第二十二話 教会視察


 教会にやってきた俺たちを出迎えたゴアグルという男。

 パッと見ただけなら非常に穏やかな雰囲気を滲ませた中年の優しき男といった印象を受けるが、その奥に隠された粘りつくような感情を読み取ってしまった俺は警戒心を引き上げる。


 …というか、どうしてこんな人物がこの場所にいるんだ。


「ゴアグル殿。本日は無理を言ってしまってすまない。何分妹の視察というのが気になってしまったのでね」

「いえいえ。お気になさらずとも結構です。我々としてもアクト様のような方に足を運んでいただけたことは喜ばしいことですから」


 ニコニコとした笑みを崩さないまま、そんな言葉を俺に向かって投げかけてくるゴアグル。

 …だが、彼の俺に対する印象としては『我儘放題の貴族の坊ちゃんが才能ある妹に無理やりついてきた』とか、そんな感じだろうな。

 事前に相手が持っている情報と今感じ取った性格から考えれば、それくらいのことは平気で考えていそうだし。


 しかし、俺にはそんなことよりも一点だけ確認しておきたいことがあった。


「そう言ってもらえるとありがたい。…しかし、この教会の代表はシオルマ司教だったと記憶しているのだが、彼は一体どうしたんだ?」


 そう。俺が聞いておきたかったのは、この教会の代表者が目の前のと以前に聞かされた覚えがあったからだ。

 これでも貴族の嫡男として、領地の主要人物や主な地域のことは教えられているし、俺自身も自主的に調べて覚えている。


 その記憶が正しければ、本来ならここの代表者はシオルマという老齢の人物だったはずなのだ。

 彼は非常に人格者としても知られており、その噂は当主の息子でもある俺にも届くほどであり、民衆からの信頼も厚かったと聞いていた。


 もちろん、俺の知らない間に異動があった可能性は捨てきれないし、シオルマは司教でありゴアグルの大司教という立場の差を考えれば、彼が一時的な代表として出迎えているという線もあるが………。


 そんな俺の戸惑いを察したのか否か、ゴアグルはその平然とした態度を崩すこともなくあっさりと答えを教えてくれた。


「あぁ、彼ならば皆さまの前に出向くには不適格と思われたので、別の教会に異動となりましてね。そのため今回はわたくしが派遣されましたが、ご安心ください。案内はしっかりと務めさせていただきますので」

「…そうか」


 その一言で、大体の事情は察せてしまった。

 多分……というか、ほぼ確実にこのゴアグルという男は教会から送り込まれてきたフーリの懐柔要員なんだろう。

 それは理解できたが……まさか、以前からこの領に尽くしてくれていた人員を排してまでのことをやってくるとは思っていなかった。


 その言葉にはさしものフーリも驚かされたようで、彼女の横顔をチラリと見れば驚愕の表情を浮かべている。


 …それと、いくらフーリのことを引き入れたいからと言って、本人の目の前で聖職者が他人を下げるようなことを言うとか馬鹿なのか?

 そんなことをしたら彼女の教会に対する信用性は低くなるばかりだろうに……いや、それよりもまずこの対応自体がフーリからの印象を下げそうなものだが、教会は何を考えてこんなことをしたんだ?


 そんな答えの出ない疑問が俺の中でぐるぐると回り続けるが、いつまでも考えに耽ってばかりではいられない。

 あまり俺が進行役を務めてしまうのは良くないんだが……フーリは驚きで冷静さを失っていそうだし、こっちでやるしかないか。


「…それでは、教会内の案内を頼んでもいいか? あまり時間を浪費するのも良くないからね」

「…えぇ、そうですな」


 俺の言葉に頷いたようにしているゴアグルだが、一瞬その態度に邪魔者を見るようなものを含ませたところを、俺ははっきりと認識していた。

 …まぁ、彼の立場から考えれば本来はフーリ一人で赴いていたところに俺という部外者が立ち入ってきたのだから、気持ちは分からないでもないが……せめて、その内心を隠すくらいの努力はしてほしい。


