§014 簡易魔法教室

「ねぇ。リヒトは何のために剣を振るうの?」


 既に日課となった剣の稽古中、普段は無駄口を叩くことのないクレアが、珍しく俺に問いかけてきた。

 俺はその問いをしばし考えてみたが、どうにも上手い回答が思いつかなかった。


「……何のためか。難しいことを聞くんだな」


 そんな俺の言葉が意外だったのか、クレアは剣を振るう手を止めると、こちらに向き直って小首を傾げる。


「難しいかな? リヒトのことだから何かしら目的があって剣を振ってるんだと思ってた。目的が、とか、手段が、とかいつも小難しいこと言ってるじゃん」


「確かに目的を明確化することは何かを成し得るためには必要なことだ。でも、厳密に言えば、俺にとって剣を振るうのは手段であって目的ではないかな。俺は別に剣術を極めたいと思ってるわけじゃない。剣術は副業みたいなものだよ」


「じゃあ副業に負けたわたしはバイト以下ってわけね?」


 言葉選びが良くなかったのか明らかに気分を害した表情を見せるクレア。


「いやそういうわけじゃなくて……」


「…………」


 クレアの鋭い視線に嘆息しつつ、降参とばかりに答える。


「クレア、君は強いよ。ぶっちゃけ君の奥義を魔力無しで防ぐのは無理だ。もし、次も同じ条件で戦ったら俺の負けは目に見えてるよ。それくらい君の奥義は素晴らしいものだった」


「ふぅ~ん」


 どうにか取り繕ったつもりだが、目を細めたクレアは全然納得のいっていない表情だ。

 そのため俺は咄嗟に話題を変える。


「じゃあクレアは何のために剣を振ってるんだ? 何か目指すところでもあるのか?」


「目指すところ?」


 一瞬考え込むクレアだったが、すぐに立て肘を解くと意気揚々と言った。


「目指すところって言われるとわからないけど夢ならいっぱいあるわよ! 誰よりも強くなりたいし、中央騎士団にも入りたいし、戦争でも活躍したい。あと……いつか魔力を使わずに魔力を纏った相手を倒してみたいかも!」


 俺は最後の言葉に思わず吹き出してしまった。


「はははっ! さすがに魔力を使わずには無理だろ! そんなことができたら魔力の歴史の全てが覆るよ! それは中央騎士団に入るより難しいと思うぞ!」


 しかし、またしても言葉選びを間違ってしまったらしい。

 クレアは俺を睨みつけて頬をぷっと膨らませると、プイっとそっぽを向いてしまった。


「悪い悪い」


 俺は謝りながらゆっくりと腰を上げると、クレアの前に立った。


「じゃあお詫びとして、今日は俺のを見せてあげるよ。おそらくクレアは見たことないと思うから」


「……とっておき?」


「ああ。もうクレアの剣術は俺が教えられるレベルを超えている。だから次からはより実践的な――剣に魔力を纏わせた稽古――に変えていくべきだと思うんだ。そこで今日は『魔力はこういうこともできるんだぞ』というのをまず俺が披露してみようと思う。まあ――簡易魔法教室――って感じかな」


「……魔法教室」


 何とも言えない表情で「魔法教室」という言葉を復唱してみせるクレア。


「まあ、見てろよ」


 そう言うと俺は身体に纏う魔力を増幅させ、周囲の大気に干渉させていく。

 俺の周りには目に見えて魔力が渦巻き、それは段々と広範囲に伝播していく。


 そして、魔力が十分に充満したことを確認したところで俺は――放った――。


「――【放ち】――『氷結した魔力の結晶ダイヤモンド・ダスト』――」


 転瞬、魔力は白濁とした冷気に変わり、突如としてこの場に『冬』が訪れた。


「――えっ」


 気温が一気に低下し吐く息も白くなったこの世界に、青い光が舞い落ちる。

 クレアはひらひらと舞う輝きを一粒、手の平に収めると、その粒は雫となって消えた。


「……雪?」


「ああ、氷の結晶だよ」


 その言葉にクレアは驚きを隠しきれずに俺の方を見る。


「……これって」


「俺の魔力を空気中の水分に干渉させた。俗にいうというやつだ」


「……魔法」


 クレアは思わず目を見開く。


「魔力は剣や身体に纏わせるのが一般的だが、俺はこんな感じに自身の身体から遠く離れたものに魔力を干渉させることができるんだ。俺はこれを【放ち】と呼んでいる。神話で魔女が炎を出したり、嵐を起こしたりする描写があるだろ。その正体がこれだ。【放ち】を使える者は少ないから、昔の人たちは『魔女』とか『魔術師』と呼んで畏怖の象徴としたんだ」


