§008 食堂での一幕
「はぁ?! あんた『中央第一騎士団』に所属してたの?!」
アクアリーブル軍の詰所内の食堂にて。
クレアは掻き込んでいたチャーハンを「ぶっ」と吹き出すと、ポニーテールにした赤髪を振り上げて立ち上がった。
「あれ? 言ってなかったか?」
聞いてない、聞いてないと激しく首を横に振るクレアに俺は「そうだっけ?」と軽く返し、アクアリーブル名物である餡かけラーメンを啜る。
「中央第一騎士団って言ったら騎士団の中でも花形じゃん! どうりで強いわけね! あたしが負けたのも納得だわ!」
「いや、負けてないだろ」
クレアは納得したように頷くと、再び美味しそうにチャーハンを頬張った。
俺はそんな楽し気なクレアに目を向け、不思議な縁もあるものだとふと物思いに耽る。
彼女の名前はクレア。
年齢は十八歳、性格は明るく、努力家。
灼熱を彷彿させる赤髪に、同色の瞳が特徴的な女剣士だ。
女の子にしては少々勝気で猛々しいところはあるが……華奢で色白、しっかりと出るところは出ているし、常に剣を振り回しているところさえ直せば公爵令嬢と見紛うほどの美少女だ。
そんな彼女との出会いは一週間前。
ひょんなことから剣を交えることになり、今ではこうやって毎日のように食事を共にしている。
「でも、中央第一騎士団で活躍するような人がどうしてアクアリーブルに?」
クレアは口をもぐもぐさせながら小首を傾げる。
「この前も言っただろ。訳アリなんだ。さすがにここではちょっと話しづらい」
「そっか! まあ言いづらいこともあるわよね! ねぇ、そんなことよりさ、あんたのラーメン美味しそうね! 一口もらうわよ!」
そう言って遠慮もせず俺の餡かけラーメンに手を伸ばすクレア。
クレアにとっては俺の異動の理由なんかより、目の前のラーメンの方が大事らしい。
でも、俺はこういうクレアの裏表の無いところを実は非常に気に入っていた。
変に駆け引きをしなくて済むという打算的な考えがないでもあるが、純粋に何に対してもひたむきで真っすぐなクレアは好感が持てた。
彼女なら信頼できる。
少しずつであるが、そう思えるようにもなっていた。
(ドンッ)
そんなことを考えている最中、誰かが俺の椅子にぶつかった。
振り返るとそこには数人の兵士が連れ立って通り過ぎるところだった。
直感的にこいつら故意にぶつかったなと思った。
しかし、ぶつかったのが「わざとだ」と言える確証もなかったため、俺は特に何を言うでもなく兵士達から視線を逸らす。
けれど、兵士達は俺に絡むようにわざとらしく口を開いた。
「ああ、誰かと思えば『左遷軍師』さんじゃん」
どうやらこの数日の間で、俺のあだ名は『左遷軍師』に確定したようだ。
揶揄されているのは明確だが、左遷されたのは事実だし、正直俺は誰に何て呼ばれようと特に頓着はなかった。
むしろゴップとの対立が表面化している以上、ここで小競り合いを起こす方が得策ではないと思った。
そのため、あくまで平静を装って「どうも」と軽く会釈をしてみせ、すぐにテーブルに向き直った。
それを見た兵士達は嘲りを込めて鼻を鳴らしたが、俺の反応が面白くなかったのか、これ以上は特に何を言うことなく、俺達とは数個離れたテーブルへと腰を下ろしていた。
「……何なのあいつら。感じ悪っ!」
クレアは露骨に不機嫌な表情を湛え、兵士達を鋭い眼光で睨みつけている。
まあ落ち着けよという意味も込めて、俺は傍らに置いてあった牛乳をそっとクレアの前に置く。
「カルシウムは足りてるつーのっ! リヒトはあんなこと言われて悔しくないの? あんなやつらリヒトなら一発で黙らせられるんだからさ! あたし、リヒトが馬鹿にされてるの見てて悔しいよ!」
クレアはまるで自分のことのように怒りを顕わにし、唇を噛みしめる。
「言いたいやつには言わせておけばいいんだ。あんな下級兵を相手にしてる暇があるなら、俺は別のことに時間を割くよ」
「……中央に戻るため?」
クレアと初めて剣を交えた日、俺は『中央に戻る』という当面の目標を伝えていた。
さすがに、『腐り切った王国軍を解体する』という聞く者によっては牢屋送りになるであろう『信念』までは伝えてはいないが。
「ああ。だから出来ればいざこざは起こしたくない」
そこまで言えば、さすがのクレアもしぶしぶではあるが怒りを収めてくれた。
クレアが残りのチャーハンに手をつけ、これでこの話題も終わりかに思われた――その時。
「それにしても、あの左遷軍師。仕事もまったくしない癖に一丁前に女と飯食ってやがるぜ。やっぱりあの噂は本当なんだな」
先ほどの兵士達が今度は俺達の陰口を言い始めたのだ。
その声にクレアの意識がチャーハンから兵士達の会話に移ったのがわかった。
せっかくクレアが落ち着いたのに……と俺は思わず嘆息する。
それにしても……上官の悪口を公然と言うって……ここの風紀はどうなってるんだ。
全く声を抑えていないところから見ると、これはもはや陰口ではなく悪口だ。
敢えて俺達に聞こえるような声量で話して挑発しているきらいさえある。
兵士達の悪口は更に激しさを増す。
「ああ、すげー女癖が悪いって噂だろ。知ってる知ってる」
「じゃあ、あの赤髪の子も既に食われてたり?」
