§011 軍略棋

 アクアリーブルの司令官ゴップ・スネイクは内心ほくそ笑んでいた。


 目の前に相対するは、中央から突然左遷されてきた元中央騎士団のよわい二十の小僧。


 ――俺が勝ったら『一個小隊』の指揮権をもらいます。


 そんな小僧がこんな世迷い言を宣いやがったのだ。


 こんな条件、本来なら一蹴しているところだが、ゴップはこれを好機と考えた。


 最初は兵士の前で少し恥をかかせてやるくらいのつもりだったが、向こうが条件を要求してくるなら話は別だ。

 こちらにも同等の条件を提案する権利がある。


 ――では、私が勝ったら『司令官補佐・軍事参謀』の任を解かしてもらおう。


 ゴップは迷わずこの提案をした。


 リヒトの辞令は中央が発令したものだ。

 ゴップにはこの辞令を解く権限はない。

 けれど、ゴップとリヒトの両名が同意しているのであれば話は別だ。


 ゴップはリヒトに対し、『司令官補佐・軍事参謀』を辞退することに同意するように求めたのだ。


 リヒトの得意分野は軍略だ。

 その冠を奪ってしまえば、彼は名実ともに何の権限もない大尉。

 もう彼が表舞台に顔を出すことは今後一生無くなるのだ。


 もしかしたら難色を示されるかもしれないと思っていた。

 それぐらいこの条件は受ける側にとってみれば厳しいものだ。


 しかし、リヒトは二つ返事でOKした。


 おそらく部下の前で大見得を切ってしまった手前、引くに引けなかったのだろう。

 彼が条件を飲んだ時には、思わず心の中で歓喜の声を上げたくらいだ。


 ゴップはリヒトの自尊心をズタズタにできる方法はないものかと常日頃から考えていた。

 それがこんな形で実現することになるとは、正に飛んで火にいる夏の虫だ。


 ゴップはリヒトに負ける気がしなかった。


 彼は中央第一騎士団では軍事参謀を務め、士官学校を首席で卒業しているとのことだ。

 それなりに頭は良いのだろう。


 しかし、『軍略棋』は経験が物を言う競技なのだ。


 将棋などとは異なり、駒の動きも千差万別。

 盤上も広大であることから戦略は無限大だ。

 ルールすらまともに覚えていない者が勝てるほど生易しいものではない。


 それにゴップは軍略棋四段の腕前。

 このアクアリーブル軍の中では副司令官に次ぐ軍略棋の腕前だ。


「私の条件を飲んだことを後悔するなよ」


 ゴップは念を押すように、対面に座るリヒトを煽ってみせる。


「わかっています。念のため確認しますが、勝利条件は、①相手の王を討つ、②相手の王を除く兵を全滅させる、③相手の兵糧を尽きさせる、のいずれかを満たせばいいんですよね?」


「兵糧? ああ、そういえばそんなルールもあったな。だが、それはほとんど形骸化したルールだ。実際には王が討たれるか、軍が全滅するかで勝負が決してしまうからな」


「わかりました。勝利条件の確認ができればそれで十分です」


「もう駒の動きは覚えたのか?」


「もちろんです。ルールブックに記載の内容は全て覚えました」


 そう平坦に述べたリヒトは、落ち着き払った冷たい視線をゴップに向ける。

 その瞳は黒く研ぎ澄まされ、虎視眈々と獲物を狙う獅子の目のようにも見えた。


 ゴップはリヒトのそのあまりの落ち着きように微かな焦燥感を覚えた。


 ――こいつ。まさか経験者じゃないだろうな。


 そんな疑念が頭を過ぎる。

 けれどルールの説明を受けるリヒトは素人そのものだった。

 さすがにあれで経験者だというのは演技の域を超えている。


 それに軍略棋はアクアリーブルの伝統遊戯だ。

 中央の人間が知っているとは到底思えない。


 ――ふっ、奴なりのブラフってところか。


 ゴップは心の中で嘲笑する。


「じゃあ始めようか」


 軍略棋の大きな特徴。

 それは開戦前に一〇手分の準備期間があることだ。


 この準備期間を『整地』というのだが、『整地』は軍略棋中において自陣内の任意の場所に要塞や砦を築くことができる期間だ。

 逆にいえば『整地』以外の期間は要塞や砦を築くことができない。

 そして、この『整地』の間はお互いの手を隠して行う。

 つまりは、ここでお互いの手の内を予測し合って、相手の陣形の弱点を突くような陣形を築き上げることが軍略棋の真骨頂なのだ。


「軍略棋の古い諺に『整地を制する者は軍略棋を制する』というものがある。それぐらい『整地』というのは……」


「……ご忠告ありがとうございます、ゴップ司令官。ただ、これ以上のご説明は不要です」


 ゴップの能書きを遮るように、言葉を紡ぐリヒト。

 そのリヒトの態度に少なからず苛立ちを覚えたゴップだったが、すぐに余裕の笑みに戻して言う。


「大した自信だな。君がどんな『整地』を行うのか楽しみだよ。まあ、君は初心者ということだから、整地後の先手は君に譲るよ」


 そう言って最大級の陰惨な笑みをゴップは見せるが、リヒトは既にゴップの顔を見ていなかった。


「……お言葉に甘えさせていただきます。では、始めましょう」


 視線は盤上に落ち、ただただ静謐な返事が返ってきただけだった。

 それを見たゴップは「ちっ」と舌打ちをして『整地』を開始する。


 ――どこまでもいけ好かない小僧だ。

 ――手加減など一切しない。圧倒的な力量差で叩き潰す。

 ――中央の小僧にアクアリーブル流の戦争というものを教えてやるよ。


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