§039 ごめんなさい

 あたしはリヒトに無理矢理ベッドに寝かされると、リヒトは近くの椅子にゆっくりと腰を下ろした。

 話をする体勢といった感じだ。


 ただ、リヒトが纏うオーラが最初の時よりもピリッとしているような気がして、あたしはリヒトから次の言葉が紡がれるのが少しだけ怖かった。


「クレア……どうして魔力が使えないことを黙っていたんだ」


 その予想はどうやら間違っていなかったようだ。

 リヒトの声には怒気が込められており、あたしが糾弾されていることは火を見るより明らかだった。


 それも仕方ないことだと思う。

 あたしは、自分のくだらない意地で、リヒトに魔力が使えないことを黙っていたのだ。


 誰にも頼らずに自分自身の力で戦場を切り抜ける。

 それがあたしなりのけじめで、それこそが死んだリーゼ隊長への罪滅ぼしになると思っていた。


 でも……あたしはゴザ奪還作戦の最中……リヒトと一緒に馬を走らせている時で気付いてしまったのだ。


 ――あたしはリヒトのことが好きなんだ。

 ――話そう。この戦いが終わったら。全部打ち明けよう。あたしに魔力が無いことも含めて。リヒトに本当のあたしを知ってもらおう。


 そう思ったのも後の祭りだ。

 あたしは後悔をしている。


 あたしは、あの星空の下で、打ち明けるべきだったのだ。


 そうしたら、リヒトはまた違う作戦を考えたりしてくれて、リーゼ隊長とは違う方法であたしのことを助けてくれたはずなのだ。


 ただ、あのときのあたしはこの――助けてもらう――のがどうしても耐えられなかった。

 お荷物になってしまうのが、心底嫌だったのだ。


 でも、今のリヒトの表情を見ていたら……あたしのくだらない意地が……どれだけ短慮なことだったのかを思い知らされる。


 部屋を見ればわかる。

 リヒトはあたしのために必死に看病してくれたんだよね。

 絶対に死なせないと死力を尽くして、戦場から逃れてくれたんだよね。


 だからこそ、あたしの意識が戻った今、リヒトはあたしに、厳しくも強い怒りの感情を向けてくれているのだ。


 あたしは、様々な感情が入り交じる中で、今、自分が伝えるべき言葉を……紡ぐ。


「……ごめんなさい」


 あたしは溢れ出る涙を布団の裾で拭いながら、泣きじゃくる子供のように、同じ言葉を繰り返す。


「……う、ひっく、ごめんなさい。黙ってて、、ごめんなさい」


「え、あ……」


 そんなあたしを見て毒気を抜かれてしまったのか、まるで女の子を泣かしてしまった男の子のように、おろおろと視線を右往左往させるリヒト。

 しかし、やがて観念したかのように、あたしの横に腰を下ろすと、ゆっくりとあたしの頭を撫でてくれた。


「ごめんなさい。あ、あたし、魔力が無いことをリヒトに言ったら、リヒトはリーゼ隊長と同じことをすると思って。そうしたら、リヒトもリーゼ隊長のように死んじゃうんじゃないかと思って……また、大切な人を亡くしてしまうのじゃないかと怖くて……どうしても言えなかった」


 あたしは心の内を叫ぶように言葉を紡ぎ、同時にリヒトの腕を取ってワンワンと泣いた。

 元々涙を流すことのほとんどないあたしだが、このときは、溜め込んでいたものを全てさらけ出すように、涙が涸れるまで泣き続けた。


 どれくらい泣いただろうか。

 あたしも泣き疲れて、ひっくひっくと言いながらリヒトの顔に視線を移すと、リヒトは優しい表情でこちらを見つめていた。

 かなり長い時間泣いていたと思うけど、それまで何も言わずに隣にいてくれたリヒトに感謝しかなかった。


「ごめん。ちょっと感情がぐちゃぐちゃになっちゃって。袖、めっちゃ濡らしちゃった」


「いいや、俺の方こそクレアの気持ちを確かめずに強い言葉を言ってすまなかった。とりあえず、今は意識が戻ったばかりで混乱しているだろうから、現状について話すよ。何もわからないとモヤモヤすると思うから」


 リヒトはそう言うと、あたしがジェルデに切られた時からの流れを話してくれた。


 結論から言うと、やはりあたしの身体をジェルデの大矛から守ってくれたのは、リヒトの魔力だった。

 剣が弾かれたのを見て、反射的にあたしの身体に大量の魔力を纏ってくれたらしい。

 ただ、これはあくまでその場しのぎのようなもの。

 身体に魔力を纏うだけでは、魔力を纏った剣の追撃を防ぎ続けられるわけではない。

 そのため、リヒトは反射的に覇道六大天第六席付・本部大佐アーチボルト・マクレガンとの戦闘を放棄すると、追撃の体勢に入っていたジェルデからあたしをかっさらい、あたしを背負った状態で戦場から離脱したとのことだ。

 もちろん敵の追撃はあったようだが、雑兵は既に戦闘不能にしていたこと、アーチボルトの慎重な性格ゆえに深追いをしてこなかったことから、命からがら、どうにか逃げおおせたらしい。


