§038 目覚め

 あたしは夢を見ていた。

 なぜこれが夢だとわかるかと言うと、あたしの目の前に、今は亡きリーゼ隊長が立っていたから。

 人は死ぬ時に最も大切だった記憶を思い出すという。

 それがあたしにとっては『リーゼ隊長』だったということだろう。


「リーゼ隊長。あたし、死んじゃったんですね……」


 あたしは何とも言えない笑みを浮かべてリーゼ隊長に話しかけてみる。


 あたしの信念は『リーゼ隊長の分まで生きる』ことだ。

 それが道半ばで潰えてしまったのは申し訳ないと思っている。

 でも、リーゼ隊長と久々に会えたのだ。

 だから、リーゼ隊長も前と変わらない優しい笑顔であたしを受け入れてくれるかと思った。


 しかし、リーゼ隊長の表情は暗く、あたしに強い視線を向けながらも、一向に言葉を発しようとしなかった。


 あたしは居心地の悪さを覚え、焦り気味にリーゼ隊長に問いかける。


「リーゼ隊長……何か怒って……」


 あたしがそう言いかけたところ、無言のリーゼ隊長はゆっくりとあたし達が立つ地面を指さした。

 すると、そこには……


「あたしと……、リヒト?」


 その光景にあたしは思わず目を見開く。

 そこには血まみれのあたしを腕に抱き、馬を走らせているリヒトの姿が映し出されていたのだ。


「でも……よかった、リヒト。生きてる」


 そんな言葉が口をついて出た。

 あたしは自分のことより、リーゼ隊長のことより、何より、リヒトの身が無事であることに安堵したのだ。


 あたしが死んだということは、リヒトは覇道六大天第六席付の佐官級を二人も相手しなければならないということになる。

 そんな中でもリヒトが生きていたことが嬉しくて嬉しくて仕方なかったのだ。

 あたしは自分が死んだことも忘れて、頬を緩める。


 すると、そんなあたしの態度がおかしかったのか、頭上からくすくすとリーゼ隊長の笑う声が聞こえてきた。

 あたしは釣られるように顔を上げると、そこには慈愛に満ちた表情を浮かべた、あたしのよく知るリーゼ隊長が立っていた。


「ふふ、貴方のそんな表情初めて見ましたよ。……クレア。貴方にも大切な人ができたのですね」


「……え」


 リーゼ隊長のその言葉に思わず声を詰まらせる。

 大切な人とは当然リヒトのことを言っているのだろう。

 でも、最愛の人であったリーゼ隊長を前にして、それに首肯してもいいのだろうかというある種の迷いが生じる。


 でも、リーゼ隊長は、そんなあたしの心中を察したのか、ゆっくりと首を振った。


「貴方はいつまでも私に囚われる必要はありません。新たな目標。私は心から応援しますよ」


 ……ああ、そうか。リーゼ隊長は全てをわかった上で、あたしの前に立ってくれているのだ。


 あたしはリーゼ隊長の言葉を噛みしめるようにゆっくりと瞑目する。

 様々な感情が交錯し、幾重にもわたる道が示されるが、あたしの中ではもう答えは決まっていた。

 あたしはゆっくりと目を開けると、雛罌粟色の瞳を真っ直ぐにリーゼ隊長へと向ける。


「リーゼ隊長。貴方はあたしに生きる希望をくださいました。それは何にも代えがたいあたしの宝です。でも、リーゼ隊長が死んで……その信念に囚われてしまっていたのもまた事実。そんな中、リヒトは……あたしを『死なせない』と言ってくれました。その言葉を嘘にしてはいけない。リヒトにまた背負わせてはいけない。リヒトはあたしを信じてこの言葉をかけてくれたのだから」


「…………」


「だから、あたしはまだここに来るわけにはいかないのです。リヒトに……ちゃんと伝えなければいけないことがあるので」


 あたしがそこまで言うと、二人のいる空間が、突如、目映い光に包まれた。

 穏やかな表情を浮かべたリーゼ隊長の姿が陽炎のように揺らぐ。


「貴方の【新たな信念】を聞けて、心から安心しましたよ、クレア。私が最後に伝えた言葉のせいで、随分と貴方を苦しめてしまったみたいですね。でも、私は決して私に囚われた人生を生きて欲しかったわけではありません。貴方が貴方らしく幸せになることを望んでいたのです。……それにこれは決してお別れではありません。……どんなに遠く離れようとも、私の心はいつも貴方と共に。私は貴方の恋路をいつまでも応援していますよ」


