§032 告白
「敵襲―っっ!!」
鳴り響く警鐘の中、私は眼前で蠢く騎兵部隊に割って入った。
「な、何で後ろから敵が!」
「は、早く体勢を整えろ! 敵は少数だ! 囲め! 囲め!」
突然の奇襲に戸惑いの声が漏れ、同時に様々な指示が飛び交うが……もう遅い。
ここまで来てしまえばあたしたちの間合いだ。
あたしは最後方にいた部隊長クラスの男の首を軽く飛ばすと、次なる者へと刃を伸ばす。
地形の全貌は高台から一望したおかげで頭に入っていた。
ここはゴザの村まで通じる隘路。
そうなると騎兵部隊も自然と縦長の隊列になる。
敵指揮官は挟撃という性質から、機動性を重視して騎馬部隊を配置したのだろうが、これはあたしたちにとっては好都合だ。
狭すぎる道幅ゆえに敵部隊は反転もままならないからだ。
馬は想像以上に大きい。
小回りが利く動物ではないので自ずと行動が制約される。
つまり、敵は今、背を見せている状態なのだ。
あたしたちはそれを順番に斬り伏せていけばいい。
そんなあたしたちの隊列はこうだ。
まず、先頭をリヒトが駆ける。
そして、その後ろを
なぜこのような隊列になっているかというと、リヒトとあたしたち
リヒトの主な役割は魔力操作により霧を晴らすこと。
進むべき道を選択し、その道の霧を晴らす。
そう。リヒトは言わば『灯』だ。
リヒトは今回の作戦において「面で攻めること」を殊更に強調していた。
面で攻めるというのは、全員が横一線に並ぶことによって、敵が後方に回り込む隙が無いよう攻めるということだ。
後方の憂いを無くすための作戦で後方に回り込まれたら元も子もない。
あたしもそのとおりだと思った。
だから突破役はリヒトに限定。
あたしたち
それがどうやら功を奏したようだ。
「あがっ!」
「うぐっ!」
敵兵は短い悲鳴を上げ、鮮血を飛ばしながら、次々と馬上からこぼれ落ちていく。
「馬を早く反転させろ!」
「ダメです! 視界も悪く身動きが取れません!」
「えーい、まずは刃物を収めろ! そうでないと周りの馬が傷付く!」
「しかしすぐそこに敵が!」
敵部隊は狼狽えていた。
霧により視界は限定され、馬も反転できない。
それなのに敵は後ろから刻一刻と迫ってきている。
そう、先ほどまでのアクアリーブル軍と完全に立場が逆転してしまっているのだ。
見えぬ者から突然斬り伏せられる恐怖。
そんなものに耐えられる者は多くない。
それを証拠に、ある者は悲鳴を上げ、ある者は落馬し、ある者は剣を取りこぼしていた。
動揺は次第に部隊全体に伝播していき、敵部隊の指揮命令系統は完全に麻痺していた。
あたしたちは……斬り伏せ、斬り伏せ、斬り伏せ……進む、進む、進む。
「真ん中まで来たぞ! あと半分!」
リヒトの声が木霊し、あたしはハッとして駆けて来た道を振り返る。
するとそこには見るも無残な死体の山が転がっていた。
……これを全部あたしが?
どうやらこの短時間で一〇〇騎ほどの敵を討っていたようだ。
あたしはその凄惨な光景に、ある種の高揚感を覚えた。
――簡単だ。
戦場でこう思ったのは初めてかもしれない。
確かに
だからといってどの戦場も簡単ということはなかった。
死人の出ない戦場は無かったし、あたしだって何度も命を落としかけた。
でも、今回は違った。
あたしは改めてリヒトの言葉を思い出す。
進軍方法、到着時間、ゴザの地形、敵部隊の人数、伏兵の存在、霧の発生。
全てリヒトの言う通りだった。
今だってリヒトの導きのおかげで、いつのまにか敵は三〇〇騎を割っている。
それなのにあたしたちはまだ一太刀も浴びせられていないのだ。
――リヒトって本当にすごいんだね。
そう思った瞬間、思わず、笑みがこぼれた。
「……あれ?」
その表情の変化に自分自身が一番驚いた。
思わず疑問符の付いた声をあげてしまうぐらいに、それは無意識によるものだったのだ。
あたしはなぜ笑っているのだろう。
さっきまでは頬が引き攣るくらいカチコチだったのに。
でも……すぐに自分の感情に整理がついた。
――安堵したのだ。
あたしは心のどこかでリヒトが死んでしまうのではないかと思っていた。
リヒトは強い。
そんなことは毎日剣を交えているあたしが一番よく分かっている。
でも、あたしは毎日剣を交えていたリーゼ隊長の強さも知っていた。
それでも……リーゼ隊長は死んだのだ。
戦場では何が起こるかわからない。
リヒトをこの場に連れ出したのはあたしだ。
あたしがトラウマを克服するために、リヒトを指揮官に推し、戦場へと引っ張り出した。
もし、リヒトが死んだら、あたしのせい。
その気持ちがあたしの身体を強張らせていた。
でも、それが杞憂だったことに気付いた。
リヒトは強いだけでなく――すごいのだ。
剣術、魔力操作、軍略、統率力、説得力。
リヒトにはあたしでは見えないものが全て見えている。
そんなリヒトの背中を見ていると不思議と安心できた。
この作戦は絶対成功すると、リヒトは絶対死なないと確信できた。
だからあたしは……笑ったのだ。
――まあ、リヒトはあたしの目標なんだからそれくらい強くなくちゃ困るけどね!
