§025 信念

 私、クレア・スカーレットは小高くなった丘の頂上で、宙一面の星を眺めていた。


 普段は物思いに耽ることなんて滅多にない。

 難しいことを考えるのは苦手だ。

 だからこそ、変に考えこんだりして歩みが止まってしまわぬよう、常に前を向いて生きてきたつもりだ。


 ――明るく前向きな性格。


 自分でもそれが長所である自覚はあるし、そんな性格に好感を持ってもらっていることはわかっている。


 でも、あたしだって一人の人間だ。

 戦地に向かう夜ともなれば、言いようのない不安に苛まれることだってある。


 あたしはもうあの時のあたしじゃない。

 毎日稽古を重ねて強くなった。

 もう誰にも頼らなくても一人で生きていける。


 そう自分に言い聞かせてきた。

 言い聞かせてきたつもりだったが……。


 いざ明日には戦闘が開始されるかもしれないと言われると、どうしてもあの日のことを思い出してしまい、身体が竦んでしまった。


 今は紅一点となってしまった雑草部隊エルバ

 けれど、少し前まではもう一人いたのだ。


 天幕で枕を並べ、不安な夜でも楽しく語らい合えた女性士官が。


「……リーゼ隊長」


 あたしはその名前を口ずさんでいた。

 あたし達に生きる希望を与え、そして、自らは死を選んだ誇り高き女剣士。


『クレアは生きてください! 私の分まで!』


 瞼を閉じると今でも最後の戦闘の記憶が蘇る。


 この言葉はあたしの心にトラウマのように巣食うてしまった記憶だ。


 そう。あたしは今でもリーゼ隊長の影を追っている。


「……クレア?」


 そんな感慨深い夜に、後ろからあたしの名前を呼ぶ声が聞こえた。


「……リヒト」


 振り返ると、そこにはリヒトが立っていた。


 リヒトには涙を見せたくない。

 いつもの明るく前向きなあたしに戻さなければいけない。

 そんな思考が頭を過ぎり、気付いたら全てを誤魔化すように明るい声を出していた。


「何? あんたもトイレ?」


 敢えてデリカシーのないことを言ってみたつもりだ。

 そうすれば、リヒトもいつものようにお転婆な娘を窘めるような台詞を返してくれると思ったから。


 でも、今日は違った。


「天幕にクレアがいなかったから心配になった」


 思いのほか静かな声音にあたしの肩はびくりと跳ねる。


 そんなあたしに向けられる漆黒の瞳。

 まるであたしの心を全て写し込んでしまうような綺麗な黒色。

 そんな瞳を前に、罰の悪くなったあたしはつい視線を逸らしてしまった。


「そっか。心配かけてごめん。ちょっと星を見たくなっちゃって」


 あたしはぎこちなくなりながらもどうにか言葉を紡ぐ。

 けれど、リヒトはそんなあたしの言葉には答えず、ぶっきらぼうに言う。


「隣いいか?」


 あたしはコクリと頷く。


 隣に腰を下ろした二人の間に、何とも言えない沈黙が流れる。

 リヒトとは毎日剣術の稽古をしていた仲だ。

 でも、こんな真夜中に、しかも星空の下で二人っきりなんて初めてのことだった。


 あたしは早鐘のように鳴る心臓の音が聞こえてしまわぬよう、リヒトに話かける。


「皆と随分仲良くなったみたいだね」


「ああ、さっきはすまなかった。完全にバイデンに唆された」


 苦笑いを浮かべるリヒトに、あたしは笑いかけて言う。


「別にもう怒ってないよ。それよりもちょっと安心したかも」


「安心?」


 あたしの言葉にリヒトは不思議そうに小首を傾げる。


「うん。もちろんリヒトが無事に指揮官として受け入れられたんだなっていう安堵もあるけど、リヒトはさ、常に何かに追われているっていうか……焦ってるように見えるから。そんなリヒトもあたしの裸に興味があるんだって思ったら、ちょっと面白くって。それと同時にすごい安心した。リヒトもちゃんと年頃の男の子なんだなって」


「だからあれはバイデンのせいで仕方なく……」


 そこまで言ったリヒトは一度言葉を切ると、一拍置いて聞き返してきた。


「っていうか俺、そんなに焦って見えてたのか?」


「え? 自覚なかったの?」


 あたしはリヒトの言葉に思わず感嘆の声を上げてしまった。


 まさかあれだけ毎日調べ物やらなんやらをしてて、焦っていないと思っていたなんて。


「焦ってたよ。一緒にご飯を食べてる時だって、剣術の稽古をしてる時だって、軍書庫の視察に行った時だって。ゴップとの軍略棋で一個小隊を要求したって聞いた時はさすがにやりすぎでしょって思ったし」


