§013 一時の休息

 この日、俺とクレアは街に遊びに出ていた。


 初めて剣を交えてから約一カ月の月日が流れた。

 あの日から毎日剣の稽古を重ねていることもあり、いつの間にか俺とクレアの距離は非常に近いものになっていた。


 剣術というのは命のやり取りをする競技だ。

 いくら刃を潰した剣を使っているといえど、一歩間違えれば大怪我をしかねない。


 そんなしのぎの削り合いを毎日のよう行っているのだから、お互いに信頼関係が生まれるのは必然だ。


 出会った最初こそ俺のことを訝しんでいたクレアだったが、今では俺にも気を許してくれるようになった。

 一方の俺もクレアと一緒にいると太陽に照らされたような明るい気持ちになれるのは事実だった。


 いわゆる、気の置けない仲といった感じだろう。


 そんな俺達が街に繰り出したのは他でもない。

 俺にはどうしても行っておきたい場所があったのだ。


 クレアは稽古に付き合う交換条件としてアクアリーブルの街を案内することを約束してくれていた。

 これはその一環のようなものだと少なくとも俺はそう考えていたのだが……。


「リヒトの方から『街に行こう』なんて誘ってくれたのは初めてだったから、どこに連れてってくれるのと思ったら……」


「まさかの『軍書庫』の案内で悪かったな」


「……まったくよ! こんなに天気がいいのに女の子の一人もエスコートできないなんて正気を疑うわ!」


 俺が謝るとクレアは少し拗ねたように唇を尖らせた。

 本当に今日を楽しみにしていたのだろう。

 鼻歌交じりで待ち合わせ場所に来る姿を見せられてしまうと、さすがの俺も良心が痛んだ。


 今日は稽古も休みと伝えてあったので、赤と白を基調とした軍服がトレードマークの彼女も珍しく私服。

 肩がぱっくりと開いた純白のブラウスに、紫チェックのハイウエストのスカートという出で立ちだ。


 肌身離さず持っている短刀剣スモールソードも帯刀おらず、普段の粗雑さからは想像できないような清楚な格好をしているため、すれ違う男どもの視線はクレアに釘付けだ。


 俺も遠慮がちに視線を横に向けてみる。


 するとそこには、軍人としてのクレアではなく、女の子としてのクレアがいた。


 ――可愛い。


 そんな感情が薄ら芽生えることは否定しない。

 普段は剣の稽古相手としてしか見ていない彼女でも、こうやって並んで街を歩いていると女性として意識してしまう現象に名前をつけたいぐらいだ。


 そんな邪なことを考えていると、クレアの視線が急にこちらに向けられた。


「それで軍書庫には何しに行くわけ? まさか宝の地図を探しにいくわけではないでしょ」


 俺は心中を悟られないように、あくまで平静を装いつつ言う。


「ああ、少し昔の資料を読みたくてね」


「昔の資料?」


「そう。アクアリーブルに関係する古い文献とか。前に話した資料室には比較的新しい資料しか保存されてなかったから、もう少し詳しく知りたくてね」


「ふぅ~ん」


 自分から聞いておきながら空返事を返すクレア。

 どうやらクレアの興味は街中のとある店に吸い寄せられているようだった。


 『ダンシング・ベア』


 そう看板の出たお店の店先には、木イチゴ、オレンジ、イチジクなどのドライフルーツ、アーモンドやピスタチオなどのナッツをあしらった食べ物が飾られていた。


 おそらく最近富裕層で流行している『アイス』という氷菓だろう。


 色とりどりに散りばめられた果物がいかにも若い子受けしそうだと思った。


 クレアは店の前でアイスを美味しそうに頬張る麗しい令嬢に、物欲しそうな視線を送っている。


 まったく。食べたいならそう言えばいいのに。


「食べるか?」


「えっ?」


 突然の提案にクレアの肩が小さく跳ねた。


「いや……あたしは別に……食べたくなんかないわよ!」


 言い淀んでいるのか、いつもの強気な口調にも張りがない。


「なら俺は食べようかな。中央にはアイスって無いから前から食べてみたかったんだ」


「……えっ?」


 俺の言葉に眉をひそめ何とも物悲しそうな表情を見せるクレア。


 本当に素直じゃないやつだ。


 俺はそのまま一番人気とオススメされているアイスを一つ購入する。


 そして…………その器をクレアの前に差し出した。


「冗談だよ。ほら、これは今日付き合ってもらったお礼だ」


「……えっ?」