 フーリはまだギリギリ気づいていないようだがそれもいずれは限界が来るだろうし、正面から向かって立っている俺に気づかれるようでは腹芸なんて全く考えていなさそうだ。

 明らかに選出する人員を間違えているとしか思えない。


 だが、今この場でそれを指摘して雰囲気を険悪にするわけにもいかないので、それには一見気が付かない振りをして話を進めることに注力する。


 表面上は友好な態度に見せかけながら、その裏ではとてつもなく黒い考えを両者ともに繰り広げながら、波乱万丈の視察は幕を開けた。

 …開幕からこんな調子では先が思いやられそうだが……何とか乗り切るしかないだろう。


 そんなことを考えながら案内のために歩き出したゴアグルの後に続いて、俺たちも教会の中を歩いていく。

 まだ表立ってフーリに関わるような仕草は見せていないが、それも時間が経てば化けの皮が剥がれてくるだろうし、気は抜けないな。


 目の前で厳かに歩いていく男の背中をそれとなく眺めながら、俺はそんな思考を巡らせていた。




 それからというものの、視察自体は予想に反して順調に進んでいった。

 まず最初に訪れたのは教会の中心に位置している礼拝堂であり、そこでは多くの信者と見られる民衆が祈りを捧げていたり、献金を渡していたりと至って普通の光景が見られた。


 やはりこういった場所に来るのは敬虔な者達が多いのか、想定していたよりも静かな雰囲気の中で真剣な雰囲気を漂わせながら跪いている姿はこの場の雰囲気も相まって、厳かなものを感じさせてきた。

 もちろん、そこにいるのは全員が真剣に祈りを捧げているわけではなく、中には家族で微笑ましく談笑を交わしていたり、友人と見られる者達同士で交流を取っていたりと色々な景色が確認できた。


 こうした場を見ていると、やはり教会というのが民の日常生活に溶け込んでいるものなのだということを嫌でも実感させられてくるな。

 どうしても前世の価値観が混ざってきてしまう俺としては、教会というのは祈りを捧げたり讃美歌を歌ったりと、典型的なイメージが染みついてしまっているのでその差に戸惑ってしまう。


 この世界では教会はそれだけに留まらず、むしろちょっとした外出先として活用されるくらいには身近な存在となっているので、もし俺たちが教会と敵対なんて選択肢を取って入れば、それに伴って数多の民衆が敵に回っていただろう。

 …だが、そのせいでフーリが狙われているとも思うと複雑な心境にならざるを得ないが、如何せん彼らとの距離感はいつでも重要なものになってくるだろう。


 そして、礼拝堂を一通り見終えた俺たちが次に向かったのはそれまでとは異なって比較的簡素な椅子が置かれた個室が無数に置かれた空間……前世で言う、懺悔の場のようなものだろうか?

 そんな場に案内されていったが、特段こちらに関しては言うこともない。


 まさか他人が自らの秘密を明かそうとしている場にずかずかと入り込むわけにもいかないし、いくら貴族とはいえそこまでの横暴を繰り返していたりすればこちらの評判を落とすだけだ。

 なので、その場に関してはサッと見終えたらすぐに退散することにして、比較的早くに終えることができた。


 …あぁそれと、このほんのわずかな時間でゴアグルがフーリにそれとなく勧誘を示していることが何回かあった。

 内容としては『フローリア様のような素晴らしいお方が居てくだされば、信者もご安心なさるでしょう』だったり、『女神様もあなた様の来訪を喜ばしくおもっていらっしゃる』だったり。


 直接的な物言いこそしてこなかったが、明らかにそこに含まれる意図としては向こう側に彼女を取り込むための言質を取らせるための誘導だったのだろう。

 もちろん、そんな場面をみすみす見逃すような俺ではない。


 案内を受けている最中にも常にフーリの方に意識は向けるようにしていたし、会話だって無属性魔法の【聴力強化】を使いながら盗み聞いていたので、程よいタイミングでその話に割って入り、それとなく話題を逸らすようにしていた。

 そんな対応をする度にゴアグルの態度が不機嫌になっていくのは手に取るように分かったが……それはあえて無視した。

 というか、こちらが反応したところでいいことなんてないしな。


 妹がその会話を望んでいたならともかく、フーリの方も一応は会話に耳を傾けながら心の中ではつまらなそうにしていたし、そんな話を聞かせたところで彼女にとっても良い結果につながるとは全く思えない。

 …まぁ、俺が割って入らずともフーリも決定的な返事は返さないようにしながら流れを誤魔化すように上手く受け流していたし、必要なかったとは思うけどな。

 念のためだ。


 なんにせよ、ここまでは上手く返事も切り返しながらやってこれたが……ある意味、これから向かう先がこの現状を変える一手になるかもしれないということで、俺の方も一層緊張感は高まっている。


「…では、こちらが診療所となっております。もしかすればフローリア様方には不快な場となってしまうかもしれませんが……」

「いえ、構いません。そのまま続けてください」

「…かしこまりました。それではこちらへどうぞ」


 …フーリが凛とした声色を告げれば、その扉の向こうへと誘導されていく。

 礼拝堂、懺悔の場と続いて教会の中でも大きな役割を持つ場所。


 怪我人の治療のために使われる診療所へと、俺たちは赴いていったのだった。

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