第十話 莫大な才能


 いよいよ訪れたその日。

 今日は母さんの出産予定日でもあり、そのためにも朝から屋敷が慌ただしく動いていた。


 そんな中で俺はある一室の前で待機し続けており、その時を今か今かと待ち続けている。

 いつまでも落ち着かない精神を無理やり鎮めながら、もう何度吐き出したかもわからない溜め息をこぼすと、そんな俺に近づいてくる者がいた。


「やっ、思ってたよりも落ち着いてるね」

「…ししょう、きたんですね」

「そりゃ来るさ。可愛い弟子の兄弟が生まれようとしてるんだから、それは見過ごせないって」


 いつもと変わらないローブを身に纏いながら気さくに話しかけてきたのは、他でもない師匠だった。

 気分次第でコロコロと行動を変える人なので、この出産というタイミングでは来ないだろうとも予想していたのだが……そんな考えとは反してあっさりと訪れていた。


 まぁ、何だかんだで優しい人だ。

 自分の友人が頑張っているところを見届けようとでも思ってやってきたのだろう。…俺の出産の時には来なかったらしいけど。


 それは少し気になるところだったが、今はいい。

 それよりも大事なことが目の前で行われているのだから、余計なことを考えている余裕なんてない。


「それで? まだ産まれてないんだね」

「……はい」


 師匠が言う通り、まだ出産は終わっていない。

 俺たちが待機している廊下の正面に位置する部屋では固く閉ざされた扉があり、その奥では母さんたちが奮闘している最中だ。


 部屋の中には家族だと父さんだけが入室を許可されており、俺たちは無事に一段落するまでは外で待つように言われている。

 部外者が多数いたところで邪魔になるだけだろうし、それに関しては俺も同意しているのでこうして静かに待っているというわけだ。


 しかし、俺が待ち続けてから既に結構な時間が経過しているので、それもそう遠い話ではないだろう。

 そんなこんなで訪れた師匠と軽い雑談を交わしながら、長く感じられた時間をひたすらに耐えていれば………ようやく、その瞬間はやってきた。


「っ!」

「おっ、無事に上手くいったみたいだね」


 永遠にも思えた一分一秒を固唾をのんで過ごしていると、不意に扉の奥から赤ん坊の泣き声が響き渡って聞こえてきた。

 それはまるでこの世に生まれ落ちてきたことを証明するかのような力強さを持っているようで……何よりも雄弁に、現状を物語っていた。


「私たちももう少しで呼ばれるかもね。今のうちに覚悟決めておきなよ?」

「…わかってますよ」


 無事に出産が終わった今、俺たちが入室されることを許可されるのもすぐのはずだ。

 中からかすかに聞こえてくる祝福の声を聞くに、母さんも問題なく済んだようだし、ようやく不安だった懸念事項も片付けられたと言うべきか。


 そうして安心していると、師匠から軽く肩を叩かれながらこれからに対する激励なのかからかいなのか曖昧な言葉を送られる。

 …言われずとも、もう兄になることへの心構えは決めているんだ。

 今更取り乱したりするようなことはしないさ。


 そして、少しの時間が経った時。

 ようやく俺たちも入室しても大丈夫とのことなので、師匠と二人で立ち上がりながら閉ざされていた扉を開ければ────


「……なっ!?」

「っ! …これは、とんでもないね」


 ──その瞬間、部屋全体を覆い尽くすかのごときを目の当たりにしてしまった。

 俺は普段から魔力を眺める機会が多いので、その影響もあって無意識の間に魔力の可視化をオンにしてしまっていたのだろう。


 …そして魔力が見えるからこそ、見えてしまうからこそ、この光景の異常さもはっきりと理解できてしまった。

 暴風のごとく荒れ狂う魔力の奔流に、俺はともかくあの師匠でさえ冷や汗をかいているくらいだった。


 師匠は俺とは違い魔力を直接見ることはできないが、おそらく感知することによってこの現状を察したのだろう。

 しかし、いつまでもうろたえてばかりではいられない。


 この莫大な魔力の大元にもなっているであろう原因を探ろうと、飲み込まれると錯覚してしまいそうな量の魔力の流れを辿っていけば……には、すぐにたどり着くことができた。


(この流れの源……まさか、あの子が!?)