 ――だって、貴方は、私の大事な大事な一番弟子なのですから。


 ♦♦♦


「んっ……」


 目が覚めると、あたしはベッドの上にいた。

 ……何だろう。長い長い夢を見ていたような気がする。

 とても大切な夢。

 だけど、その内容は思い出せず、ただただ温かい気持ちだけが不思議と胸の中に残っていた。


 ここがどこなのかを確かめようとゆっくりと首を動かすが、激しい痛みが身体を襲い、あたしは思わず顔を顰める。


 あたしは朦朧とした記憶を整理するように、ゴザ奪還作戦のことを想起してみる。


 あたしは確かガイアス帝国の覇道六大天第六席付・本部少佐ジェルデ・ティガウォックと戦っていた。

 奇抜な戦い方をする彼は今まで出会った敵の中で五本の指に入るほどの強敵だった。

 でも、あたしも調子は悪くなかった。

 剣速は振れば振るほど加速度的に速くなり、もし『孤宝こほう』を繰り出すことができたなら、彼の首を取れる自信があった。


 でも、あたしは……『孤宝こほう』を放つことができなかった。


 ――アクアリーブル軍司令官・ゴップ・スネイクに毒を盛られてたんだよ。


 ジェルデのこの言葉を聞いて、あたしの精神は大きく乱れた。

 そんなはずはないと思いつつも……決して忘れることのないあの日のリーゼ隊長の振る舞いが、覇道六大天・第六席ギオウ・スメラギの言動が、この言葉に真実見を与え……そんな一瞬の隙をジェルデは見逃さなかった。


 あたしの胸元に向かって大矛が振るわれ……。


「あっ! あたし!」


 ……切られたんだ。


 その事実を思い出したあたしは、痛む身体をガバッと起こすと、胸元に手を這わせる。

 すると、確かに傷はあったが、とても致命傷になるようなものではなかった。


 ジェルデが距離感覚を誤ったのだろうか?

 いや、あれほどの強者がそんな凡ミスを冒すわけがない。

 それにあたしは剣を弾かれて無抵抗だったのだから、仮に初撃であたしに致命傷を与えられなくても、追い打ちをかければいいだけのことだ。


 それじゃあ、あたしが反射的にジェルデの攻撃を躱して致命傷を避けた?

 いや、それもあり得ない。あたしはあのとき気が動転していたし、いくらあたしの反射神経がずば抜けていると言っても、とても避けられるような間合いじゃなかった。


 じゃあ一体なぜ……。


 そう考えた時、あたしの心の中でストンと落ちるものがあった。


 よくよく見回してみると、この殺風景の部屋の持ち主には心当たりがあった。


 クローゼットにかけられた黒色の外套。

 唯一の家具と呼べる書棚には難しそうな本がたくさん並んでいる。

 そして、ベッドの横のテーブルには、薬草の辞典と水桶、濡れタオルなどが乱雑に置かれている。


 薬草の辞典を見ながら看病する人間をあたしは一人しか知らなかった。


 あたしはその部屋の持ち主のことを思い浮かべると、感極まったのか、目から大粒の涙が溢れ出してきた。


「……リヒトぉ」


 あたしは涙声になりながら、その部屋の持ち主の名前を呼ぶ。

 すると、ちょうどその瞬間、部屋の扉がバンッという音を立てて勢いよく開いた。


「声が聞こえたと思って、走って来てみたら……」


 扉の前に立つリヒトはそう口にすると、驚きの表情を浮かべていた。

 両手には水が一杯に入ったバケツ。

 おそらく川から水を汲んできてくれたのだろう。


「リヒト!」


 あたしは彼の名を呼ぶと、ベッドから飛び降りて、リヒトの下に駆け寄った。

 そして、今まで押し殺していた気持ちを解き放つように、思いっきり彼の胸に飛び込む。


 リヒトの手からはバケツが音を立てて落ち、その衝撃で、水が勢いよく跳ねた。


「よかった。意識が戻ったんだな」


 リヒトはあたしのことを抱き止めると、安堵の表情を浮かべて言う。


「うん。ごめん、心配かけて。あたし、どれくらい寝てた?」


「三日間かな。ゴザからアクアリーブルに戻って、丸二日寝ていた感じだ」


 ゴザからアクアリーブルまで一日で戻れるかなという疑問が生まれたが、何となくリヒトならそれくらいやってのけそうな気がしたから、それ以上は聞かないことにする。


 それよりも……。


「リヒトだよね? あたしを助けてくれたの」


 リヒトはあたしよりも二〇センチくらい身長が高い。

 そのため、見上げる形になりながら、潤んだ瞳でリヒトを見つめる。


「あたしの実力じゃジェルデの攻撃は防げなかった。剣も弾かれちゃってたし。かといってリヒトとあたしの距離じゃいくらリヒトでも間に合わない。でも、あたしはこうして生きている。そうなると、答えは一つ……」


「…………」


「リヒトが……


 その言葉を聞いたリヒトは、どういうわけか軽く嘆息すると、あたしを抱き止めていた手の力を緩めた。


「俺もクレアに聞きたいことがある。ただ、お前は本来であれば死んでもおかしくないほどの大怪我を負ってるんだ。とりあえず寝ろ。身体に障る」


 少し突き放すような言い方のリヒト。

 そんな彼に介抱されるように、あたしはベッドへと誘導されたのであった。


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