§010 第一訓練場
書類整理の大方を終えた俺は、この日、軍の訓練場へと足を運んでいた。
アクアリーブル軍は第一から第五までの五つの訓練場を所有している。
誰がどこの訓練場を使うという明確な分けはないのだが、慣例的に、第一訓練場は第一連隊、第二訓練場は第二連隊と、各数字に合った連隊が使用しているようだ。
今日俺が向かったのは第一訓練場。
第一訓練場を主に使用している第一連隊は、一応連隊長はいるものの、実質的にはゴップのお抱えの連隊のようだ。
ゴップのことだからアクアリーブルにおける精鋭を第一連隊に集結させている可能性もある。
それを確認する意味でも、アクアリーブル兵の練度を確認する意味でも、第一訓練場の視察は非常に重要な意味を持つ。
俺は来たる防衛戦争に備えなければならず、また、仮にゴップと敵対することになった時の対応策も考えておかなければならないからだ。
それに中央第一騎士団の頃は、俺が訓練メニューを作成していた。
俺自身それなりに試行錯誤して訓練メニューを作成した経緯があったので、地方の兵士がどのような訓練メニューを行っているのかは、素直に興味のあるところでもあった。
しかし、訓練場に足を運んだ俺の目に飛び込んできたのは、予想の斜め上をいく光景だった。
「な、なんだこれ……」
俺は思わず落胆にも似た声を出してしまった。
それもそのはず。
既に訓練開始時間をとうに過ぎているというのに、訓練場では誰一人として訓練を行っていなかったのだ。
それどころか、訓練場の床には酒瓶が転がり、何かのギャンブルだろうか、多くの者が二人で対になるように木製の盤上を覗き込んでいるのだ。
「お前ら、訓練はどうした」
俺は冷たい声音で言った。
俺は確かに司令官補佐・軍事参謀で軍務における指揮命令権はないかもしれない。
それでも腐っても士官だ。
訓練を怠る下級兵を律するくらいの権限はある。
俺の冷ややかな声に何人かは顔を上げたが、その顔を上げた者達は、的外れな意見を述べる余所者を見るかのように、嗤笑の目を向けてきた。
「ああ、例の左遷軍師さんか」
「おーこわ。そんなに睨みつけるなよ。ピリピリしすぎだろ。それに言っとくけどこれだって訓練の一環だぜ? 別にオレ達だって遊んでるわけじゃねーんだよ」
そう言ってガハハと下劣な笑い声をあげる兵士達。
「これのどこが訓練なんだ」
よくわからない言い分を述べる兵士に向かって一歩踏み出そうとした直後、
「――リヒト大尉。これはアクアリーブル式の立派な訓練なんだよ」
後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。
振り返るとそこには憎き司令官ゴップが立っていた。
「これが訓練とはどういう意味ですか。ゴップ司令官」
俺は咎める視線をもってゴップに相対する。
「君は中央出身だから知らないかもしれないけど、これは『軍略棋』と言ってね、軍略を練るのに必要な知識を習得するためのものなんだ。君だって軍略の重要性は嫌というほど分かっているだろう?」
したり顔のゴップに俺は思わず顔を顰める。
『軍略棋』というのは確かアクアリーブルの伝統的な盤上遊戯の一つだ。
ルールこそ知らないが、将棋やチェスに近いものであるという認識は持っていた。
よくよく見るとたしかに男達の前に置かれている木製の盤には、無数の駒が不規則に置かれている。
「これが軍略棋であることは理解しました。けれど、俺には軍略棋が訓練になるとはとても思えません」
俺はゴップに対して鋭い視線を向ける。
しかし、ゴップはそんな視線を受け流すと、飄々と答える。
「君は軍略棋を知らないようだから教えてあげるけど、軍略棋はね――いわば疑似戦争なんだよ」
「疑似戦争?」
「そうだ。戦争では兵をどのように動かすかに加えて、地形などの情報も加味するだろ? 軍略棋の大きな特徴は、将棋やチェスと違って、自ら砦や城塞などの配置を決定できる点だ。これによって将棋の九×九面のような凝り固まった盤面ではなく、様々な状況に対応した臨機応変な思考が身に着くということだ」
