§051 過去②

 俺は十四歳になり、士官学校に入学した。


 士官学校とは名前のとおり王国軍の幹部である士官を養成する学校だ。

 王国軍に入るには、軍選抜試験に合格する必要があるが、士官学校の生徒は、三年間の教育課程を修了すれば、卒業と同時に少尉に任官することができる。


 受験資格はない。

 試験に合格し、自身の有能さを証明できれば、誰でも入学することができた。


 といっても十四歳で入学する者は稀。

 実際は高等学校に通う年齢と同じ、十六歳で入学するのが一般的であった。


 そんな中で、年齢だけでなく、既に魔力操作を極めつつあった俺に対する周りの態度は、まさに嫉妬に満ち溢れたものだった。


 そのため、学校でも浮いた存在となった俺は……結局、書庫に籠もって蔵書を漁る毎日を過ごした。


 そして、卒業まで残り半年となったある日、教官から声がかかった。

 俺が誰よりも早く教育課程の全範囲を修了していたこともあり、特別に戦地での実践訓練の許可が下りたのだ。


 派遣されたのは、ガイアス帝国領の国境に程近い小さな街。


 あくまで応援部隊しての参戦のため、前線よりも少し引いたところと聞いていたし、駐屯兵を主に送ることになるから無理に戦線に出る必要はないと言われていた。


 初めての戦場、初めての実戦だったこともあり、俺はこの言葉に少なからず安堵感を覚えた。

 俺がこの場で死ぬことはないと、そう思えたからだ。


 そんな半ば観光気分で向かった戦地。

 しかし、その甘い認識は、大きく塗り替えられることとなった。


 戦場では――まるで使い捨ての道具のように人が死んでいたのだ。


 俺は戦場に出たのは初めてだった。

 でも、授業の一環として、過去に中央で発生した戦争の録画映像は何度も見ていた。

 その映像は……もっと綺麗で、映画のように美しかったから……戦場とはそういうものだと思って疑わなかった。


 でも、ここは……。


 俺は録画映像と現実の違いを考え、すぐにその答えに辿り着くことができた。


 中央から派遣された兵士が極端に少ないのだ。

 中央軍人の紋章を付けているのは指揮官だけ。

 他は地方軍人……いや、比較的年若い子なども見受けられるから一般人も含まれているのかもしれないが、戦闘のプロであるはずの中央騎士団が前線に全くといっていいほど参加していなかったのだ。


 しかも、指揮官は無策に兵を投入するだけ。


 兵が死ねば補充すればいいと思っているのだろうか。

 いや、そもそも人間だと思っていないのだろうか。


 まるで機械のように兵に突撃指令を出す指揮官に、俺は確かな怒りを覚えた。


 指揮官に対して?

 いや違う。

 この怒りはもっと根源的な……この現状を野放しにしている王国軍に対してだ。


 初めて父の言葉を理解できた気がした。


「……こんなの間違っている」


 小さくそう呟くと、静かに剣を、俺は一歩、戦場へと歩み出た。


 その瞬間――


「そこの兵、止まりなさい!」


 ――隣から静謐な声が響いた。


 俺は直前に自らが無意識に発した言葉を思い出し、血の気が引いていくのがわかった。

 指揮官を、ひいては軍を批判するような言動は、当然ながら処罰の対象となる。


 俺は怖ず怖ずと声の主の方に視線を向ける。

 するとそこには、宝石を鏤めたような金髪を腰丈まで伸ばし、右手には大剣クレイモアを携えた女性が立っていた。


 すぐさま胸に掲げられた勲章を確認すると、それは地方の将官を示すものだった。


 俺は「終わった……」と思いつつも、一縷の望みを抱いて彼女に視線を向ける。


 しかし、彼女はこちらに視線は向けずに、戦場を真っ直ぐに見つめ。


「……貴方はこの光景を見て、おかしいと思えるのですね」


 そう呟いた。


 最初は俺を試そうとしているのかと思った。

 おかしいですと言わせて、更なる言質を取ろうとしているのかと。

 けれど、どうやらそれは違ったようだ。


「私はおかしいと思いますよ」


 俺を慮ったのか。

 彼女は俺の答えを待たず、独り言のようにそう口にした。

 彼女は更に言葉を続ける。


「……誰だって最初は信念を持っているんですよ。この国を変えたい、世界を良くしたい、人々の役に立ちたいって。でもね……それは身を置く環境によって如何様にでも変化します。慣れてしまうのです。そう、この腐りきった王国軍のように……」


