§049 ずっと待ってた
目を覚ますと、そこはまだ先ほどの草原だった。
どれくらい寝ていたのだろう。
星は変わらず瞬いているし、気温も夏らしい蒸し暑さ。
時間の感覚がわからなくなる。
身体を起こそうとしたところ、寝る前と今で、二点ほど異なる部分に気付いた。
一点目は、俺にお腹を冷やさないようにするための布がかけられていたこと。
二点目は――俺の胸らへんに何やら重みがあること。
「あ、リヒト。起きたんだね」
その重みの正体は……クレアだった。
クレアはずっと起きていたのか、若干まどろんではいるが、穏やかな瞳をこちらに向けている。
いや、それはいいとして……。
「な、なんでお前は俺の上に寝てるんだ」
俺は窘めるつもりで言ったつもりだが、当のクレアは「なにそんなこと気にしてるの?」といったような緩慢さだ。
まあ、それでもこのままだと会話も出来ないと思ったのか、クレアは俺の身体から離れると、真横にゴロンと寝転がった。
こうして、(かなり密着した)川の字の体勢で満天の星空を見上げることになった二人。
そんなセンチメンタルな空気の中、先に口を開いたのはクレアだった。
「なんかこうやって星空を眺めていると、あの日を思い出すね」
「そうだな。俺もちょうどあの日のことを考えてた」
あの日と言われて思い出すこと。
ゴザ奪還作戦の前日。
クレアの過去を初めて聞いたあの日。
クレアは話してくれた。
アクアリーブルのこと、
あれほど衝撃的な過去を打ち明けるには、相当な覚悟が必要だったのだと思う。
でも、同時にだけど。
自分の過去を知ってほしいという気持ちもあったのかもしれない。
秘密の共有、過去の共有は、相手への理解をより深める。
俺とクレアの関係が……あの日を境に一歩進んだことは……もはや否定のしようがない。
それに引き換え……。
俺は誰にも自身の過去を話したことがない。
いや、アリシアには少しだけ話しているか……。
それでも俺がアクアリーブルに降り立って以降は、自身の過去も、この地に左遷された理由も、アリシアとの間に何があったのかも話していない。
もちろん俺が左遷された理由に興味を示す者は多かった。
着任早々のゴップもそうだったし、その後の食道での一幕だってそうだ。
あらぬ噂を立てられてり、左遷軍師をあざ笑う誹謗中傷も日常茶飯事だった。
外から投入された異物。
そんな面白そうなものにこれほどまでに外界から隔絶された土地の人々が興味を示さないわけがなかったのだ。
でも……そんな中でもクレアは……俺の過去を問うてくることは決して無かった。
最初はこういった政治絡みの話には興味がないのだと思っていた。
俺の過去なんかよりも食事の方が大事。
難しい話よりも楽しい話が好き。
極論、俺という人間にはあまり興味がないのだと思っていた。
でも、それは大きな誤りだったと、クレアと多く語らうようになってから気付かされた。
彼女は気を遣ってくれていたのだと思う。
実は全然興味ありませんよという振りをして、俺が自ら話すまで待ってくれていたのだ。
俺の隣にいたいと豪語するほどの彼女。
特にアリシアとの過去なんて……本当は気になって気になってしょうがなかったのだろう。
そう思うと、心底悪いことをしてしまった思う。
もう潮時なんてタイミングは遥かに過ぎてしまったのかもしれないけど……。
「なぁ、クレア。君に話しておきたいことがあるんだ」
「……なに?」
クレアは俺の方を向かない。
只々、星空を眺めたまま俺に問う。
「少し長くなるかもしれないけど、俺の過去を聞いてほしいんだ。俺が何を思って――王国軍の解体――を信念に掲げ、中央で何を成し、そして、アクアリーブルに左遷されることになったのかを」
一瞬の静寂。
その後、ぽつりぽつり紡がれるクレアの声。
「……やっと話してくれる気になったんだね。話してくれる気になったのは、あたしが決闘で勝ったから?」
「……い、いや、それは……」
「じゃあ、あたしが決闘で負けたら、教えてくれなかったの? 貴方とアリシアさんの過去」
「……それは」
思わず横に寝転がるクレアに視線を向ける。
すると、いつから見ていたのか、雛罌粟色の双眸もこちらを向いていた。
微かに揺れる瞳に、しっとりとした唇に目が奪われそうになる。
出会った時のクレアは、もっと強気で破天荒で粗暴で豪快な、俺から見たらまだまだ子供な一人の女の子のはずだったのに……。
今、目の前にいるクレアは、艶やかで淑やかで落ち着きがあって、思わず息を飲んでしまうほどに綺麗な一人の大人の女性になっていた。
人とは短時間でこれほどまで大人になれるものなのだろうか。
彼女から問われた真意は、もし決闘に負け、戦場から退くことになった自分にはアリシアとの過去を話す価値がないのか、というものだ。
俺は彼女に目を奪われてしまった臆面もあり、逡巡しながらも、言い訳の言葉を上げ連ねようとする。
(……ぴとっ)
しかし、俺の言葉は、俺の唇にぴたりと当てられた彼女の人差し指一本によって遮られる。
「言い訳はしない。男でしょ。それよりも……」
彼女の手が俺に伸び。
身体目一杯に腕が回されると、先ほどと同じように彼女の顔が俺の胸に置かれた。
「……ずっと待ってた」
一言、吐息が漏れる。
ああ、やっぱり彼女はもう出会った頃の彼女ではない。
俺も彼女の細い身体に優しく手を回すと、ゆっくりと語りだす。
「俺は十四歳で入学した士官学校で、王国軍の闇を知った」
――そう。これは、俺というちっぽけな人間が、アクアリーブルという辺境の地に左遷されるまでの軌跡。
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