 俺の見た魔力の流れの出どころにもなっている位置。

 それは、今まさに生まれたばかりであろう赤ん坊から発せられているものだった。


「…っ、ししょう。これって……!」

「…うん。信じられないけど、全部あの子の魔力だ。それも、下手をすれば私に匹敵…いや、超えてるかもしれない」

「っ! …それは、すさまじいですね」


 それは、まさに衝撃的な事実だった。

 まだ生誕直後の赤子の段階で、師匠を超えうるほどの魔力を有しているのだ。


 これから育っていけば、どれほどの力を持つようになるのか……それを想像するだけで、思わず身震いしてくるくらいには濃密なものを感じさせてくる。


「アクトちゃん、レティシア! 来てくれてたのね。ほら、元気な女の子よ!」

「おぉ、アクトか。この子が我が家の長女だ。もっとこっちに来て見てごらん」


 出産の直後ということもあって少し疲れた様子の母さんと、その隣に腰掛けている父さん。

 二人は新しい家族の誕生に心から喜んでいるようであり、この状況を気にした様子はない。


 …それもそうか。

 俺たちがこれだけ狼狽しているのはあの子の魔力を感じ取っているからこそであり、本来他人の魔力を認識するには細やかな魔力操作技術が必要になってくるんだ。

 俺は魔力の視認ができるので例外だが、それを実践するためには師匠レベルの技量が要求されてくる。


 いくら両親といえどそこまでの技術は持っていないようで、この状況を理解できていないようだが……逆に、それで良かったかもしれない。

 自分の子供のこれほどまでに圧倒的な魔力を目にしたりすれば、混乱することは避けられなかっただろうし、それは望むところじゃない。


 ゆえに、俺と師匠だけが現状を理解しているこの状態は、まだ良かったのだろう。

 …そんなことを思っていた俺だが、ふと横に立っている師匠の顔を見れば、そこには苦々しい表情を浮かべながら立っている師匠の姿があった。


「…これ、少しまずいかもしれない」

「え? まずいって、どういうことですか?」


 ぽつりとこぼされた一言。

 それは、今までに聞いたこともない切羽詰まった感情が込められているようで、それが引っ掛かった俺は詳しいことを聞き出そうとする。


 …そうしてもたらされた言葉は、俺の想定を遥かに超える最悪のものだった。


「…多分、あの子は自分の魔力が制御できてない。普通なら無意識にでも魔力は体の外に向かっていくはずなんだけど……見たところ、それが内側に向かっちゃってる」

「…うちがわにむかうと、どうなるんですか」

「これだけ膨大な魔力が一点に集中するとなると、それだけ負担も凄まじいだろうし……最悪、魔力に圧し潰されて衰弱死するかも…」

「なっ!?」


 このままでは、あの子の命も危険だという事実。

 その言葉に、脳内が一瞬空白になりかけるが……すぐに冷静さを保つように努め、軽く呼吸を整えなおす。


「…なにかたいしょほうはないんですか? こっちでまりょくをそとがわにむけてあげるとか……」

「無理だよ。自分の魔力ならともかく、他人の魔力を操るのは難しいなんてものじゃないんだ。魔力には個々人によって決まってる波長みたいなものがあるんだけど、実行しようとするならその波長を正確に揃えなきゃいけない。…それは、私でもできない」


 苦々しく、悔しさをにじみ出した声でそう告げてくる師匠。

 自らの力不足を悔やむように、他人の家族を救ってやれない無力さを噛み締めるようにするその姿は、見ていて痛々しくもあるものだったが……そういうことならば、手の打ちようもあるんじゃないか?


「わかりました。だったら、それはおれがやります」

「…え、いやいや! 今言ったでしょ!? あの子の魔力を操るためには、魔力の波長を合わせる必要があるの! そんなの、直接魔力が見えでもしない限り不可能………あっ」


 そこまで言ったところで、師匠も思い至ったのだろう。

 この状況を打破するために必要なのは、精緻な魔力操作技術と魔力波長を読み取る能力だ。

 師匠が言っていた個々人によって異なる魔力の波長を見切るには、ただ感じ取るだけの感知では足りない。それこそ、目視でもしない限りは。


 …そう。ここにきて、俺の魔力を直接目視できる能力が役に立つのだ。

 今も尚苦しんでいるあの子の波長を読み取り、師匠からも太鼓判を押されている魔力操作の才がある俺ならば、救ってあげられるかもしれない。


「…確かに、アクトならいけるかもしれない。やったこともないから何とも言えないけど、やってみる価値はある」

「…とりあえず、やるだけやってみます」


 家族を救うため、ここからの作業には集中力を限界まで高めなければならない。

 失敗すればこの子は死ぬ。その事実に圧し潰されそうなプレッシャーが襲ってくるが、今はそんなものは無視だ。


 今は、俺の妹を救うことだけを考えろ!