 俺の予想外の行動に、普段なら物怖じしないクレアが珍しく動揺を示した。


「いや……さすがに悪いよ。それ高級品じゃん」


「いいんだよ。もう買っちゃったし。それに俺は甘いものはあんまり食べないから」


 溶けてきてるから早く!と言って半ば押し付けるようにアイスを渡す。

 それを受け取ったクレアも慌てて溶け漏れた雫をペロッと舐めた。


「えっ、なにこれ! めっちゃ美味しいんだけど!」


 思わず感嘆の声を上げるクレア。

 一口頬張るごとにコロコロと表情を変え、最終的には恍惚の表情を浮かべる。


「こんな美味しいもの生まれて初めて! ありがとう、リヒト!」


 屈託のない笑顔を浮かべながら、素直な感想を述べるクレア。

 そんなクレアを見て俺もつい笑みがこぼれてしまう。


「食べたいなら次からは素直に言えよ」


「それを言うならリヒトだって十分素直じゃないよ! リヒトが自分で食べるとか意地悪言い出した時には本当に泣きそうだったんだから!」


「悪い悪い。あんまりこういうのは慣れてないんだ。でも、喜んでもらえたならよかったよ。別に急いでないからゆっくり食べるといい」


「でも、『軍書庫』で調べ物するんでしょ? 早く食べちゃうからちょっと待ってて」


「今日の『軍書庫』はあくまで下見だ。場所だけなら地図を見ればどうとでもなるが、入館方法がわからないし、そもそも俺はゴップと揉めまくってるから中に入れてもらえるかすら怪しい。そういう意味でクレアについてきてもらっただけだ。入れることを確かめられれば今日の用事は終わりだよ。その後は、せっかく街に出てるんだし、ご飯でも行くか?」


 さすがにデートという言葉を口にするのは気恥ずかしさが残る。

 俺はあくまで用事が早く終わったからという理由付けをしてクレアに提案した。


「本当?!」


 そんな提案に再び目を輝かせるクレア。


「ああ」


「じゃあ決まり! もう撤回は無しだからね! 実はね、この道を行った先に海の見えるオシャレなパスタ屋さんがあるの! ずっと前から行きたいなと思ってたんだけど一人で行くのもどうかなと思って躊躇ってたのよね! そうと決まればさっさと用事を片付けて行きましょ!」


 既にアイスを平らげていたクレアは、俺の手を引いて意気揚々と歩き出す。


 俺はそんな目の前の少女に目を向ける。


 ――俺はこの子を戦争に巻き込むことになる。


 彼女は強い。

 彼女を自身の右腕として据えることができたなら、武勲の山を築き上げられる自信が俺にはあった。


 そう。俺はクレアのことを自身が中央に返り咲くための『協力者』とすることを決めたのだ。


 もちろんこんなに慕ってくれる少女を利用するなんて……という良心の呵責がないわけではない。


 けれど、俺には腐った軍を変えるという『信念』がある。

 そのためには武勲を上げて、中央に返り咲く必要があるのだ。

 これは何にも優先すべき俺の根幹と言えるべきもの。


 それに、彼女自身も中央騎士団への移転を希望している。

 俺が無事に中央に戻ることができれば、彼女を中央騎士団に推薦することも可能だろう。


 だからこの……二人の関係は言わばウィンウィンの関係なのだ。


 俺は正直なところ軍書庫での調べ物も今日中に終わらせようと思っていた。


 『敵を知り己を知れば百選してあやうからず』という有名な諺がある。

 つまり、敵と味方のどちらの実情も把握していれば戦争に負けることはないという意味だ。


 戦争は情報戦。

 事前準備の段階で既に勝敗は決しているといっても過言ではない。

 いつ戦争に突入するかもわからないのがアクアリーブルの現状だ。

 そのため、俺としては早め早めに物事を進めておきたかったのだが……。


 しかし、俺は彼女に取られた手を振り払わなかった。


 常に強気な少女が見せたほんの一時の休息の姿。

 それに少しだけ心を動かされるところがあったのだ。


 ――俺も今日だけは、一時の休息を楽しむことにするよ。


 俺は心の中でそう呟くと、彼女の推進力に身を任せ、わずかに口の端を緩めた。

 こうして二人は既に目的地と言えるのかわからない軍書庫を経て、彼女の望む素敵なパスタ屋さんへと向かった。


 来たる出兵の機会がすぐ間近まで迫っていることを、二人はまだ知る由もなかった。


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