳から読み書きができるというのは異常だ。


 この世界の情報を集めるために必須のことでもあったので、時折メアリーに本の読み聞かせを頼み、その際に読まれた言葉と文字を一致させながら必死に覚え、習得したが………。


 それこそ、この事実が明かされれば神童だなんだともてはやされてもおかしくはないし、それはあまり望むところでもないが……こればかりは仕方がない。

 どれだけ隠そうとしたところで、結局いつかはバレることでしかないし、それが早いか遅いかの違いでしかないのだ。


 それに、文字が読めるという事実をひた隠しにしたままコソコソと本を読むわけにもいかないし、それならば早々に明かして知識の収集に協力してもらった方がいい。


「だから、ほんのあるおへやにいってもいいかな?」

「そうですね……では、念のため書斎に行っても良いか許可を頂いてくるので、それまで待っていてもらっても良いですか?」

「うん、わかった!」


 そう言うとメアリーは、俺のいる部屋を出て本が収められている書斎に入る許可をもらいに出ていった。

 おそらく、父さんに話を通しておく必要があるので、それを伝えに行ったのだと思うが……少し暇になってしまった。


(…魔力の制御でもして待ってようか)


 最近ではほとんど無意識でもできるようになってきた魔力の操作だが、もはや癖レベルにもなってきているので相当に熟達してきたと思ってもいいのではないだろうか。

 あまり自惚れるつもりもないが、そう思い込んでしまいそうになるくらいには、上達してきていると思う。




 それからおよそ五分程度が経過した頃、部屋のドアをノックする音がしたのでメアリーが戻ってきたのかと思い入る許可を出せば、予想通り彼女が入ってきた。


「アクト様! 書斎に入る許可が出ましたのでご案内しますね。ただ、くれぐれも暴れたりしないように、だそうです」

「わかったよ。それじゃあ、はやくいこう!」


 問題なく本を読む許可も出されたそうなので、催促するように勢いよく立ち上がれば、メアリーは微笑ましい笑みを浮かべながら俺のことを抱きかかえてくる。


「ふふっ。分かりました。それでは少し書斎まで距離がありますので、失礼いたしますね」

「う、うん…」


 てっきり自分の足で向かうものだとばかり思っていたので、突然抱き上げられたことに戸惑ってしまうが、二歳の足ではそこまで長い距離も歩き続けられないので素直に甘えておく。

 ほんのわずかな時間ではあったが、他人に抱っこされているという状況に多少の羞恥心を覚えながらも耐えしのぎ、ようやっとたどり着いた先では部屋中にびっしりと本が収められた書斎があった。


 ちなみに、この世界では本というのは貴重なものだ。

 前世では発展していた写本技術がまだまだ途上なことと、そもそもの文明のレベルが低いこともあって情報が記された本はかなり高価で取引される。


 文明のレベルが低い原因としては、魔法の存在もあるのだろう。

 前世では科学技術が広く浸透していたことと、それを用いて様々な技術の原理が構築されていたが、それはこの世界では通用しない。


 良くも悪くも魔法という便利かつその原理が不透明なものの存在が文明の進歩を遅らせ、それがこのような状態を生み出しているのだろう。

 まぁ、日常生活においては魔法具というちょっとした家電製品にも似た効果を持った道具が活用されたりしているのでそこまで不便は感じないが、やはりこうした場面だと前世の技術が欲しくなってくる。


 結局、魔法も科学技術もどっちもどっちといったところだ。

 利便さでは五分という感じだが、それぞれにメリットとデメリットがあるところは変わらない。


 …っと、今はそんなことはどうでもいいか。

 せっかくここにやってきたのだから、時間は無駄にしたくない。


「はい。では何か気になるものがございましたら私がお取りしますので、遠慮なく声をおかけください」

「そうだなぁ……じゃあ、あれをとってもらっていい?」


 そうして俺が指さした先にあったのは、一冊の本。

 厚さはそれほどのものではなく、そこまで時間をかけずに読み切れるだろうということと、あの中身に今最も欲しい知識がまとめられているので選んだ。


「こちらですか? まだアクト様には少し難しいと思いますが……」

「ううん。それがいいんだ」


 メアリーにはそれを取ることを少し渋られてしまったが、こちらとしても折れるつもりはない。

 まだ幼い俺には読みづらいという判断からそう言ってくれているのは分かり切っているが、そんな心配は無用なのだから。


「分かりました……はい、どうぞ」

「ありがとう! …えーっと、このあたりかな」


 こちらがどれだけ言っても折れないことを察したのか、観念したかのように本棚から目当ての書物を取って差し出して来てくれた。

 それに対して礼を告げ、近くに腰掛けながら早速本を開いて中身を読み込んでいく。


 俺が選んだもの。それはこの国に関する歴史書に当たるものだ。

 現状俺に足りていないものといえばもっぱら知識であり、その中でも自らが暮らしている場所に関係する地理や歴史といった情報は真っ先に仕入れておきたかった。


 これでもし俺の身分が平民だったならそこまで優先することでもなかったが、今の俺は貴族という立場があるので国について何も知らないというのはいくら何でもまずいという考えもある。

