第2章【過去編】
§050 過去①
――俺はとある貴族の家に生まれた。
しかし、貴族家時代の記憶はそれほど強くない。
というのも、俺が十歳の頃、大きな革命が起き、我がエルフェミア王国は、絶対君主制から立憲君主制に移行したのだ。
これに伴って貴族制度も廃止。
世界初、議会制民主主義を謳う近代国家が誕生した。
そのため、俺の記憶に残る両親は、貴族としての両親ではなく、国に仕える公官としての印象が強い。
王国軍本部軍事参謀だった父。
士官学校の魔法教官だった母。
経歴的にも魔力的にも恵まれた家庭。
それに加えて、両親は『教える』ということが好きだったようだ。
子供のハンバーグに内緒でニンジンを混ぜるように、私生活の所々に両親は魔力を紛れ込ませていた。
例えば、やかんに魔力を付与して熱を発生させ、井戸に魔力に付与して位置エネルギーを利用するように。
そんな特殊な家庭環境を、俺は当たり前と疑うことなく、当たり前のように吸収していった。
一般的には、魔力を感じ取れるようになるのが七~八歳頃。
魔力を行使できるようになるのが、十歳頃と言われている。
しかし、俺は若干三歳の若さで、既に魔力を行使できるようになっていた。
「私の職場を見に来ないか、リヒト」
俺が十二歳になった時、父から声をかけられた。
父は非常に厳格な方だった。
勉強の時でも、魔力の訓練の時でも決して笑顔を見せない。
まさに軍の幹部に相応しい威厳の持ち主だった。
父が働いているのは王都に所在する王国軍本部。
我がエルフェミア王国は議会制民主主義に移行したこともあって、昔に比べると、王国軍の権威が低下していることは否めなかったが、それでも議会には軍関係者が名を連ねており、有事の際に力を発揮するのは王国軍。
そんな王国防衛の最前線と呼べる場所。
普段から父との雑談は多くなかったが、それでも俺は父のことを尊敬し、敬愛していた。
そんな憧れの父の職場に連れて行ってもらえるのだから、飛びつかないわけがない。
俺は二つ返事をして、父と共に王都にある王国軍本部へと向かった。
「……え、」
そこで目にしたもの……。
鳥肌が立った。
大量の酒瓶が転がり、タバコの煙で白く濁る作戦室と思しき部屋。
そこで軍服を身に纏った男達が賭け事に執心していたのだから。
男達は俺達が入室をした際に一瞥をくれたが、上官であるはずの父に敬礼の一つもない。
これが常識とはかけ離れた光景であることは、まだ十二歳だった俺でも十二分に理解できた。
「お父様、これはどういうことですか?」
「これが軍の現状だよ」
父は静かに答えた。
これが父の職場……。
憧れだった王国軍……。
俺は後に続く言葉が出てこなかった。
そんな俺を一瞥した父は、もうここには用はないとばかりに踵を返すと、中庭へと出た。
俺はそんな父を追いかける。
「近いうちに戦争があるってお父様は言っていたじゃないですか。それなのにこれでは……」
俺は自身の持つ知識、自身の持つ語彙を最大限使って、父に問う。
「ちゃんと戦争の話を覚えていたんだね。偉い子だ」
父はそう言うと静かに言葉を続けた。
「私は近いうちに戦争があると確信しているよ。でもね、そう考えている軍関係者は多くない。我が王国は他国よりも遥かに文明が進んだ近代国家。そんな我が国に戦争をしかけてくる愚かな国など無いと信じて疑わないのさ」
「…………」
俺はこの言葉に返す言葉が見つからなかった。
いや、正確には、自分の感情に整理がついていなかった。
確かに先ほど見た光景が異常なことはわかる。
でも、それは通常ではないというだけであって、「じゃあ何が悪いのか」と問われると……明確な答えが見つからない。
我がエルフェミア王国は歴史上、もう一〇〇年以上戦争をしていない。
そんな中、気の緩みが生じてしまうのは、ある程度仕方ないことかもしれないとさえ思った。
「さすがのリヒトにも難しすぎたか。悪いな、お前は聡明だから、つい大人としゃべるように話してしまうよ」
戸惑いの表情を浮かべた俺の頭に、どういうわけか父は手を置いた。
撫でられている?
このようなことをされたのは生まれて初めてだったので、俺は戸惑いを通り越して唖然としてしまった。
「正直なことを言えば、私も昔は国の行く末などに興味はなかった。軍略を勉強していたのも、決して国のためじゃない。私の知的好奇心を満たすため、私が単に好きだったから学んでいただけなんだ。優先順位は常に自分が一番。そんな身勝手で、どうしようもない男だった。でも、妻に出会い……お前を授かって、思ったんだ。――私はこの国を変えなければならない、と。お前を守るために」
この国を変えなければならない。
どうやって?と思った。
そんなことできるの?とも思った。
でも、子供の俺にはそんなことはむしろどうでもよかった。
俺は純粋に……父といつまでも一緒にいたかった。
静謐なる炎を宿した父の瞳を見据え、俺はゆっくりと問う。
「お父様、いなくなったりしないよね?」
そう言葉を紡いだ瞬間、どういうわけか涙が溢れていた。
特に何を想起したわけでもない。
父の言葉を半分も理解できたわけでもない。
それでも、父がまるで死地に行くような表情をするものだから……気が付くと瞳から大粒の涙がこぼれ落ちていたのだ。
「……んっ」
父は俺の問いに答えを窮したように、一瞬顔を顰めた。
この質問に即答できない時点で答えは自ずと決まってくる。
それは子供ながらによくわかったし、当然、父もそれに気付いていた。
それでも父は深く瞑目して、答えを急がなかった。
そして、数刻の後……父は笑った。
同時に俺のことを優しく抱きしめた。
「え、」
思わず声が漏れた。
急に抱きしめられたのももちろんだが、何よりも厳格な父が、普段笑みなど見せない父が笑ったことが意外だった。
もう顔は見えない。
声だけが耳元で囁かれる。
「また難しい話をしてしまったね。要はリヒト――お前の事が一番大切なんだ。お前だけは死なせたくない。お前だけは幸せになってほしい。そう強く願っているからこそ、私はこの国を変えなければならないのだ」
結局、父は俺の質問には答えてくれなかった。
俺にとっては国なんかより何よりも父の方が大切なのに。
その半年後。
父の予想どおり、隣国であるガイアス帝国との間で戦争が始まった。
覇道六大天という戦闘のスペシャリストを従えたガイアス帝国との戦争は苛烈を極め。
父はもちろんのこと、最後には士官学校の教官だった母も徴兵されて……二人が帰ってくることはなかった。
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