§023 野営
一日目の行軍を終え、
ゴザまでの道のりは実のところ非常に険しい。
植物がほとんど生育していない砂漠地帯もあれば、岩山や崖が集まる峡谷もある。
いまは峡谷地帯を抜けたところで、ゴザまでのちょうど中間地点。
そこは今までの峡谷地帯が嘘のように、木々が青々と茂り、透き通った小川が流れる、いわばオアシスのような場所だった。
「このペースで行けば予定どおり明日にはゴザに到着する。本隊の指示によってはすぐにでも戦闘になるから今日はゆっくり休んでくれ」
俺は
ぐるりと焚き火を囲った一同は、思い思いの方法で既にリラックスしているようだった。
クレアは焼き魚を頬張りながら愛剣の手入れ。
バイデンは到着した矢先から酒を煽り、エインリキは木陰に寄りかかって本を読んでいる。
ファイエルだけが唯一特に何もせずに焚き火を眺めていたため、俺はその隣に腰かけた。
ここは既に人里からかなり離れた場所であるが、野営である以上、当然、賊の襲撃や獰猛な動物との遭遇もあり得る。
俺は魔力を維持して周囲に警戒網を張りながら持参した干し肉を胃袋に収めた。
それから数刻が過ぎた後、愛剣の手入れを終えたクレアが不意に立ち上がった。
「ん? どうしたクレア。もう寝るのか?」
「さすがにまだ寝ないよ。山越えで埃まみれになっちゃったから水浴びでもしてこようと思って」
「水浴び?!」
その予想外の言葉に俺の心臓は大きく跳ねた。
え? 最近の女の子って野営地で堂々と水浴びするのか?
実のところ、俺の所属していた部隊の女性軍人は過去に唯一人――中央第一騎士団長のアリシアだけだった。
そのため、拙い経験則しか持ち合わせていないのだが、アリシアが野営中に水浴びを公言するなど、知る限り一度もなかった。
だからこそクレアの発言に俺は驚きを隠せなかったのだが、そんな俺を尻目にクレアはあっけらかんとした表情で既に水浴びの準備を始めている。
俺は他の
そんな状況を目の当たりにして、俺は自分自身が恥ずかしくなった。
クレアは軍人だ。そして、今は戦地への行軍の真っ只中。
男が野営地で水浴びをするのは普通なこと。
それなのにクレアが年頃の女の子というだけで、俺は他の軍人と違う目で彼女のことを見てしまっていた。
それが彼女に対して失礼なことだったと思うに至り、俺はあげかけていた腰をゆっくり下ろした。
「大丈夫だと思うが、賊が出る可能性もあるから剣は帯刀しておいた方がいいぞ」
「わかってるわよ! 保護者か!」
俺の助言に悪態をついたクレアは足早にキャンプを後にした。
俺はそんなクレアを見送りつつ、ゴザ奪還作戦の予習をしておこうとゴザ周辺の仔細の地図を鞄から取り出そうとした時、
「じゃあ行くか」
と言ってバイデンがいきなり立ち上がった。
「ん? 行くってどこへ?」
俺は純粋な気持ちでバイデンに尋ねる。
「は? そんなの決まってるだろ? 男のオアシスだよ」
そう言ってバイデンはニヤリと笑った。
♦♦♦
「おいおい。さすがにこれはやばいんじゃないか?」
ほふく前進で前を進むバイデンに俺は小声で声をかけた。
「なんだよ。お前は案外お馬鹿さんなのか? こんな機会は滅多にないぞ。今行かずしていつ行くんだ」
「いや……でもさすがに覗きは……」
「そう言いながらお前だってしっかりついてきてるじゃないか」
「俺は指揮官としてクレアの身に何かあったらと思って……」
「ほぉ、そうかいそうかい」
そんな苦し紛れの言い訳にバイデンは嘲笑を浮かべる。
俺の中でも天使と悪魔がせめぎ合っていた。
俺も男だ。
そして、最近少し意識するようになってしまったがクレアは非常に魅力的な女性だ。
明るい性格に、屈託のない笑顔。
あの笑顔の虜になった男はきっと数知れないだろう。
それにクレアの魅力的な肢体。
クレアは細身ながら出るところは出ており、非常に女性らしい体型だ。
しかし、俺は指揮官。
部下のことをそんな目で見ていいわけがないのだ。
だからこそ、俺は努めて冷静にバイデンを改心させようと言う。
「クレアは同じ部隊の仲間じゃないか。こんなことをして罪悪感はないのか?」
しかし、そんな正論に対して、後方から悪魔の囁きが聞こえる。
「リヒトくんは何を言ってるのですか。身近な者の肢体だからいいのでしょう」
そう言って眼鏡をくいっと上げたのは後方をほふく前進で進むファイエルだ。
「私も男です。クレアは普段は明朗快活で、少し男勝りな性格のためにあまり女性を感じる瞬間はありませんが、そんな彼女が一糸まとわぬ女の子に戻るのですよ。見逃せるわけがないでしょう」
普段の沈着なファイエルはどこへやら。
フェチニズムにまみれた言動を繰り返すファイエルに、俺は思わず嘆息してしまった。
「俺は誤解していたようだ。ファイエルがまさかそんなキャラだったなんて……。あとその眼鏡をくいくい上げるのやめろ」
「誤解しないでください。私だって普段からクレアをそういう目で見ているわけではありませんよ。私達はそんな邪な気持ちで貴方を連れ出しているわけではないのです。そう、これは言わば通過儀礼のようなものです。私達はこの経験を通して貴方と親睦を深めようとしているのですよ」
