§026 リーゼ隊長①
――リーゼ隊長と初めて出会ったのは、あたしがアクアリーブルに売られ、
あたしは東方の国・レイディアント王国のとある武家の生まれ。
剣術の師範の父がいて、数学教師の母がいて、二人の兄がいて、三人の姉がいて……それなりに幸せな家庭だったと思う。
けれど、そんな家庭もある出来事をきっかけに瓦解してしまった。
戦争だ。
父と兄は戦争に徴兵された。
母は三人の姉と私をどうにか育てようとしたが、戦争が激化し始めた頃、領主が戦争費用という名目で法外な税を課するようになった。
元々、そこまで裕福ではなかった我が家。
母は、家族を守るために、四女であるあたしを、口減らしのために捨てた。
そこからの生活は地獄だった。
孤児となったあたしは貧民街の子達と混ざって残飯を漁る生活が始まったのだ。
あたしにも良心というものがあった。
そのため、盗みは絶対にしないと心に決めていた。
でも……貧民街で暮らし始めて三日が過ぎ、一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎた頃には、そんな気持ちも揺らぎ始めていた。
あたしは父から剣術を教わっていたこともあり、体力には自信があった。
貧民街にいた子供達の中では誰よりも足が速かったし、当時一番仲の良かったエミリーにもあたしが盗みに加わればこんなゴミのような生活はすぐに抜け出せると何度も誘いを受けていた。
あたしも空腹が限界を迎えていたこともあり、エミリーの甘言に乗った。
その選択が人生を変えることになるなんて夢にも思わず。
あたしが指示されて盗みに入った店には軍の兵士が待ち構えていたのだ。
その時初めて気付いた。
あたしはエミリーに売られたのだと。
そこからは知ってのとおり。
あたしは拷問の末、エルフェミア王国に買い取られ、このアクアリーブルに流れ着いた。
それがちょうど四年前、私が十四歳の頃だった。
――お前たちは兵器だ。
――アクアリーブルのために戦って死ね。
それが当時、司令官に昇格したばかりのゴップがあたしたちにかけた言葉だ。
戦闘に出れば
そう聞かされていたし、私はそれでもいいと思っていた。
家族には捨てられ、仲間と思っていた者には裏切られる。
度重なる拷問で痛覚は麻痺していたし、こんな辛い思いをしてまで生き永らえようと思うほど、あたしの心は強くなかった。
そして、初めての戦場。
あたしの目の前では、名前も知らない
その光景を目の当たりにしたとき……血の気が引いていくのがわかった。
――あたしは今日ここで死ぬんだ。
そう思うと自然と涙が溢れてきた。
死を覚悟していたつもりだった。
生きていても仕方がないと諦めていたはずだった。
でも、いざ死が目前に迫ると、剣を持つ手はわなわなと震え、挙句、失禁までしてしまっていた。
「しょんべん漏らしてやがるぜ」
目の前の兵士はあたしのことを嘲り笑った。
それだけならまだしも、その男はあたしの顔を認めると、その表情を更なる陰惨なものへと変えた。
「こいつ結構可愛いぞ。殺すにはもったいねー。捕虜にして楽しもうぜ」
愉悦にまみれた台詞。
この後、されるであろう行為を想像したら吐き気がした。
死にたくない。
でも、死ななければあたしはこいつらの慰みモノになる。
もう、初めから詰んでいたんだ……。
そこまで考えた後……あたしは自分の首に刃を向けた。
走馬灯が頭を駆け巡るかとも思った。
けれど、存外、あたしには冥途に持っていく思い出も、かけがえのない大切な人もいなかった。
人生の最期に「さよなら」を言う相手もいないのが、ひどく心残りだった。
そして、あたしは自分の首筋に剣を突き立て――
(ザシュ)
――ようとした瞬間、肉が断ち切れるような鈍い音とともに、生暖かい血しぶきが視界を赤く染めた。
耳をつんざくような悲鳴と共に先ほどまで陰惨な笑みを浮かべていた男はその場に倒れ、代わりにその場所には戦場に似つかわしくない絶世の美女が静かに佇んでいた。
一瞬、女神様が降臨なされたのかと思った。
しかし、彼女の濃紺の軍服には黒い染みができ、右手に持つ
彼女の名は――リーゼ・メロディア中佐。
アクアリーブル軍の幹部でありながら、
リーゼ隊長は腰丈まで流れる金髪を翻すように踵を返すと、あたしに厳しい視線を向けてきた。
髪色と同色の瞳には静かな怒りが見て取れ、今までアクアリーブル軍があたしたちにしてきた仕打ちを思い出し、思わず後退る。
そんなあたしに向かってゆっくりと歩みを寄せてきたリーゼ隊長が左手を大きく宙に掲げると――
(バチンっ!)
――乾いた音と同時に、右頬に強い衝撃が走った。
あたしは一瞬何が起きたかわからなかった。
けれど、右頬がジンジンと熱くなるのを感じて、すぐさま状況を理解した。
……あたしはリーゼ隊長から平手を受けたのだ。
兵器であるあたしは全てを諦めて自害しようとした。
敵と刺し違えるのでもなく、特攻をするのでもなく。
そんなことをしようとしたあたしがただで済むわけがない。
きっとこの後は生きるよりも辛い拷問が待っているんだ。
……なんだ、結局どうあっても詰んでるんじゃん。
そう思って、静かに瞑目した瞬間――あたしの身体は確かな温もりに包まれた。
あたしはハッとして目を開ける。
すると、先ほどまであたしのことを厳しい視線で見下ろしていたリーゼ隊長が、あたしのことを力一杯抱きしめてくれていたのだ。
あたしは今度こそ状況が理解できずに、ただ反射的にリーゼ隊長の背中に腕を回してしまっていた。
すると、耳元でリーゼ隊長の鈴のような声が聞こえた。
「生きることを諦めないでください。私は貴方達を決して見捨てませんから」
その全てを包み込むような優しい声音に、涙が出た。
今まで我慢していたものが決壊したかのようにボロボロと。
どんな拷問を受けても何も感じなくなっていた痛みが、右頬には確かに残っていた。
右頬の痛みが、抱きしめられた温もりが、幼少の頃、母に叱られた時のようで、ひどく懐かしくて、とても愛おしく感じた。
その日からリーゼ隊長はあたしの大切な人になった。
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