第二十九話 奪い合いの決着


 ほぼ同時に駆け出し始めた俺とウォアウルフの戦い。

 最初に迫ってきたのは俺が仕留めた一体の最も近くにいた個体であり、向こうはその身に宿る感情に身を任せるかのように俺へとその牙を突き立てようと真正面から口を大きく開いている。


 …だが、それはいくら何でも短絡的すぎる。

 どれだけ俺が実戦に慣れていない初心者だと言っても、こんな攻撃の軌道も丸見えな一撃に仕留められるほど冷静さを欠いているつもりはない。


 なのでその隙を突いて、俺の【身体強化】を上乗せした勢いから発せられた衝撃とウォアウルフの突撃によって発生した加速を利用するために俺は噛みつきの瞬間に横に飛び退き、カウンターとしてその腹に渾身の蹴撃しゅうげきを叩き込んでやった。

 いかに六歳児の身体能力であっても、連日のように体力をつけるために運動を重ねている俺の肉体性能を数倍化した蹴りともなるとその威力も半端なものではなかったようで、相手は思い切り吹っ飛ばされながら近くの大木に叩きつけられる。


 …見た感じ、あれだけでは仕留めきれなかったようだがまともに立ち上がることもできなくなっているようだし、戦線復帰は不可能と断定してしまって構わないだろう。


 ちらりと今吹き飛ばしてやった個体を眺めてみれば、ふらつきながらもこちらに向かってこようとはしているようだが相当に痛めつけられたようで、平衡感覚すら潰されたようだ。

 あの状態では脅威にはならないだろうし、放っておいても問題ないな。


 残りは二体となった敵の群れ。

 やつらは今の光景を見てもなお果敢に挑んでくるような愚か者ではなかったようで、警戒心をむき出しにしながらこちらのほんのわずかな油断も見逃さないと言わんばかりに毛を逆立てさせながら睨みつけてくる。


(…さすがに二体同時に来られたら対処が遅れる可能性がある。やられるつもりは毛頭ないけど、それでも怪我を負うリスクは潰しておきたい)


 この程度の魔獣が相手なら何体来ようと捌ききれる自信はあるが、物事に絶対はない。

 こちらの体力も無限ではない上、この後にも控えている戦闘のことを考えれば余計な消耗はするべきではない。


 しばしの間、俺たちの間で静かなにらみ合いの時間が続き、膠着した状況が訪れるが……いつまでも変わらない現状に痺れを切らしたのか、とうとう向こう側から二体同時に襲い掛かってくる。


(っ! 的確に俺のしてほしくないことをしてきやがったな…! 魔獣とはいえ、知能はあるっていうのか!?)


 この展開も予想自体はしていたのでさほど驚きはないが、それでもやつらの悪知恵の働き方には恐れ入る。

 魔獣は他の生物とは違い、まともな思考回路なんて存在していない。

 彼らが人やその他の生物に襲い掛かってくるのは本能に組み込まれた行動原理によるものであり、そこに明確な意思なんてないからだ。


 だというのに、今あいつらは現状における最善を、俺にとっては最悪の一手を打ってきた。

 それが狙ってやったのか、はたまた偶然だったのかは定かではないが、どちらにせよ厄介なことに変わりはない。


「こんのっ…!」


 だが、そんな相手の行動に後れを取るわけにはいかない。

 こちらは右手に構えていた短剣を目前に迫ってきたウォアウルフの脳天めがけて振りかぶる。


 内心、この動作に向こうが怯えて足を下がらせてくれたらとも期待していたのだが、そんな俺の想定などどこ吹く風と言った様子で飛び掛かってくる。

 ならばこちらも手加減をしてやるつもりはない。

 大きく振りかぶった短剣をその勢いのまま頭に突き刺してやれば、やつも一瞬痙攣した様子を見せてその瞳から光を消していった。


 …それでも、これで終わりではない。

 この場に残っているのは、俺ともう一体の魔獣なのだから。


 俺が一体のウォアウルフを始末している間に接近していたもう一体の個体は、攻撃直後の間隔を逃すまいといった鬼気迫る雰囲気を滲ませながら俺を噛み千切ろうとしてくる。

 手に持った短剣は未だ突き刺したまま。引き抜く間にあいつは俺との距離をゼロにしてくる。

 ならば【身体強化】を施した打撃で応戦する……いや、それも無理か。

 万全の態勢ならばまだしも、今の俺は目の前の敵にとどめを刺した直後で姿勢を崩している。


 こんな格好から繰り出した一撃では、ダメージこそ与えられても先ほどのように吹き飛ばすことは難しい。

 その間に俺はやつの牙の餌食にされるだろう。


(万事休す……って、そんなわけないよな)


