§040 明鏡止水

「確かに俺はクレアに魔力を纏わせたけど、それだけでは致命傷を回避できなかった。クレアの命があるのは、のおかげだよ」


 俺はそう言うと、外套のポケットからを取り出した。

 俺はそれを壊さないように丁寧にクレアの手に乗せる。


「え、これって……」


 手に置かれた物を見て、クレアは思わず、目を見開いていた。

 俺がクレアに手渡したもの。

 それはクレアの胸にかけられていたペンダントの欠片だった。


「君の命があるのはこのペンダントのおかげだ」


「え?」


「俺はクレアの剣が弾かれたのを見て、必死にクレアの身体に魔力を纏わせようとした。けれど、身体に魔力を纏わせたところで、その効果は高が知れている。だから、イチかバチかの賭けで、クレアの胸にかかっていたペンダントに魔力を集中させたんだ。そして、運良くジェルデの大矛がクレアの胸元に振り下ろされ――このペンダントが盾の役割を果たして、どうにかジェルデの初撃を防ぐことができたんだ」


 クレアは信じられないとばかりに雛罌粟ひなげし色の双眸を大きく見開いて、俺の顔とペンダントを交互に見る。


「これ、リーゼ隊長からもらったものなの……」


「……そうだったのか。すまない。大事なものを壊してしまって」


「ううん。このペンダントが無かったらあたしは死んでたわけだしリヒトには感謝しかないよ。それにリヒトは『イチかバチかの賭け』って言ったけど、あたし、思うんだ。リーゼ隊長があたしのことを守ってくれたんだって」


 そう言うと、クレアは深く深く瞑目して、ペンダントの欠片を胸に抱いた。


「あたしはリーゼ隊長に囚われていた。それは自分でもわかっていたし、ペンダントをずっと肌身離さず持っていたのもその証拠だと思う。リーゼ隊長の最後の言葉――クレアは生きてください! 私の分まで――という言葉だったはずなのに、あたしはそれを曲解して、リーゼ隊長のように強く気高く生きなければならないと、誰にも頼らず、自分自身の力のみで全てをなぎ払うことこそが、あたしなりのけじめなのだと思うようになっていた」


「…………」


「でも、ゴザ奪還作戦を通じて、というか、リヒトの言葉を受けて、あたしは考えを改めた。今なら何となくわかるの。リーゼ隊長が言いたかったこと。きっとあの言葉は――いつまでも私に囚われてないで、自分自身の幸せを追い求めなさい――という意味だったのだと思う」


 クレアはそこまで言うとスッと瞳を開ける。

 そして、ベッドから立ち上がると、壁にかけてあった赤色の外套にペンダントの欠片を大事そうにしまった。


 それはまるで過去との訣別を意味しているようで、俺の目には、必死に前に踏み出そうと藻掻いているように映った。


 クレアは、しばしの沈黙の末、ゆっくりとこちらに向き直る。


「だからもうリーゼ隊長とはお別れ。あたしにも【新たな信念】ができたから、これからはその信念のために生きるよ。決して自分の命を無駄にしない。自分だけで無理だったら周りに助けを求める。ちゃんと自分の幸せのために生きるよ。――それがリーゼ隊長の望みだと信じて」


 その言葉を聞いて俺は思わずハッとする。


 俺は不安だった。

 クレアが今回の敗戦によって自信を喪失してしまうのではないかと。

 ジェルデの言葉を受けて復讐心に身を焦がしてしまうのではないかと。


 でも、それも俺の杞憂だったようだ。


 身体は傷だらけで、心もぼろぼろのはずなのに、彼女は笑ったのだ。


 そんなクレアは――最初に森で出会った時の彼女を彷彿させるものだった。


 普通ならこんな状況では笑えない。

 それでも彼女は前を向いて、自信満々な表情を湛えるのだ。

 命を無駄にしないと言ってくれた。周りに助けを求めると言ってくれた。

 自分の幸せのために生きると誓ってくれた。


 そうであるならば、俺はその信念に応えようと思う。


「クレア、君に大切な話があるんだ」


「大切な話?」


 改まった話し出す俺に、キョトンとした表情を見せるクレア。

 そんなクレアを真っ直ぐに見つめて、俺はゆっくりと言葉を紡ぐ。


「クレアには魔力がない。だから、以前はリーゼ中佐の魔力を借りて戦っていたという話だったよな」


「……うん。前にも少し話したかもしれないけど、あたしは東方の国・レイディアント王国のとある武家の生まれなの。そして、東方には時々魔力を持たない子が生まれる。人はそれを『東方の忌み子』と言うんだけど、あたしがそれ。生まれながらの欠陥品。だから、あたしが軍人として生きるには剣の道を極めるしかなかったの。視認できないほどの剣速で剣を振るう。そうすれば、魔力なんてなくても負けることはないと思ったから」


 その言葉を聞いて、俺は過去のクレアの姿を思い出してみる。


「不思議に思っていたんだ。クレアは訓練の時でも決して魔力を纏おうとしなかったから。てっきり剣の道を極めるという信念みたいなものだと思っていた。けれど……使おうとしても使えなかったんだな」


 そこまで言うと、俺はクレアに向かって数歩歩みを進め、彼女の両手を取る。


「え、なになに」


 いきなり手を取られたものだから、何事かと頬を赤らめ、混乱した表情を見せるクレア。

 俺はそんな彼女のに干渉すると、精神を集中させて。


 ――彼女の呪いを解き放つ。


「――【明鏡止水・ほどき】――」


 短い詠唱の末――クレアの周りに灼熱色のオーラが渦巻き出す。


「君にもちゃんと魔力が流れているよ。ただ、使い方を知らないだけだ」


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