「砦や城塞を配置? それでは城塞の強度、高低差、季節、気候、その他の要素なども加味されているのでしょうか?」
「さすがにそこまで複雑なものではないよ。しかし、君だって軍略を練る際には、軍略図を使うだろう? それの簡略版だと思ってもらえればいい」
「なるほど。司令官がおっしゃっていることはよくわかりました」
俺のその言葉にゴップは満足気に頷く。
「君も多少は物分かりが良くなってきたな。ということだから、せっかくの訓練の邪魔を……」
「しかしながら、軍略棋を訓練に取り入れることと、他の訓練をやらないことは別問題です」
「……なっ!」
俺の凄味を利かせた一言に、わずかに気圧されるゴップ。
「見たところ、彼らは軍略棋をやるという名目を持って、酒を飲み交わし、剣や魔力の訓練を怠っているように見えます」
「なぜそう言える?」
「筋肉の付き具合から一目瞭然です。剣は一日振らないと三日後退すると言われています。彼らはもう長い間、剣を振っていないのでしょう。剣を振るうのに必要な上腕二頭筋・上腕三頭筋・三角筋が弛み切っています。それに……」
――彼らの魔力は淀みきっている。
そう言いかけて俺は口を噤んだ。
本来、魔力というものは目には見えないのだ。
しかし、俺は生まれながらにして――魔力の流れを見ることができた。
これこそ、俺の『精緻な魔力操作』の真髄である。
見えないものを操るのは難しいが、見えるものを操るのは容易い。
俺は魔力を可視化できるからこそ、相手の魔力を読み解き、自分の魔力を自在に操ることによって、常人よりも精緻な魔力操作が可能になっているのだ。
しかし、この能力を知っているのは中央第一騎士団の中でもごくわずかだった。
それを易々とゴップに教えてやる必要はない。
そう考えて、魔力については言葉にするのを思いとどまる。
それにしても……。
――本当に魔力が淀みきっているな。
おそらく【纏い】をほとんど行っていないのだろう。
魔力は潜在能力に依存する部分もあるが、鍛錬による底上げは可能だ。
ただ、ここにいる兵士達にはその鍛錬の形跡がこれっぽっちも見当たらなかったのだ。
――人知れず毎日剣を振り続けている子がいるかと思えば……。
「いまここにいる兵士は中央の訓練兵に劣るレベルです」
「…………」
「それに俺も軍略棋を完全に否定するつもりはありません。軍略の才のある者に対する訓練ならば有益と言えるでしょう。だからといって全ての兵士に対して同じ訓練を課すのは非合理としか言いようがありません。戦争は盤上で行われるわけではないのですよ。現実の戦争は兵力差、気象・天候、地形、武器・弾薬等の装備、兵士の熟練度など様々な要素が絡み合います。こんな盤上に収まるほど現実の戦争は甘くありません。軍略に傾倒しすぎた結果、剣や魔力の鍛錬を怠れば、結果は火を見るよりも明らかです。訓練メニューの再考を提案します。アクアリーブルがいくら鉄壁の要塞都市といえど、この体たらくではもし俺が敵軍の指揮官だったなら簡単に陥落させられますよ?」
俺の一切ブレのない言葉にゴップは思わず歯噛みをする。
「現実の戦争はそんなに甘いものじゃない? アクアリーブルを簡単に陥落させられる? 若造が知ったような口を。さすがは実際に戦争を経験したことのある中央騎士団の出身者は言うことが違うな。そこまで言うなら……」
ゴップは口の端を上げて陰惨な笑みを浮かべた。
「私に『軍略棋』で勝ってみせろ。お前に言わせれば『軍略棋』はままごとと一緒なんだろ? あそこまで大見得切っておいてまさか逃げるなんてことはないよな」
――まあ、そうくるよな。
俺はゴップを真っすぐ見つめて言う。
「……わかりました。その代わり、一つ条件があります」
「……条件?」
「はい。俺が勝ったら――『一個小隊』の指揮権をもらいます」
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