「当ったり前だろ。毎晩お楽しみに決まってるじゃん」
「うわーそれはさすがに引くわ。まだ着任して一週間だろ」
「でもあの子も大概じゃね? 胸とか太ももとかすげー露出してんじゃん。抱いてくださいって言ってるようなものじゃね?」
「ちがいねー! むしろお似合いカップルってわけか!」
吐き気を催すような下世話な会話。
そんな汚らわしい言葉の羅列を陳列しながら、ガハハと下劣な笑い声を上げる兵士達。
それに伴い、クレアのボルテージも急上昇。
謂れのない疑いをかけられた怒りからか、はたまた、性的な侮蔑による羞恥心からかはわからないが、顔を真っ赤にしたクレアは、不快を通り越した憤怒の表情を見せていた。
さすがにこれはやばいなと思った。
自分の悪口だけならいざ知らず、クレアも巻き込む形になってしまった。
「クレア、場所を変えよう」
俺はすぐさま立ち上がると、クレアの手を取る。
「俺のせいですまん」
「……なんでリヒトが謝るの」
クレアの言葉は思いのほか静かだった。
ただ、明らかに今までとはレベルの違う怒りを包含しているのがわかった。
「いや、クレアにも不快な思いをさせた。それにこのまま俺と一緒にいたらクレアの評判まで下がってしまう。だから次からは……」
「は?」
クレアは怒っていた。
もちろん悪口を言っている兵士に対する怒りもあるが、これはそれとはまた別。
「あたしがリヒトと一緒に食べたいって思ってるんだから評判とかそんなの関係なくない?!」
突如紡がれたクレアの言葉。
クレアは感情に任せて勢いのままに言っただけかもしれないが、俺はその言葉にほんの少しだけ心が温まるのを感じた。
アクアリーブルに着任してからの侮蔑と冷遇の毎日。
いくら平静を装っていたとしても、心は着実にすり減っている。
この言葉は……それを俺に気付かせてくれるものでもあった。
俺はクレアの迸るような熱い視線を確と受け止める。
まだ出会って間もない赤髪の少女。
その少女にここまで心が動かされてしまうのだから、まだまだ自分も大概だなと軽く瞑目する。
「俺のために怒ってくれてありがとう。でも……行こう。あんな奴らに割く時間がもったいない」
そう言ってクレアの手を引いてその場を後にしようとした瞬間――
「――そういえばあの軍師が左遷された理由、知ってるか?」
そんな言葉が耳に飛び込んできた。
俺は思わず足を止める。
「お、なになに。めっちゃ気になるわ」
「重大な軍規違反を冒したって話じゃなかったか」
「バカ、その内容だよ。それなりの情報筋から聞いた話だから信憑性は高いと思うぜ」
「なんだよ。もったいぶらずに教えろよ」
「ははっ、そう焦るなって。実はその重大な軍規違反っていうのがな――」
「「「「…………」」」」
「――我がエルフェミア王国の
眩暈がした。
俺がアリシアと寝た……だと?
そのあまりにもひどい出鱈目に、ぎりっと奥歯を噛みしめる。
それと同時に頭が急激に冷え込んでいくのを感じた。
しかし、そんな俺とは対照的に鉄砲が暴発したような笑いと驚きの声を上げる兵士達。
「げはははっ! もう大罪人じゃねーか! そりゃこんな辺境に左遷させられるわけだ!」
「え?! アリシア団長って王族でしょ? 一般人と寝るってありなの?」
「無しに決まってるじゃねーか。でも案外アリシア団長も好き者なのかもしれねーな」
「あー我らがアイドルのアリシア様が……。そんな事実聞きたくなかった」
俺はどうにか感情を殺そうと深く深く瞑目するが、それとは裏腹に拳には力が宿る。
次の瞬間――周囲の温度がぐっと低下した。
(ピキッ)
テーブルに置かれていたラーメンの汁が微かにクラック音を立てる。
「ん、なんか寒くね?」
「確かに。どうしたんだ急に、いま夏だよな」
兵士達も急に生じた異常気象に戸惑いを隠せない。
「……リヒト」
小さな声とともにクレアが腕を掴んだ。
冷え切った部屋でのその確かな温もりに、俺はハッと我に返る。
「……大丈夫?」
そこには心配そうに俺の顔を覗き込むクレアの姿があった。
灼熱の双眸に俺の冷え切った心が映し出される。
――ああ、クレアは奴らをぶっ飛ばすんじゃなくて、俺の隣にいることを選んでくれたのか。
その事実に、彼女の温かさに、俺は再びクレアの手を取った。
「……行こう」
「……うん」
そうして、俺とクレアは食堂を後にした。
俺はふと中央に残るアリシアに思いを馳せる。
アリシアを侮辱された……。
それなのに……怒らなかった。
いや、怒らなかったのではない。怒れなかった……のか……。
アクアリーブルに着任して一週間。
地方都市にくれば、アリシアから離れれば、この鬱々とした気持ちに整理がつくかもしれないと漠然とした期待を持っていた。
でも、どうやら俺はあの日から何一つ進めていないみたいだ。
その事実に微かな焦燥感を覚え、俺は兵舎までの道を無言で歩く。
その傍らにはいつも勝気な赤髪の少女。
けれど、この時ばかりはその勝気さもなりを潜めていた。
「(リヒトがそんな人じゃないこと……あたしがよくわかってるから……)」
小さく呟いたその言葉が、俺の耳に届くことはなかった。
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