 まぁいずれは必要になるものだろうし、その先取りだと思っておけば無駄になるものでもない。


 それから俺はメアリーが見守る中で黙々と読書を続け、大まかなこの国の歴史の知識を手に入れていく。

 時折この世界独自の表現なのか、少しわかりずらい文言があったのでそこはメアリーに質問し、順調に読み進めていった。


「……ふぅ。なるほどね」


 パタリ、とそれまで読んでいた本を閉じ、その中に収められていた情報を頭の中で反芻する。

 与えられた情報量の多さゆえにその処理に頭が疲弊しているが、それに見合うだけのものは得られただろう。


 まず、俺たちフィービル伯爵家が治めている領地。

 その大元でもある国家の名前は「リナリア王国」。数ある国の中でも大国に位置づけられるそうで、軍事力や影響力なんかもそれに比例するように強大なものだそうだ。

 政治体制としてはほとんど予想できていることでもあったが貴族制を採用しており、それぞれの土地に関する権力を分散させている。


 成り立ちとしては今から数百年ほど前。健国王とも呼ばれているアルガード・リナリアという青年が広大な草原が広がっていた土地の国を興し、それが今の王都ともなっている場所の起点になっているようだった。

 やはり歴史の中でも重要な立ち位置にいるからか、本の中でも大層素晴らしい人物だったと述べられていたが……こういうのはある程度脚色がなされるものだし、そこは話半分に捉えておけばいいだろう。


 それと、リナリア王国以外にも当然だが国は存在している。

 その中でも自国を含めた三国が主要な国家として数えられているようで、この世界はその三つの国のパワーバランスが釣りあっているからこそ平和な時代が保たれているらしい。


 その国というのは、一つ目は「レガルダ帝国」。

 国としての広さはそこまででもないが、ここは技術力で他国とは一線を画すものを持っているようで、世界中に普及している魔法具の九割がかの国で作られたものだそうだ。


 …そして、リナリア王国はレガルダ帝国との小競り合いが絶えないという情報も、本の中にかなり遠回しな表現ではあるが書かれていた。

 これに関しては、国同士の物理的な距離の近さもあるのだろう。


 実はこの二つの国は距離でいうと馬車で一週間も走ればつくほどの近さだそうで、運行手段が発達していないこの世界では物流や交易なんかも他と比べて多いそうだ。

 その分、そこで繰り広げられる技術の応酬も凄まじいそうで、国家としての優位を示すためにあの手この手で争いが起こっているとのことだ。


 まだ戦争なんかの表立った戦いなどは起きていないそうだが、正直勘弁してほしい。

 個人的な感想としては無用な諍いを起こす必要なんてあるのかと思ってしまうが、まぁ大国が弱腰を見せるわけにもいかないんだろうし、必要なポーズでもあるのだろう。

 せめてこちらに争いの火が飛んでこないことを祈るばかりだ。


 次に、大国に数えられる二つ目の国は「シャルリーゼ聖国」。

 ここは技術力で言えば帝国はもちろん、王国にも少し劣る程度のものだそうだが、そんなことよりも教会と深く根差した宗教国家なのだ。


 この世界における宗教というのは、最も巨大な組織として世界創造の神ともされている女神を崇拝する教会があるらしい。

 そしてその信者の人数も馬鹿にならないようで、なんとあの国は住人全員がもれなくその信者であるという話だ。


 最初それを知った時にはにわかには信じがたいと思ったものだが、思い返してみれば前世でも宗教と結びついた国というのは存在していたし、俺の常識では考えにくいというだけで案外普通のものなのかもしれない。

 そしてその領土もまた圧倒的で、何と世界でも最大の国家面積を誇っているらしい。


 その広さを有効活用した農作や産業で大きく発展しているようだが……こちらに関しては王国との距離がかなり離れているので、帝国とは違ってそこまで国家の仲は悪くないようだ。

 …それでも、完全に手を取りあえるほどいいかと聞かれれば微妙なところらしいので、やはり政治というのは面倒なものだと痛感した。


 まぁ、主な国の情報はこんなところか。

 当初の目的であった知識を得るということは達成できているし、これだけのことが分かれば十分に及第点だろう。


「うー…ん。すこしつかれたな……」


 長い間腰掛けていたからか、少し体が凝ってしまったようだ。

 伸びをしながらそれをほぐしていれば、これまで静かに見守ってくれていたメアリーが声を掛けてくる。


「アクト様、用事は済みましたか?」

「うん。わざわざつれてきてくれてありがとうね!」

「いえいえ、それが私のお仕事ですから。それともう少しでお食事の時間になりますが、食堂にご案内しましょうか?」

「えっ、もうそんなじかん?」


 よほど読書に集中していたからか、そこまで時間が経っているとは露にも思っていなかったのでふと窓から外を見てみれば、少し暗くなってきている。

 確かに時間にしてみれば、もう少しで夕食の時間か。


「…そうだね。そろそろいこうかな」


 先ほどまで意識していなかったが、わずかに空腹感も感じてきているし、読書も一区切りをつけられた。

 移動するのもいいタイミングだろう。


 手に持っていた本をメアリーに手渡し、片付けてもらう姿を横目に見ながら俺は書斎を出ていく。

 必要にしていた知識もゲットできたし、有意義な時間を過ごせたと言えるかな。

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