§024 夢想
『アリシア。俺は絶対に貴方を死なせない』
耳慣れた声に、私、アリシアはハッと目を醒ました。
冷や汗が滲む額を拭いつつ、私は視点の定まらない水色の双眸で茫然と辺りを見回した。
花柄のカーテン、桐でできた衣装箪笥、壁際に控えめに置かれた化粧台が月明りに照らされている。
そこは見慣れた自身の寝室だった。
――ああ、夢か……。
瞼に焼き付いた光景が夢だとわかり、私は思わず安堵のため息をつく。
荒くなった呼吸をどうにか落ち着かせようと、早鐘のように鳴り響く心臓を両手で押さえる。
すると、ネグリジェが汗でぐっしょりと濡れていることに気付いた。
「……着替えなくちゃ」
そう独り言ちると、ベッドから這い出てネグリジェの紐をするりと解く。
白銀の髪がふわりと舞い上がり、化粧台には艶めかしい肢体が映し出される。
「……はぁ」
アリシアは何とも言えない感情に苛まれ、まるで存在を確かめるように両手で自身の身体を抱く。
あの夢を見るのは何度目だろうか。
そう。あれは私の心にトラウマのように巣食うてしまった記憶だ。
リヒトが王都を去ってから二ヶ月が過ぎた。
中央第一騎士団には新たな軍事参謀が配属され、小規模ながらも何度か戦場にも足を運んだ。
だが、リヒトを欠いた中央第一騎士団は順調とは言い難いものだった。
もちろん中央で最大の戦力を誇る中央第一騎士団だ。
敗戦など万に一つもあり得ない。
あり得ないはずなのだが、今までであれば余裕だったはずの相手に、想像以上に手こずらされたことは否定しない。
新たな軍事参謀も非常に優秀だ。
リヒトと同様に士官学校を首席で卒業し、順調に出世してきた秀才とのこと。
軍上層部は彼の活躍を期待していた。
けれど、実際に戦地に赴いた者だけがわかる。
やはりリヒトの代わりは務まらない……と。
こんなことを考えること自体が傲慢であることはわかっている。
団長として新たな軍事参謀を受け入れ、再出発しなければならないこともわかっている。
リヒトに助けられた命だ。
それに報いるためにも、自身の信念の名の下に、命を燃やさなければならないことは重々承知しているのに……。
どうしてもこんな感情を抱いてしまうのだ。
――リヒトが隣にいてくれたら……と。
私は自身に問う。
――私はあの時死ぬべきだったのか……。
――リヒトの信念を犠牲にしてまで、私が生き永らえる理由があるのか。
私は真新しいネグリジェに袖を通すと、ガウンを羽織ってバルコニーに出る。
今夜は満月だ。
「……リヒト。どうして貴方は私を助けたのですか……」
今まで我慢していた声が思わず漏れたかと思ったら、決壊したように頬を一筋の雫が伝う。
「ねぇ……リヒト。私はどうしたらいいの。ねぇ……教えてよ……リヒト」
♦♦♦
『どうして私を助けたんですか!』
耳慣れた声に、俺はハッと目を醒ました。
見上げた天井には、鉄の支柱が張り巡らされ、白地の天幕をこれでもかと押し上げている。
背中に伝わるごつごつとした感覚が、ここが戦地に向かう野営地であることを思い出させてくれた。
もうこの夢にも慣れた。
だって毎日のように見ているのだから。
それほどまでにアリシアが放ったこの言葉は、俺の心にトラウマのように巣食うてしまっているのだ。
とある戦場で我が王国最強を誇る中央第一騎士団が初めての敗戦を喫した。
そう……俺がアリシアを助けたからだ。
俺がアリシアを見捨てれば我が軍は勝利できた。
合理的に考えればあの状況で戦場に飛び出すなんて選択肢が思い浮かぶわけもない。
今考えても自分でもなぜあんな行動を取ってしまったのか理解に苦しむ。
けれど……気付いた時には、身体が勝手に動いてしまっていたのだ。
この俺の判断により、確かにアリシアは九死に一生を得たかもしれない。
でも、その代価として、アリシアが当時中央第一騎士団と合わせて指揮を採っていた中央第四騎士団は壊滅した……。
アリシアは自身の死を覚悟していた。
そして、俺なら自身の信念を曲げずに、自身を見捨ててくれると信じていた。
けれど……俺は自身の信念に反し……アリシアの気持ちを踏みにじったのだ。
「…………俺はどうすればよかったんだよ」
今猶出せぬ答えに苛立ちを覚え、俺は髪を掻きむしる。
どうもこのことになると冷静さを失ってしまうのだ。
「……顔でも洗ってくるか」
そう独り言ちると、俺は傍らで寝ている皆を起こさないように立ち上がり、天幕の外に出た。
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