そう心の中で独り言ちると、不思議とその言葉がしっくりきた。
自分らしい言葉。何となくそう思えた。
昨日の夜くらいから自分が自分じゃないような感覚だった。
でも、今この瞬間、いつもの調子が戻ってきたような気がした。
あたしはくよくよしていた自分にさよならを告げようと、一度瞑目して「ふぅ」と一息いれると、
「あれ?」
またもや疑問符の付いた声をあげてしまった。
……リヒトがあたしの目標?
無意識のうちに当たり前のように紡いでいた事柄を頭の中で反芻する。
あたしの目標は今までずっとリーゼ隊長だった。
リーゼ隊長を超えるために剣を振るう。リーゼ隊長の仇のために剣を振るう。
あたしの剣は常にリーゼ隊長に縛られていた。
――そっか。だから最近は楽しかったんだ。
そんな当たり前のことに、今更ながら気付いた。
リーゼ隊長が死んで、それでもリーゼ隊長のために剣を振り続ける時間は……切なくて、とても寂しい時間だった。
だからこそあたしは、リヒトと初めて会った時に訓練仕合を申し込んでいたのかもしれない。
自分の切なさを……寂しさを埋めるために。
でも、その訓練仕合でリヒトの剣術に魅せられて、リヒトはいつしかあたしの目標になっていた。
「リヒトが……あたしの目標……」
そんな気恥ずかしいようで、ちょっとだけ誇らしい事実を再確認すると、不思議と笑みがこぼれた。
そして、ようやくあたしは全てを悟った。
――ああ、あたしはリヒトのことが好きなんだ。
リヒトはあたしの師匠。
リヒトはあたしの目標。
そして、リヒトは……あたしの大切な人。
そこまで考えて、あたしは今までの言動を省みる。
リヒトは「死なせない」と言ってくれた
それなのにあたしは何を意固地になって、けじめだの信念だの言ってたんだろう。
何を自分自身の力で切り抜けるなんて言ってたんだろう。
あたしがここに立っているのは決して一人の力じゃない。
リヒトがいたから、
――話そう。この戦いが終わったら。
全部打ち明けよう。
あたしに魔力が無いことも含めて。
リヒトに本当のあたしを知ってもらおう。
「リヒト!!」
気付いたら、あたしはその名を叫んでいた。
「どうしたクレア! 怪我か?!」
あたしの突然の声にリヒトは何事かと向き直る。
今は戦闘中だ。
リヒトは当然心配の色を浮かべながら漆黒の瞳をあたしに向ける。
そんなリヒトにあたしは熱を帯びた灼熱の瞳を返す。
二人の視線が交差する。
あたしはそれを確と認めると、敵前であるにもかかわらず、大声を張り上げて言った。
「あたし! 貴方に出会えてよかった!」
「えっ?」
突然の告白に、剣を取りこぼしそうになるリヒト。
状況を飲み込めていないのか、狐につままれたような顔を見せ、目をパチクリさせている。
そんなリヒトの前方から敵兵。
「リヒト! 敵! 前!」
あたしの言葉にハッと我に返ったリヒトは眼前から迫りくる敵を危なげもなく袈裟斬りでいなす。
さすがリヒト。
あたしがそんなことを考えて再度綻んでいると、リヒトの負けず劣らずの大声が返ってきた。
「いきなりなんだよ! 戦闘中に告白か!」
リヒトにしてみればおどけて言ったつもりなのかもしれない。
でも、あたしの気持ちはもう止まらない。
あたしは鞭を入れてリヒトの横まで馬を走らせると、いたずらな笑みを湛えて言った。
「告白だけど文句ある?」
「なっ///」
それにはさすがのリヒトも顔を赤らめ、しどろもどろになる。
どうやら過去に例を見ないであろう戦闘中の告白は効果てき面だったようだ。
あたしはそれを見て軽く微笑むと、更に鞭を入れて一歩前に踏み出す。
「バカ! 隊列を崩すな! 戻れ!」
リヒトは言うが、あたしは戻らない。
あたしはもう決めたから。
「リヒトと一緒に戦わせて! もっと近くでリヒトを感じていたい!」
「へ?」
リヒトの呆けた声。
リヒトがあまりにも阿呆みたいな声を出すものだから、どんな表情をしているのか拝んでやろうと後ろを振り返ると、そこには入れ歯でも落としたんじゃないかというほどに口をぽかんと開けたリヒトの姿があった。
「あはは! 何その顔! 敵前でそんな顔してたらすぐに
笑い転げるあたし。
そんなあたしを見て、リヒトも口の端を上げながら言う。
「俺はそんな簡単に死なないから安心しろ。だからクレアも……」
「…………」
「……絶対に死ぬなよ」
その言葉にあたしは強く頷いた。
「当然! リヒトに勝つまで死ぬつもりはないよ! 次は絶対に落としてやるんだから!」
そう言ってあたしとリヒトは頷き合うと、同時に馬に鞭を入れた。
後方騎馬部隊殲滅まであと――二〇〇騎。
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