§009 荒れ果てた資料室
着任して二週間が過ぎた頃、突然ゴップから呼び出しを受けた。
「せっかくだから君に仕事を与えよう。ついてきなさい」
不敵に微笑んだゴップは俺をある部屋へと案内した。
「……ここは?」
「あんまりにも君がしつこいから仕事を用意してあげたんだよ」
そこは大量の書類が乱雑に置かれた小さな資料室だった。
十畳程度の広さの部屋には書棚がびっしり並んでおり、真ん中に申し訳程度に書類整理用の小さな机が置かれている。
資料室というより、強制収容施設の作業場という表現の方が正しいかもしれない。
俺は
「……ここで具体的に何をすれば?」
「ここは直近の会計帳簿などの軍務に関する書類を一時的に保管する資料室となっている。いつもはもう少し片付いているのだが、今はどうにも人手不足でね。この有様なんだ。そこで君にはここの書類の整理をお願いしたい」
「……お言葉ですが、ゴップ司令官。それは司書や従卒のやる仕事では?」
確かに左官や士官になると作成する報告書の数は増える。
しかし、それらを整理するのは従卒や専門部署の兵士の仕事だ。
どう考えても士官がやるような仕事ではない。
そのため俺は難色を示したが、その反応に気分を害したのか、あからさまに不機嫌な態度に変わるゴップ。
「だから人手不足だと言っただろ? せっかく仕事をあてがってやったのにそれに不満を言うとはお前はどういう教育を受けてきたんだ?」
司令官の従卒がそれほど職務熱心でないことは、ここ数日見ていただけでわかっていた。
執務中は昼寝をし、夜は女遊びのために街へと繰り出している。
それを知っているがゆえの進言だったが、俺自身もここ数日、『何もしない左遷軍師』と揶揄されているのを知っていた。
別に周りの目を気にするつもりはないが、居心地がよくないのは事実だ。
ここは素直に仕事を受けておくのが吉か……。
「わかりました。書類整理させていただきます」
そう言って俺はゴップに向かって頭を下げる。
それを見たゴップは軽く鼻を鳴らすと、「ではよろしく頼むよ」と言って部屋を後にした。
残された俺は部屋の惨状を改めて見回して嘆息する。
「やっとあのオンボロ兵舎の掃除が終わったと思ったのに……」
そう独り言ちるが文句を言っていても仕方がない。
ここには会計帳簿などの書類が保管されているとの話だ。
『国のことを知りたくば金の動きを見よ』という有名な言葉がある。
せっかく与えられた仕事だ。
じっくり資料を読みながら進めるのも悪くない。
そう思い直して、まずは書類の分類から始めることにしたが、その種類があまりにも多種多様すぎて、出だしから心が折れそうになる。
――この街の役所関係の書類が全てここに投げ込まれてるんじゃないかコレ……。
半日の時間を要して、どうにか簡単にラベリングをすることには成功した。
・軍務報告書
・収支報告書
・損益計算書
・貸借対照表
・通行手形の発行記録
・関税の推移
・交易の状況
・家屋の建築に伴う測量図
・補助金関連資料
・気象関連資料
・近隣の地形図
・近隣の海図
・その他諸々の統計資料
こうやって見ると、本当に有益な資料ばかりだった。
我がエルフェミア王国が絶対君主制から立憲君主制に移行し、議会制民主主義国家として新たな道を歩み始めてから久しく経つが、軍の権力は依然として強い。
そんな名ばかりの議会制民主主義にやきもきした気持ちを抱いていたところもあるが、こうやって行政がしっかりと機能していたことに素直に安堵感を覚える。
腐っているのは王国軍だ。
それはアクアリーブルでも変わらない。
会計帳簿などの書類は非常に緻密に記載されているのに、軍に関する報告書だけはどこかの報告書の使いまわしがほとんど。
あんな司令官をトップに据え置いているぐらいなのだから、おそらく報告書など誰も読んでいないのだろう。
やはり俺が軍を変えなければならない。
そのためにも早く中央に戻らなければ。
その気持ちがより一層強くなる。
やはりそう簡単に信念は揺らがない。
俺は胸の内で燃えさかる炎を再確認し、書類に視線を落とす。
元々、本の虫であったこともあり、俺が書類の閲覧に没頭するのにそう時間はかからなかった。
集中力が増すに伴い、元々黒い双眸が更なる漆黒へと姿を変える。
「あの~、書類を置きにきたのですが……」
「…………」
それから幾人かの兵士がこの資料室を訪ねたが、俺の耳には彼らの声は届かない。
この日から俺の異名に『沈黙の左遷軍師』というものが加わったことはまた別の話。
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