 ゴザ奪還作戦の結果はというと、端的に言えば「失敗」。

 好意的な見方をすれば、「痛み分け」といった状況だったようだ。


 本隊方面も戦闘は、ガイアス帝国の奇襲に対して、雑草部隊エルバによる挟み撃ちで応戦していたため、壊滅というわけではなかったが、さすがにその場に残ったファイエル、バイデン、エインリキだけでは敵軍の壊滅には至らなかったようで、お互いに兵数を半分に減らした段階で、アクアリーブル軍は撤退の決断をしたらしい。


 元々リヒトの作戦がなかったらアクアリーブル軍は壊滅していたわけだし、ガイアス帝国の兵数を半分に減らせたのだから、戦果としては悪くないと言えるのかもしれないけど、ゴザ奪還作戦の目標は、ゴザを奪還すること。

 その目標を達成できなかった以上、作戦としては「失敗」となる。


 また、これもリヒトの読み通りなのだけど、ガイアス帝国軍の目的はアクアリーブル軍の間引きだったようで、ゴザに駐屯していたガイアス帝国軍は、アクアリーブル軍の撤回後、ほどなくしてゴザを放棄したようだ。

 結果としてはゴザはアクアリーブル領に返還されたことになるが、リヒトの目標は、あくまで「アクアリーブル軍の間引きを行わせないこと」だったのだから、この点で見ても、今回はガイアス帝国軍にしてやられたことになる。


 当然、この報告を受けたゴップは怒り心頭。

 二〇〇〇の半分である一〇〇〇の兵を失い、忠臣だった第一連隊隊長も失ったのだ。

 ゴップはこれを先駆けの命を果たせなかった雑草部隊エルバの責任としようとしたようだが、雑草部隊エルバがいなければ全軍壊滅が免れられなかったのも事実であり、リヒトの一ヵ月間の謹慎処分のみで矛を収めてくれたようだ。

 これから連隊の再編制などの軍務が大量に生じるはずだが、リヒトがいなくて大丈夫なのかとゴップに同情してしまうほどだ。


 リヒトの説明は徹頭徹尾まで完璧で、頭の悪いあたしでも、現状をスッと理解できた。

 でも、完璧だからこそ、リヒトが敢えてあたしに隠そうとしている部分が浮き彫りになってしまっているような気もした。


 あたしの中で、最も気になっていたこと。

 あたしはそれをリヒトに投げかけることにした。


「ジェルデの言ってたリーゼ隊長がゴップに毒を盛られたっていうのは本当……?」


 その言葉に一瞬押し黙るリヒト。

 ただ、この質問をあたしがするであろうことは想定していたのだろう。

 僅かに嘆息すると、観念したように話し出した。


「クレアとジェルデの会話は聞いていたよ。……おそらくだけど……ジェルデの言ってることはだ」


「…………」


 覚悟はしていたけど、リヒトからいざその言葉を聞くと、やはり言葉を失ってしまう。

 あたしは早鐘のようになる鼓動をどうにか抑えて、リヒトに言葉の続きを促す。


「実は俺もクレアからその話を聞いた時、真っ先にその可能性が頭を過ったんだ。魔力欠乏症の症状は、急激に魔力を消費した時に生じる目眩のようなもの。仮にリーゼ中佐が慢性的に【放ち】を行ってたとしても、それは【放ち】の発動中に生じる症状であって、クレアが話してくれたリーゼ中佐の症状とは一致しないんだ」


「……やっぱりそうなんだ」


「すまない。その可能性に気付きつつも、確証もない事柄をいたずらにクレアに伝えるわけにはいかないし……もし、この真実をクレアが知ってしまったら、きっと正気ではいられないだろうと思って……戦闘前に伝えるべきではないと判断したんだ。」


「……そんな謝らないでよ」


 リヒトの判断は間違っていない。

 戦闘前にその事実を知らされていたら、あたしはおそらく復讐心に駆られていたと思う。

 もしかしたら引き返してでもゴップの首を取りに行っていたかもしれないし、そうじゃなくても、覇道六大天第六席付の佐官と相対してあれほど冷静に立ち回ることはできなかったと思う。


 それよりもむしろ、謝るべきなのは……。


 あたしは向き直って居住まいを正すと、隣に座るリヒトに頭を下げる。


「リヒト、いろいろ気を遣わせちゃってごめん。面倒事に巻き込んじゃってごめん。せっかくリヒトが気を利かせて黙っててくれたのに、あたしはあんな挑発に乗って冷静さを欠いて……。あたしがジェルデに勝てていれば、おそらくアクアリーブル軍の圧勝だったんだよね。それなのに、あたしはリヒトの足ばかり引っ張って……」


 そこまで言って一度言葉を切り、今度は頭を上げて、リヒトの目を真っ直ぐに見つめながら言う。


「あと……リヒト、あたしのことを助けてくれて本当にありがとう」


 今日は謝ってばかりで、リヒトに一度も感謝の言葉を言えていなかった。

 だから、この言葉を言えたことが、結果として、あたしの肩の荷を少しだけ下ろす結果となったのだと思う。

 そんな様々な感情が重なりあって、せっかく止まっていた涙も、また目から溢れ出していた。


 再び涙を流し出したあたしを見て、リヒトは外套のポケットから何かを取り出した。


「確かに俺はクレアに魔力を纏わせたけど、それだけでは致命傷を回避できなかった。クレアの命があるのは、のおかげだよ」


 そう言ってリヒトがあたしの手に置いてくれたのは、思い出のペンダントだった。


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