「……そっか」


「リヒトはいつもいつも先のことを考えてた。あたしバカだからリヒトが何を考えてるのかはわからないけど、リヒトを見ていると……いつか遠いところに行ってしまう気がして……少しだけ怖かった。だから少しでも気分転換になればなと思って……この前はパスタ屋さんに誘ったりしたんだけど」


 ここまで言って顔の温度が急激に上昇するのを感じた。

 あたしはそんな表情を取り繕うようにすぐに話題を戻す。


「そこまで頑張るのは、やっぱり中央に戻るため?」


「……ああ」


 淡泊な返事。

 一瞬、これ以上聞いていいのかを考えて言い淀んだ。

 けれど、この前はリヒトのことを何も知らなかったことで少なからずショックを受けた。

 そんな気持ちはもうたくさんだと、あたしはリヒトの懐に一歩踏み込んだ。


「リヒトは中央に戻って何がしたいの?」


 もしかしたら、アリシアさんの話が聞けるかもしれないと思った。

 以前、兵卒がアリシアさんのことを侮辱した時のリヒトの形相。

 その表情を見た時、リヒトとアリシアさんの間に何かがあったことは確信した。

 あまり噂話とかに頓着のないあたしだが、このことは、気になって気になって仕方なかった。


 だからこその質問だったのだが、リヒトから返ってきた答えはまったく別のものだった。


「俺は……王国軍を解体したいんだ」


「え?」


 リヒトの突如紡がれた言葉を思わず聞き返してしまった。


「軍に身を置くものがこんなことを口にしてはいけないことはわかっているけど、クレアには話しておこうと思って」


 最初は冗談かと思った。

 でも、リヒトの言葉はどこまでも真剣で、あたしもその求心力に引き寄せられるように、黙ってリヒトの言葉に耳を傾ける。


「俺の最終的な目標はこの腐った王国軍を解体することだ。けれど、王国軍は非常に強大だ。真っ向から戦って勝てる相手ではない。だから、俺は内側から軍を変えることにしたんだ」


「…………」


「内側から軍を変えるには少なくとも中央で将官まで出世する必要がある。そのためにも俺はこんな地方で燻ぶってるわけにはいかないんだ。早く武勲を上げて、中央に戻らなければこの国は取り返しのつかないことになる」


 そこまで淡々と述べたリヒトは、噛みしめるように一拍置いて言った。


「これが俺の『信念』だ」


 ――王国軍を解体する。


 聞く人が聞けばこの言葉がどんなに危ういものかがわかる。

 けれど、そんな突拍子もないリヒトの信念をあたしはすんなりと理解することができた。

 なぜならあたしはこの言葉に聞き覚えがあった。


 そう。これは……リーゼ隊長の信念と同じものだったから。


 心臓の鼓動が速くなるのがわかる。


 あたしは『信念』という言葉が嫌いだ。

 だってあたしは身を持って知っている。

 『信念』という言葉は軽々しく口にしていい言葉ではないことを。

 この言葉は本人のみならず、周りの者にも大きな影響を及ぼす呪縛のようなものだから。


 命を賭してでも貫きたい意思がある者のみが使うことを許された言葉。


 そんな悲しい呪縛をリヒトは口にしたのだ。


 あたしはリヒトの意思を確かめるように、月明りに照らされた横顔に目を向ける。

 すると、どういうわけか、リヒトの姿が、一瞬、リーゼ隊長と重なって見えてしまった。


 そんな幻影はすぐに立ち消えたが、あたしに心を決めさせるには十分な時間だった。


「…………」


 そろそろ潮時なのかもしれないなと思う。

 リヒトは正式に雑草部隊エルバの指揮官となった。

 それなら……リヒトにも知る権利がある。


 叶うことなら……あたしのこの話でリヒトが命を賭さない判断をしてくれることを信じて。


「あたしもリヒトに話しておきたいことがあるんだ」


 そうして、静かに口を開く。


「あたしはリヒトと同じ信念を持っていた人のことをよく知っている。その人がどんな人生を歩み、どんな最期を迎えたのかを」


 リヒトがこちらに目を向けた。

 あたしはそれを認めるとゆっくりと語りだす。


「その名は――リーゼ・メロディア中佐――。雑草部隊エルバの元隊長」


 ――そう。これは、リヒトと同じ信念を持ち、その道半ばで命を落とした気高き女剣士がをまっとうするまでの、世界にとってはちっぽけで、あたしたちにとってはかけがえのない物語だ。


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