§012 アクアリーブル流の戦争
――中央の小僧にアクアリーブル流の戦争というものを教えてやるよ。
ゴップはそう意気込んだところで、お互いの『整地』が終了し、いよいよ盤面が明らかになる。
まずはゴップ陣営。
ゴップ自陣内に広がっていたのは――まさにアクアリーブルを模した堅牢な要塞都市だった。
防御力に全振りした鉄壁の布陣を、誇らしげに見せびらかすゴップ。
――こいつはさっきアクアリーブルを陥落させるのは簡単などと宣いやがった。
――しかし、我がアクアリーブルは絶対無敵。陥落なんて万に一つもあり得ない。そう。これはもはや確定事項なのだ。
――いかにお前の言ってることが的外れなのかを、この軍略棋を通じて思い知らせてやるよ。
――『敗北』という名の公開処刑によってな。
しかし、リヒトの盤上を見たゴップは思わず息を飲んだ。
いやゴップだけでなく、いつの間にか観戦に集まっていた周りの兵士達も同様に息を飲んだ。
なんとリヒトの陣営には要塞や砦の類のものは一切建築されておらず、その代わりに、全ての駒がゴップの陣営と目と鼻の先の最前線までせり出していたのだ。
「――な、なんだこれは!」
ゴップはバンッと音を立て、思わず立ち上がってしまった。
――そんなバカな。『整地』の段階で要塞を築かないなどあり得ない。
要塞や砦は『整地』の期間以外に建築することはできない。
ゆえに『整地』の間に要塞や砦を建築しておかなければ、部隊を守るものが一切無い状態でゲームを進行しなければならなくなるのだ。
しかし、このリヒトという男は防御の一切を捨てて相手の陣営に乗り込んできたのだ。
確かにルール上は可能ではあるが……こんな奇策はゴップ自身も見たことがなかった。
――しかし、こんな陣形で最後までもつのか?
そう考え直したゴップは冷静さを取り戻すと、ドンと腰を下ろす。
「へぇ……あまりにも突飛な策で一瞬驚いたが、まあ、私みたいな熟練者を相手取るには奇策に走らざるを得ないということかな」
ゴップは弛んだ顎を撫でつつ、心を鎮めながら言葉を紡ぐ。
「…………」
しかし、それに対する返事は無く、リヒトはただただ冷たい視線で盤面を見下ろすだけだった。
――そして、リヒトが初手を動かす。
リヒトの兵は前進前進を進め、ゴップの陣営を包囲する形へと変わっていく。
ゴップはリヒトの手に釣られるように、自陣の防御の強化を図る。
攻撃を優先して前のめりになっているリヒトに対し、徹底的な防御で対抗しようとしたためだ。
結果、全軍により『王』を守る形になったゴップと、全軍突撃の形になったリヒトという構図になる。
「随分と攻めに傾倒しているようだけど、そんな脆弱な陣形で最後まで持つのかな? 私はこれから少しずつ君の兵をすり潰していくよ?」
そう言ってニヤニヤと笑みを湛えるゴップに、今まで一切の挑発に乗らなかったリヒトが初めて口を開いた。
「もう勝負は決していますよ、ゴップ司令官」
「なに? どういうことだ?」
「ここまで包囲してしまえば、司令官の兵が要塞から出ることはできません。そして、時間切れで終わりです」
「時間切れ? 君は何を言って……」
そこまで言いかけてゴップの額から一筋の汗が滴った。
「そうです。勝利条件③・相手の兵糧を尽きさせる――兵糧攻めです」
「兵糧攻め……だと……?」
「はい。あと二〇ターンであなたの兵糧は尽きる計算になります。あまり使われていないルールとのことですし、俺がこんな戦法を使うなんて夢にも思わなかったかもしれませんが、司令官の兵が俺の王に辿り着くのは二○ターンでは不可能です」
「そ、そんな『兵糧攻め』なんて……ありえ……」
「『兵糧攻め』は実際の戦争でも使われる立派な戦法です。有名な戦術家も『軍隊は胃袋で動く』という言葉を残すくらい兵糧は戦争と切っても切れないものですよ。それにあなたが言ったのではないですか。
「…………」
「俺はアクアリーブルを簡単に陥落させられると挑発することによって、あなたがアクアリーブルを模した『整地』を行うように誘導しました。そこで、俺が考えるアクアリーブル攻略法を実践してみせたのです。確かにアクアリーブルは鉄壁の要塞都市です。ただし弱点がないわけではありません。こうやって全軍でアクアリーブルを取り囲んでしまえば物流が途絶えます。そして、焦った兵士達は進軍を開始しますが、壁に囲まれた構造ゆえ出立口は自ずと制限され、出兵できる兵数も限られます。こうなったらアクアリーブルはもはや袋の鼠です。あとは兵糧を圧迫されて軍が自滅するのを待つだけですから。当然、これらも前もって準備をしておけば対処可能なものばかりですが、司令官はどうやら兵糧攻めをされるという発想すらなかったようで……」
「…………」
「俺がルールの確認をした時に兵糧攻めが思いつかずに、『整地』でアクアリーブルを模した陣形を組んだ時点であなたの負けは決まっていたのですよ。もし、あなたがアクアリーブル以外の陣形を組んでいた場合は、俺の陣形は防御力皆無ですから、一瞬で蹂躙されていたでしょうけどね」
――私が、この軍略棋四段の私が負けるのか……。こんな初心者に……。
ぎりっと噛んだ奥歯から鉄の味がした。
「まだやりますか? このまま続けても俺はあなたの兵糧が尽きるまで、のらりくらりと駒を動かすだけになりますけど」
ここまで言われてゴップはガクリと肩を落とした。
あくまでお遊びの勝負。
盤を崩して、そもそもこんな勝負無かったことにすることもできた。
けれど、今はギャラリーとして周りには多くの兵士がいる。
こんな大衆の面前でアクアリーブル司令官がそんな不甲斐ない行動を取ることは許されない。
それにゴップは……アクアリーブル陣形には……それなりにプライドを持っていたのだ。
軍略棋には運の要素はない。完全なる実力の勝負。
それを経験では圧倒的に劣るはずの初心者に真っ向から打ち崩されたのだ。
「……私の負けだ」
ゴップは気付いた時にはその言葉を口にしていた。
自分でもこんなに素直に負けを認めていることに違和感すら覚えた。
でも……憎らしいほどに……本当に許せないほどに……彼の軍略棋は素晴らしかったのだ。
リヒトはそんなゴップを認めて、静かに頭を下げる。
「ありがとうございました」
そして、立ち上がると、諸々予想外の光景に目を丸くしているギャラリーの間を縫うように、訓練場を後にした。
数日後には、ゴップがリヒトに敗北したという報は、軍の中では知らない者がいないくらいに知れ渡っていた。
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