 そのまま師匠の隣から離れ、小さなベッドの上で寝かされている妹の元まで歩いていく。

 一歩、一歩と進んでいくごとに魔力の奔流に飲み込まれそうになるが……あの子は、このとてつもない苦しみの渦中に置かれているんだ。


 なら、兄の俺がこの程度で弱音なんて吐いていられない。

 そう思い、気合いを入れなおして近づいていけば、やっとベッドの隣までたどり着くことができた。


「……あぅ。ぁーだ……」

「…ちょっと、ごめんな」


 一見すれば、ぐずっているようにも見える泣き顔。

 だけど、今の俺には分かる。これはぐずっているわけではなく、苦しんでいるのだ。


 ならば尚更、早く助けてやらなければ…!


 少しでも魔力に干渉しやすくなるように妹の頬に手を触れ、限界まで目を見開いてこの子の魔力を読み取ろうとする。


「…っ!」


 しかしそう簡単にいくわけもなく、むしろ膨大な魔力の情報を取り込んでいくことで俺の頭の方が痛んでくる始末。

 だが、そんな痛みは全てどうでもいい! ここで諦めるわけにはいかないんだ!


(この子の波長…! 特有の流れを読み切れ! そしてそれを再現しろ…!)


 頭の中で必死に自らを鼓舞しながら、ひどくなってくる頭痛にも根性のみで耐えていく。

 俺の限界が来るのが先か。魔力の再現が済むのが先か。


 そんな限界を競い合うレースがいつまで続くのかと思われたが、やがてそれにも変化はやってきた。


(…っ! これ、か! あとはそれを使って魔力を操れば…!)


 永遠にも思えた時間。

 数字で表せばほんの数十秒のことだったのだろうが、それでも今の俺にはとても長い時だった。


 けれど、その甲斐もあって特有の流れをつかむことができた。

 おそらくはこれこそがこの子の魔力の波長であり、それを俺の魔力で再現すれば干渉することもできるはずだ。


 そうとなれば、すぐにでも取り行う。

 もはや無意識にできるようになってきた魔力の操作を極限まで集中して行い、一片のブレもないことを確認したら魔力への干渉を始めていく。


(この子の魔力を、外側へ…! こっちに向かってくる魔力に、指向性を持たせるように…!)


 俺の魔力とは比べ物にもならない量の魔力を操るのは想像以上に精神を削り取られていったが、その負担は後回しにして今は滅茶苦茶に動き回っている魔力の濁流に一定の流れを生み出すようにしていく。

 一度大きな流れさえつくってしまえば、あとは簡単だ。


 巨大な川の流れにわずかな水が逆らって昇っていくことが無いように、一回流れに沿って流れていった魔力はそのまま一定の指向性を持ってうごめいていくようになる。

 そうしていけば、少しずつ俺の妹に向かって行く魔力は減っていき……やがて、全ての魔力は内側から外側へと向かって行くようになった。


「…でき、た……っと!」

「…また、アクトはさらっととんでもないことをして見せたものだね。まさか他人の魔力を操るなんて…」

「あっはは……ひっしだったもので…」


 無事にことを終えられたことで気が緩んだのか、足から力が抜けていきそうになるがそこを師匠が支えてくれた。

 かなり無茶なことをした自覚はあるので苦笑いも出てくるが、後悔はしていない。


 俺がやっていなければ間違いなくこの子の命は失われていたし、それを防ぐためならどんなことだってするつもりだった。

 俺が少し消耗するくらいで救えたならば万々歳だろう。


「なんにせよ、お疲れ様。…ほら、見てみなよ。お姫様が見てくれてるよ?」

「え? ……あっ」


 そう言って師匠が指さした先にいるのは、俺が今救ったばかりの妹。

 その子はじっとこちらを見つめるように顔を向けており……俺と目があった瞬間、満面の笑顔を向けてくれた。


「きゃははっ! だーっ!」

「…かわいいな」


 思わず見惚れてしまいそうなその笑みは、まさに天使が舞い降りたのかと錯覚させてくるくらいには愛らしいものであり、この笑顔を守れただけでも十分すぎるくらい、俺のやったことは正しかったんだと実感させてくる。

 叶うのならば、この子がずっと笑っていられるように守ってあげたい。…俺の中で、そんな思いも生まれてきた。


「あらあら。この子ったらアクトちゃんのことが好きみたいね。…いや、もうアクトお兄ちゃんかしら?」

「はははっ! 兄妹の仲が良いことは何よりだな」


 手足をじたばたとさせながら、俺の方に向かってこようとする妹の姿を見て父さんと母さんも笑い声を上げている。

 …何気ない、家族の日常。それを無事に守り通せたことは、素直に喜んでもいいのかな。




 こうして、俺たち家族の元に新たな命が加わった。


 莫大な魔力を有し、その才能の片鱗を実感させてくる幼子。

 ──俺の妹、フローリア・フィービルは産まれてきたのだった。

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