「もしかして……この間の食堂のも……?」


「ああ、バレてたか。あの時はつい我を忘れて魔力を放ってしまったんだ。今更だけど、あの時はクレアに助けられた。ありがとう」


「ねぇ……リヒト」


 あははと軽く笑う俺に対して、視線を落としたクレアは静かに俺の名前を呼んだ。


「……遠く離れたものに魔力を干渉させられるってことは……リヒトの魔力をあたしに干渉させることもできるの?」


「……うん?」


 クレアの今までにない静かな声音に俺は刹那逡巡してしまった。


「ねぇ……答えて!」


 そんな俺に対し、必死さを包含した声とともに灼熱の双眸を向けるクレア。

 その表情は何かを悲しんでいるような、何かにすがりつくような、一言では形容しがたい複雑なものだった。


 そんな只ならぬ雰囲気に気圧されて、俺は頷く。


「ああ、できるよ。……ほら」


 そう言ってクレアに向かって手をかざすと、魔力の奔流がクレアに移動した。


 その瞬間、クレアの周りを祝福の光が満ち、強力な魔力が渦となって降り続く氷粒を霧散させる。


「これが……リヒトの魔力……」


 クレアは流れる魔力を確かめるように自身の両手を見つめ、呟く。


「ねぇ……リヒト。もしあたしが……」


 クレアが何かを言いかけた瞬間――


「リヒト大尉!」


 ――遠くから男の声が木霊した。


 【放ち】のことはアクアリーブルの者には秘密にしている。


 そのため、俺は声の主に気取られないようにすぐさま放っていた魔力を収める。


 すると、クレアを先ほどまで覆っていた魔力はまるで元からそこに無かったかのように立ち消え、周囲に降り注いでいた氷粒も光となって霧散した。


 そして、全てがあるべき姿に戻ったのを見届けると、俺は声のする方角に目を向けた。

 すると、確か……ゴップ付きの従卒だったか……がこちらに走り寄ってくるところだった。


「こんなところにおられましたか。近隣の村からガイアス帝国軍の急襲を受けているとの救援の要請がありました。作戦会議が開催されますので、すぐに招集されたしとのことです」


「作戦会議? 俺が?」


「はい。そのように仰せつかっております」


「誰の命令だ? 俺はゴップから全ての指揮命令権を剥奪されているんだ。作戦会議に参加させられる意味がわからないのだが」


「それは……」


 一瞬口ごもる従卒だったが、すぐに姿勢を正して言う。


「これはゴップ司令官ではなく、アリ副司令官の指示です。リヒト大尉を含め、士官以上は全員集めるようにと」


 俺を名指し?


 さすがに違和感を覚えずにはいられなかったが、上官からの招集命令である以上、それに逆らうわけにはいかない。


「わかった。すぐに向かうよ」


 俺は従卒にそう告げると、クレアの方に向き直る。


「……ということだそうだ。申し訳ないが今日の稽古は中止だ。中途半端な感じになってしまって申し訳ないが、俺はすぐに詰所に向かう」


「いや……それは別に構わないけど……。リヒト大尉って……えっ? えっ? あんた士官だったの?」


「あれ? これも言ってなかったか? すまん。詳しいことはまた今度話すよ」


 そう告げると、俺は従卒に連れられ駆け足でこの場を後にした。


 そして、一人ポツンと残されたクレアは、なぜかどっと疲れが出てしまったようで、その場にへたり込んでしまった。


「なによ……大尉ってそんなの聞いてないし……」


 噛みしめるように独り言ちるクレア。


「……リヒトのバカ。秘密主義。おたんこなす。リヒトは全然あたしのこと信用してくれてないんじゃん」


 しばしの沈黙。


「………………あたしはこんなに心許しちゃってるのに」


 クレアはハァと大きな溜め息をつきながら、氷粒が霧散した空を見上げる。


「それにしてもあの魔法……隊長のとそっくりだったな……。一人立ちするって決めたのに……。これじゃ……またリヒトに頼っちゃうじゃん……」


 ――神様って……本当にイジワルだよ。


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