 これ以上打つ手はない。…そう思わせることこそが、俺の狙いだ。

 ここまでの戦いでやつに見せてきた戦法。その中でをあえて見せてこなかったのは、そうした方が油断を誘えるから。


 確実な勝利をつかむために、必要なことだったからだ。


「【水刃アクアカッター】」


 もたらされた魔法名。

 俺にとって唯一の適性でもある水属性魔法の一撃から放たれた水の斬撃は、まさに攻撃を繰り出そうとしていた狼の首を切り裂いていった。




「……ふぅ。終わったか」


 遭遇した四体の魔獣の群れとの戦闘を終えた俺は、辺りに他の敵対生物の気配がないことを確認してからようやく息を吐いた。

 最後の水属性魔法を放った後に蹴りの一撃で吹き飛ばしておいた狼の命もしっかりと絶っておいたし、少なくとも奇襲をかけられる心配はない。


 そんな事情もあって敵地のど真ん中ではあるが、少し集中を緩めている。


「…にしても、初めて生き物を殺したっていうのに、案外罪悪感も沸いてこないもんだな」


 戦闘中は夢中のあまり意識を向けていなかったが、こうして落ち着いた状況になると数秒前の自身の行動を振り返る余裕も出てくる。

 まだ俺の傍には魔獣の残骸が力なくして転がっている状態であり、この光景を作り出したのは他でもない自分だというのに、罪悪感や気持ち悪さというのは全く襲って来なかった。


 俺の手にはまだ、短剣で斬り付けた際に感じた生物の肉が切り裂かれていく生々しい感触が余韻のように残っている。

 それを引き起こしたのは自分だというのに……終わってみれば、思っていた以上に呆気ないものだったな。


 この感傷の薄さは俺がもともとそういう人間だったからなのか……それとも、無意識の内に殺し合いという非日常の空気感が身体を慣れさせたのか。

 真偽の方は定かではないが、平常心に近い心持ちを保てていることは現状においてプラスに働いてくれるだろう。


 何しろ、戦いはまだ終わっていないのだから。


「魔力の方は……大分残ってるな。消耗しないように立ち回ったのもそうだけど、これならしばらく探索を続けても問題はない」


 己の内側に巡っている魔力の残量を確認すれば、比較的消費が少ない無属性魔法を主軸として戦っていたことも相まってそこまで減少はしていなかった。

 消耗していたのはせいぜいが最後に放った【水刃アクアカッター】くらいのものであり、それだって今の俺の魔力量ならそこまで大した消費にも入らない。


 フーリ達と比較すれば相対的に低く見える俺の魔力だが、一応は数年前から最大魔力量上昇の訓練は続けてきたし、微細な上昇量ではあるが成長だってしているのだ。


 …まぁ、今それを考えたところで仕方がない。

 現状で考えるべきは次の行動指針に関することであり、それ以外はまた腰を落ち着けられた時にでもすればいい。


 まだ今は近辺に魔獣の気配は確認できないが、また時間が経てば戦闘音や血の匂いに釣られて他の敵が現れる可能性も否定できないし、早いところここは離れた方がいいだろう。

 あまり死体を放置するのは良くないかもしれないが、長々と処理をしている暇もないのでとっととずらかってしまおう。


「日が落ちてくると俺も戦いづらくなってくるしな……問題なく戦えることは分かったし、目標はさっさと達成しておきたい」


 何気なく上の方を見上げれば、木々や多くの葉に遮られて見えづらくなっているが日の光はちょうど真上に来ていることが見て取れる。

 時間間隔はこの世界と前世はほとんど変わらないので、今は大体正午といったところだろう。


 だが、悠長にしていられる時間はない。

 ここが森の中だという環境を考慮すれば、夜の闇は街と比較してもすぐに降りてくるはずだ。

 そんな状況で戦おうとすれば、最低でも視覚は潰された状態での戦闘を余儀なくされるだろう。


 ただでさえ不慣れなコンディションでそんなことをすれば、思いもしない不意打ちを食らってやられる可能性が高い。

 それを避けるためには、ノルマの早期決着を目指す必要がある。


「そうと決まれば、早く中心部に向かって行った方がいいな。できることなら三時間以内に終わらせられれば御の字か」


 軽く今後の目標を定めれば、俺は森林のさらに奥深くへとめがけて加速して走り出す。

 記念すべき初戦は見事に勝利をつかめたが、今後もこうなるとは限らない。

 この結果に浮かれることなく気を引き締めておいた方がよさそうだ。

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