§007 奥義

 クレアが見せた腰を低く落とした抜刀の構え。

 それは先ほど俺が目撃したものと同じものだった。


「これが君の本気か……」


 俺がそう呟くが、もはや彼女の耳には届かない。


 彼女の纏うオーラは一変し、不思議と彼女を中心に熱波にも似た風が渦巻き出す

 灼熱の赤髪が舞い上がり、外套もばさばさと音を立ててたなびく。


 彼女の持つ最高の剣術。


 緊張がぴりぴりと伝播し、それは悪寒となって柄を握る手にも力が入る。


 ――これは俺も本気で受けなきゃマジで死ぬかも……。


 絶対に受けきらなければならないという危機感から、寸瞬でも視線を切らすまいと視線を固定。

 脚を後ろに引き、全身全霊の受けの姿勢に転じた。


 それを待っていたかのように彼女は業へと落ちる。

 前回と同様、まず音が消え、次に気配が消え、そして……最後に色が消えた。


 ――来るっ!


「――弧宝こほう――」


 彼女が小さくそう呟いた瞬間、雷鳴にも似た輝きを纏った彼女の身体が眼前に。

 同時に音速を超えた斬撃が俺を見舞った。


「――――ッ!」


(ガキンッ)


 響き渡る鈍い金属音。

 弾き飛ばされた剣が虚空を舞う。


「――――はっ?」

「――――やべっ」


 直後、俺の視界に映ったのは、刺突の姿勢のまま剣を弾かれ茫然とした表情を浮かべる赤髪の少女。


 そう。俺は反射的に剣に魔力を纏わせてしまったのだ。


「……あんた…………魔力は使わないって……約束したわよね……?」


 彼女は刺突の姿勢をスッと崩すと、視線を伏せ、つかつかとこちらに歩み寄ってくる。


「ちょ……待て! 話せばわかる!」


「うるさい! バカっ!!!」


 彼女がキッと視線を上げたその瞬間、俺の股間に鈍く重い衝撃が駆け巡ったのだった。


 ♦♦♦


 一瞬、気を失っていたようだ。

 あまりの鈍痛に目を覚ますと、赤髪の少女が俺の腕に肩をかけ、担ぎ上げるような形で木陰まで移動させているところだった。


「重い! 何であたしがこんなこと!」


 投げ下ろされた俺は脂汗を拭いながら、彼女にお礼を言う。


「……すまない。助かった」


「あんたが悪いんだからね。あたしは謝らないわよ」


 ツンとそっぽを向いて腕組みした彼女は、指をまるで貧乏ゆすりをするかのようにしきりに動かす。


「……ああ、わかってる。これは全面的に俺が悪い。君が謝ることなんて一つもないよ。本当に申し訳ない」


 鈍痛により苦悶の表情を浮かべながらも、俺は真摯に謝罪を述べる。


 そんな俺にほんの少しだけ視線を移した彼女だったが、尚もツンツンした態度は継続する。

 と思われたが、しばしの黙考を経て、悪態をつきながら向き直った。


「あ~もう! まったく世話が焼けるんだから!」


 もちろんこの件で悪いのは全面的に俺だ。

 けれど、彼女も男の秘宝に重篤なダメージを負わせてしまったことに、若干の罰の悪さを感じているみたいだ。


 彼女は俺の背中をさするかのように膝をついた。

 一瞬、介抱してもらえるのかとわずかに期待したが、彼女の発した言葉は俺の想像の斜め上をいくものだった。


「ここに四つん這いになりなさい」


「はい?!」


 あまり聞き慣れない言葉に思考が追い付かない。


 まさか介抱すると見せかけて、屈辱という名のお仕置きが待ってるのか。


 本気でそんな心配をしたが、鈍痛で動くことすらままならない俺に抗う術は無く。

 恥を忍んで四つん這いになる。


 すると、彼女は握りこぶしを作り、俺の背中を叩き始めた。


(とんとんとん)