 ……腐りきった王国軍。


 俺はその言葉に、父の言葉を重ねた。


「貴方もこの国を変えたいと思っているのですか?」


 気付いた時には、俺はその問いを口にしていた。


 その言葉に、女性将官は初めてこちらに視線を向けた。

 琥珀のような瞳が俺のことを射貫く。


「……そうですね。私はこの国を変える信念を持って、今、この場に身を置いているつもりです。これまでもその信念のために全力で戦ってきた自負はあります」


 しかし、そこまで口にすると、何やら思い直したように首を横に振った。


「いや、せっかくの場です。嘘はやめましょう。正直に言えば、私は今、迷うようになっています。国を変えるより、大切なものがあるのかもしれないと」


 そうして、彼女は振り返るように斜め後ろに視線を向けた。

 釣られるように俺もそちらに視線を向けると、少し離れたところに、馬に乗った少数の隊列が談笑をしていた。


 かなり若い部隊。

 中にはまだ年端もいかないような子供も交じっている。


「……部下ですか?」


 俺の問いに彼女は首を振る。


「家族です」


 この言葉が「本当の家族」を指しているのか、「家族のように大切」を指しているのかは、俺は俄には判断できなかった。

 それでも、何となく後者なんだろうなという心証を抱いた。


 同時に、俺は感じてしまった。


 ――彼女はもうすぐ死ぬかもしれないということを。


 別に死相が見えたわけでも、予知能力があるわけでもない。

 だから、あくまで感覚的なものだ。


 それでも、この時の彼女の表情が、初めて俺に笑いかけてきた父の表情と重なって……。

 どうにも彼女が「家族」と称した人達が……のように見えてしまって……。


 もうこれ以上、俺は彼女を見ることができなかった。


 彼女は去り際にこう言った。


「貴方の剣、魔力でできてますね?」


「え?」


 俺が手に持っていたものは、【纏い】と【放ち】の複合型【結び】により顕現させた魔法剣。

 ただ、顕現させる瞬間を見ていなければ、普通の剣と見分けがつくものではないはず。


 剣を出す瞬間は見られてないはずなので、彼女は何かしらの方法で俺の能力を看破したことになる。


 となると、彼女はおそらく【放ち】の能力者。

 しかも、かなり高度なレベルの……と思った。


「その表情は図星でしょうか。どうりで魔力の流れがおかしいわけです」


 そう言った彼女は俺の方に向き直ると、厳しい視線を向けて言った。


「――貴方はすぐにその剣を収め、この場で待機なさい。これは上官命令です」


 突如紡がれた銀鈴を振るうような声。

 そんな静謐ながらも力強さを包含した声に、俺は身を固めた。

 直立する俺を認めた彼女はコクリと頷くと、身を翻してその場を去ろうとした。


 ただ、待機の解除が出ないと俺は戦場に出ることができない。

 そのため、俺は一歩一歩遠ざかる彼女に問うしかなかった。


「どうしてこのような命令を?」


 その言葉に半身振り返る彼女。


「……どうしてですかね。貴方の持つ能力は大変貴重なもの。この場で失うには惜しすぎると思ったのは否定できません。けれど、それよりも、貴方が昔の私に似ていると思ったからかもしれません」


「え」


「だからこそ、貴方なら、私が見れなかった未来を掴み取れる気がして」


 その身勝手な言葉に、俺は思わず噛みついてしまう。


「未来を掴み取る? 随分と重い言葉ですね。誰かも知らない俺に、そんな運命を背負わせる気ですか」


 その言葉はさすがに予想外だったのか、大きな瞳を更に大きく見開いた彼女だったが、口の端を緩めると、冗談めかして言った。


「ふふ、昔から『重い女だね』って言われます。性分みたいです」


 まるで元彼でも思い出しているのかのように、「ああ、私はいつも真剣なんだけどな~」と笑みを浮かべる彼女。

 しかし、すぐに真剣な表情に戻すと、俺に向き直って言った。


「別に貴方に背負わせるつもりはありません。ただ、貴方にも考える時間が必要でしょうと思ったのです。もし、ここで死んだら、貴方はきっと後悔しますよ?」


 この言葉に俺はふぅと軽く息を吐いた。

 既に先ほどの激情が薄れてきていた俺は、彼女に言われるがまま、静かに剣を収めた。

 でも、これは決して上官命令だからではない。

 俺自身がこの場で死ぬことを良しとせずに、戦場に出ないことを決めたのだ。


 そんな俺を見て、彼女は微かに微笑んだような気がした。


「本当はもう少しお話をしていたいのですが……立場上それも許されず、申し訳ありません。私達は次の戦地に向かいます」


 彼女はそう言うと、心底すまなそうな表情を浮かべ、自身の部隊の下へと帰って行った。


 俺は遠ざかる彼女の背中を見つめ、思う。


 彼女は俺に何かを伝えたかったのか。

 それとも気まぐれで話しかけてきたのか。

 しかし、俺には最後までその理由はわからなかった。


 そんなモヤモヤとした気持ちを残したまま、俺はこの戦場を後にしたのだった。


 そして、士官学校の残り時間。

 いくつかの戦場を転々としたが、もう二度と彼女に出会うことはなかった。


 何となくの予想はあったものの、現実を突きつけられると居たたまれない気持ちになった。


 彼女は『信念』があると言っていた。

 でも、『大切なもの』ができたとも言っていた。


 彼女にとって、それは矛盾するものであったからこそ、彼女は苦悩し。

 結果として、『大切なもの』がとなって、信念の道半ばでその命を終えたのだろう。

 そう考えると、彼女が俺に託したかった未来というものは……一体どんな未来だったのだろうと思ってしまった。


 でも、彼女の言葉は確かに俺の心に大きな爪痕を残していたことを自覚する。

 彼女の言葉を契機として、俺の中にも【信念】と呼べるものが芽生えていたからだ。


 反面教師だ。

 俺は彼女の生き方を否定する。


 俺は決して『大切なもの』なものに踊らされて、本来の目的を見失ったりしない。

 常に合理的に、常に理性的に出世ルートを駆け上がる。

 そして、俺は彼女達がなし得なかったことを必ず成してみせるのだ。


 全ては王国の未来のために――俺は王国軍を変えてみせる。


 そんな呪いの言葉を胸に刻み、俺は士官学校を卒業した。



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辺境軍師の魔法教室~地方に左遷されたけど、俺だけ使える『魔力操作』で中央へと返り咲く 葵すもも @sumomomomomomomo

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