§030 開戦
山の中腹付近。
リヒト率いる
「こんなに濃い霧が出るとか、リヒトの予想通りだったね。高台に来て正解」
クレアは馬上から眼下を見下ろしながら言う。
俺はゴザの周辺には霧が立ち込めることを統計上知っていた。
そのため、敢えて高台から状況を観察することとしていたのだ。
もちろん作戦会議の場で『濃霧』の可能性を伝えようとした。
しかし、ゴップに言葉を遮られてしまい、結果として伝えることができなかった。
昨晩も、本日の作戦行動を伝えにきた従卒にその旨を伝え、早朝の突入は避けた方がいいと進言した。
しかし、「もう決定したこと」、「天候の予測などできるわけがない」の一点張りで、作戦は決行されることになったのだ。
「ファイエル。敵部隊の位置関係を教えてくれ」
「ゴザから約一キロの地点に重装歩兵部隊。その数、二〇〇〇。ゴザから約三キロの地点に騎兵部隊が出現。その数、五〇〇。そのほか、ゴザから一~三キロ地点にばらけるように軽装歩兵部隊。その数、五〇〇」
「やはり敵の兵数五〇〇はブラフだったか」
「……そのようですね」
ファイエルは双眼鏡を片手に憐憫の声を上げる。
「本隊の進軍を重装歩兵部隊で阻んだ後、後方の騎兵部隊で急襲。その後、軽装歩兵部隊で横合いからのかく乱ってところかな」
「……ああ。本隊は完全に取り囲まれてるな」
バイデンが唸るような声を上げる。
「ああ。しかも、こちらは進軍体勢をとっているから戦闘の準備ができていない。兵数は敵・約三〇〇〇なのに対して、こちらは二〇〇〇強。伏兵を予測できてなかったら全滅コースだったな。一応、作戦会議では『伏兵』というキーワードを強調して言っておいたから、各連隊長もその可能性を多少は考慮してくれていると思うけど……」
そう言いながら俺も眼下の連隊に双眼鏡を向ける。
「あたしたちはどうするの?」
馬首を優しく撫でたクレアが俺に視線を移した。
「状況は全て予想の範囲内だ。そのため、作戦は昨日伝えたとおり。俺達は本隊が重装歩兵部隊と接触したのを確認した後、まずは後方から敵の騎兵部隊を叩く」
「騎兵部隊を? 先頭の重装歩兵部隊の方が多いんでしょ? まずはそっちを叩くべきなんじゃないの?」
「騎兵というのは反転するのが難しいんだ。特にこの狭い地形では尚更。だから、俺達は騎兵の後方から回り込むことによって、本隊と挟み込むように布陣する。相手も伏兵に対して伏兵が来ることは想定していないだろうから、騎兵は俺達、
「確かに。後方の憂いさえ無くせれば、あとは普通の戦闘と同じだもんね。先頭の重装歩兵部隊は本隊でどうにか耐えてもらうって感じか」
「そのとおり」
「霧はどうするの? 下に降りたら俺達も敵味方わからなくなっちゃわない?」
エインリキがつっけんどんな態度で言う。
「その点は心配しないでくれ。霧の正体は水蒸気だ。物質であれば俺の【放ち】は干渉できる。俺の周囲という限定付きではあるけど、霧に魔力を干渉させて、どうにか霧を打ち消してみせるよ」
そこまで言って俺は再び眼下に視線を下ろす。
今日まで様々な策を模索してきた。
そして、俺は今、本隊を囮に身を投じようとしている。
俺は軍人だ。
下された命令がたとえどんなに理不尽なものだったとしても、それを死守するのが軍人としての矜持だ。
俺とて自身が全知だと思っているつもりはない。
付近の状況を確認した上で、伏兵の可能性が限りなく低いと判断した場合は、命令どおり先駈けとして村に突入する腹積もりはあった。
けれど、俺の予想は当たってしまった。
状況を見る限り、アクアリーブル軍の状況は最悪だ。
古来より伝えられているもので『大軍に兵法なし』という言葉がある。
戦闘とは『数』の有利を取り合うゲームだ。
もちろん兵士の質によって挽回することも可能ではあるが、現実とは残酷なもので、例えば、敵が二倍の戦力を有している場合、我々は四倍の強さでなければ対抗できないのだ。
情報操作に踊らされ、出兵させる兵数を見誤った時点で、アクアリーブル軍の勝ちの目はほぼ消えた。
それに加えて、伏兵による挟撃。
本来であれば、ここで勝ちの目は零になるのだが……この状況を覆らせる唯一の方法がある。
それが『軍略』だ。
もちろん俺が動かせる部隊の人数が限られている以上、二千人の部隊全て守ることはできない。
けれど、被害を最小限に抑えることは可能だ。
そのために俺はここに立っているのだから。
思わず握る拳に力が入った。
「リヒトは本当にすごいね」
そんな俺に向かってクレアがしみじみと言う。
「なんか……あたしこんなに頭使って戦ったことってなかったかもしれない」
その真面目に言ってるのかもしれないが、なんとも滑稽な言葉に俺の緊張も解れる。
「ははは、クレアはいいんだよ。こういうのは軍事参謀の仕事だ。それにクレアには剣術という大きな武器があるだろ? 軍事参謀としては実力に信頼を置ける仲間の存在は実はすごく大きいんだ。何の指示もしなくても相手を斬り伏せてくれるからね」
「なっ/// いきなりそんなこと言われても全然嬉しくないんだからね」
「ははっ。別に事実を言っただけだよ」
俺がそう言って笑うと、「もう」と少し顔を赤らめながら口をすぼめるクレア。
「……リヒト、怖い?」
「え?」
突如紡がれた真剣味を帯びた声音に俺は思わずクレアに目を向ける。
すると、クレアも紅の瞳を真っすぐにこちらに向けてきた。
「……なんかさっき怖い顔してたから」
一瞬、指揮官として何を言えばいいかと逡巡した。
気後れしているなどと思われたら指揮にも影響が出かねない。
そう思ったからだ。
でも、俺はすぐさま首を横に振った。
何を今更。
――俺はクレアを死なせない。
昨日の夜、星空の下で。
俺はもっと恥ずかしいことを言っているではないか。
「怖いよ。俺の判断一つで、
「……そっか」
「クレアはどうなんだ?」
「……あたし?」
一瞬、逡巡するように視線を逸らしたクレア。
そして、自分の緊張を確かめるように自身の両手に目を向ける。
「実はね……あたしもさっきから震えが止まらないんだ」
「……クレア」
俺は微かに震えているクレアに目を向ける。
剣を振りすぎてあちこちに血豆ができているが、それでも女の子のものとわかる小さな手。
「言っただろ。俺はクレアを死なせないって」
その言葉にクレアは一瞬何かを考えているようだったが、一度瞑目すると、意を決したように手綱を握った。
「……ありがとう。でも、あたしは自分自身の力で切り抜けてみせる。それがあたしなりのけじめだから」
「そろそろ会敵だぞ」
横からバイデンの声が聞こえた。
俺も一度深呼吸をすると、手綱を握り直す。
「
「「「「了解っ!」」」」
ついに戦いの火蓋が切って落とされる。
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