「こうやってたら段々くるんでしょ。あたしだってそれくらい知ってるんだから」


 そう言ってなぜか得意気に腰辺りをとんとんする彼女。

 最初はいささか的外れなような気がしていたが、とんとんされているうちに、不思議と股間の鈍痛は落ち着いてきた。


 冷静さを取り戻した俺は、改めて謝罪を述べる。


「俺のせいでせっかくの仕合に泥を塗ってしまったな……」


 人間は個人差による多寡はあれど、誰しもが『魔力』を持っている。


 その活用方法が身体や武器に魔力を流す――【纏い】だ――。


 この【纏い】によって身体能力は飛躍的に向上し、武器は他を寄せ付けない破壊力を持つようになる。

 【纏い】によって武器がどれくらい強化されるかというと、それはさっきの一合から明らか。


 ――魔力を纏わせていない剣では、魔力を纏わせた剣には勝てない。


 これはある種、既定であり定理。

 たとえそれがどんなに強力な剣術であろうと奥義であろうとだ。


 つまり、魔力の使用を禁止していたあの仕合において、俺が魔力を使った時点で俺の勝利は確定した。

 俺のやってしまったことはそれぐらい反則中の反則なのだ。


 それがわかっているからこそ、俺は誠心誠意、彼女に謝罪する。


「本当にすまなかった。君の剣戟があまりにも速かったものでつい反射的に……」


「……もういいよ。わざとじゃないのはわかってるから」


 視線をこちらに向けずにぶっきらぼうに答える彼女。


「贖罪というわけではないけど、お詫びとして俺にできることがあれば何でもするよ」


 四つん這いで腰をとんとんされながら言うセリフでないのはわかっている。

 けれど、俺は元来不正を良しとしない性格のため、どうしても自戒せずにはいられなかったのだ。


 彼女はその言葉を聞いて、ふと手を止める。


「……もう本当にいいって。全部わかってるから」


「……え?」


 今までの彼女からは想像できない静かな声音に、俺は思わず困惑の声を上げてしまった。


 彼女は尚も視線を伏せたまま続ける。


「あたしだってね、剣にはそれなりに自信があるの。相手の実力を見誤ったりしないわ。あんたはあたしよりも強い。それは何回か打ち合ってみてすぐにわかったわ」


「…………」


「確かに結果としては、あんたの反則負けみたいな感じになってるけど、あたしはこんな勝ちは望んでない。真っ向からねじ伏せて『参りました』って言わせるのが本当の勝ちってものでしょ。だから今回は引き分け」


 やはり悔しさは隠しきれないのか。

 頑なに視線をこちらに向けない彼女だったが、ここまで言うと何かが吹っ切れたようにこちらに視線を向ける。


 そして、仕合前と全く同じ。無邪気な子供のような表情を湛えて言った。


「次は勝つよ、絶対!」


 その言葉に、意識するより先に口が動いていた。


「ああ、待ってる」


 俺自身、無意識に言葉を紡いでしまっていたことに心底驚いた。

 けれど、この言葉を受けた彼女の表情を見たら、何の後悔もなかった。

 だって、この時の彼女の表情は、これまでの鬱々とした空気を吹き飛ばすほどに、晴れ晴れとして美しいものだったから。


 股間の痛みも消えた俺は不思議な高揚感と充足感とともに木陰に腰かける。

 赤髪の少女もその隣に並ぶ。


 先ほどまで空気が震えるほどの仕合をしていたのが嘘のように、ゆっくりと時間が流れ、鳥はさえずり、風は頬を撫ぜる。


「……ねぇ」


「……ん?」


「――これからもたまに稽古付き合ってよ」


 なんとなくセンチメンタルな雰囲気が漂う。

 その事実に自身もハッとしたのか、顔を赤らめながら取り繕うように早口になる彼女。


「あ、いや、別に毎日とかそういうわけじゃないんだけどさ……例えば時間の空いた時とか……剣の稽古に付き合ってくれたら嬉しいかなって」


「別に毎日でもいいぞ」


「……え?」


「俺だってこう見えて毎日剣の稽古はしてるんだ。それなら断る理由はないだろ」


 俺の返答を聞いて、彼女の表情はパァっと明るくなる。


「……うん」


 またもや微妙な空気が流れ、再度、彼女は取り繕うように言う。


「あ、そうだ。じゃあ稽古に付き合ってもらう代わりにさ、あたしがアクアリーブルを案内してあげるよ。あたし、なんだかんだアクアリーブルに住んでそれなりに長いし、美味しい料理屋さんとかも知ってるんだよ。ね? ね? これならお互いにギブアンドテイクだし、貸し借り無しでよくない?」


 なんとなく必死な彼女に俺は思わず破顔する。


「そう言えば今日はまだ飯を食えてないんだ。出来れば安くて量が多い店を教えてくれると助かる」


「ふふ、そうこなくっちゃね」


 そう言って彼女は立ち上がり、俺に向かってしなやかな手を差し出す。


「あたしはクレア。クレア・スカーレットよ。あんたは?」


「俺はリヒト・クラヴェル」


「リヒト……か。四つん這いで悶絶してる奴にしては良い名前ね」


「四つん這いは余計だよ。それよりうまい店、任せたぞ。クレア」


「どんだけ食い意地張ってるのよ。今日の借りは絶対に返すからね。リヒト」


 俺とクレアは握手を交わす。


 まだ二人はお互いのことを何も知らない。

 でも俺はこの時、確かに感じていた。


 クレアの掌から伝わる強大な魔力の残滓を。


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