物は言いようだ。
確かに力を合わせて物事に取り組むと結束は固くなる。
秘密の共有という要素が加われば尚更だ。
それは間違いない。
間違いないのだが、どうにも皆が皆、自身を正当化する理由をこねくりまわしているように感じて、俺は更に後方の男に目を向ける。
「それでエインリキまで何でついてきてるんだ。お前とクレアは仲が悪いんじゃなかったのか」
エインリキは罰が悪そうに視線を逸らすと取り繕うように悪態をつく。
「うっせーな。俺はお前たちがどうしてもっていうから渋々ついてきてやってるんだ。そうじゃなきゃ誰があんな暴力女の裸なんて見たいもんか」
その表情はなぜか微かに赤面しているように見えた。
「はぁ。皆さん素直じゃないですね。もうここまで来たんです。二人ともそろそろ腹をくくって」
ファイエルがそう言いかけた瞬間――
「全隊止まれ!」
先頭を突き進むバイデンから他の三名に指令が走った。
皆、硬直したように一瞬身動きを止めたが、まるで訓練されたかのように、即座にほふく前進でバイデンの横に隊列を組む三名。
そして、バイデンの導きにより茂みの奥を覗き込むと――視線の先、距離にして約十五メートルの位置に、月明かりに照らされたクレアの姿を認めた。
クレアのいる場所は俺達が野営していた小川の少し下流に当たる場所のようで、川原は柔らかな砂があり、水流もいくらか緩やかだった。
そこでクレアは――今まさに水浴びの格好になろうとしている。
まず、帯刀していた剣帯を外し、普段はストレートに下ろしている真紅の髪をポニーテールに結い上げ、そして……赤色の外套を近くの木にひょいとかける。
その瞬間、クレアが軽くジャンプしたものだから、純白のブラウスに包まれたたわわなものがいたずらに跳ね、男達は思わず「おぉ」と声を上げる。
そんな男達の野獣のような視線に気付いていないクレアは、ブラウスにショートパンツ、そしてブーツという出で立ちで、今まさに両腕をクロスさせ。
ブラウスの裾に手をかけようとした瞬間――
――急激な悪寒が俺を襲った。
俺の警戒網に何者かが引っかかったのだ。
遥か後方だが超強力な魔力反応。
そのあまりにも強大な魔力に俺は思わず立ち上がると、その反応があった方角に目を向ける。
それは先ほど超えてきた峡谷の頂上辺り。
俺は目を凝らすが、既に夜は更けており、肉眼で確認できる範囲にも限界があった。
結局、その魔力の発信源は特定できず。
俺は再度精神を集中させて魔力反応を探るが、もうその残滓を辿ることはできなかった。
俺は目を細める。
あれほどの魔力を所有している者は我がエルフェミア王国でも数えるほど。
おそらく相手は【放ち】の使い手だ。
そして、俺に勘付かれたことをいち早く察知して姿を眩ませたところを見ると、味方とは考えにくい。
となると……あれは一体……。
そんなことに考えを巡らせていると、なぜか足をばんばんと叩かれた。
ん?と思って視線を下に移すとそこには真っ青な顔をしたファイエル、バイデン、エインリキ。
その瞬間、俺は本来集中してなければならない者の存在を思い出し、額を一筋の汗が伝う。
そして、後方に只ならぬ気配を感じて慌てて振り返ると――そこには片手で自身の上半身を抱きしめ、片手に愛用の
「……あ」
俺はこの瞬間、クレアに帯刀を指示したことを後悔した。
「あんたたち、こんな時間にほふく前進の練習とは感心ね……」
底冷えするような声音。
クレアの額には青筋が浮かび、剣を持つ手は怒りでわなわなと震えていた。
この瞬間、男四人は自身の死を予感した。
「お、落ち着け! これには深い訳が!」
「こ、これは……リヒトが急にほふく前進の訓練がしたいなんて……」
「そ、そうですよ、クレア。これは訓練で……」
「俺達は決して水浴びを覗こうなんて……」
「あ」
「――
「「「「うんぎゃやぁああああああああああああああああああああっ!!」」」」
刹那、史上最速の剣技が地を駆け抜け、男四人の悲鳴が森中に響きわたった。
♦♦♦
その森に悲鳴が響きわたったのと時を同じくして。
金色の長髪を後ろで束ねた男は駿馬を走らせていた。
そして、元中央の軍事参謀からある程度の距離が離れたことを確認すると、馬首を返しその速度を緩める。
「それにしても噂通りの魔力操作能力ですね。まさかあの距離で気取られるとは思いませんでした」
男は今駆けてきた道を、目を細めて眺める。
その視線はひどく冷え切っており、見る者すべてを凍てつかせるような青い瞳をしていた。
「やはり中央から追放して正解でした。あの男がいては……彼女の暗殺の最大の障害になりかねませんからね」
男はそこまで言うと、再び、馬に魔力を注ぎ込んだ。
その溢れんばかりの魔力に、夜だというのに荒野はまるで昼間のように輝き出す。
「さて、私も向かいますかね。中央第一騎士団長――アリシア・エルフェミア――のところへ」
そう言って男は冷笑を浮かべると、手綱を握った。
男が向かう方角。
それはエルフェミア王国の王都セントラル・ミドガルドのある方向だった。
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