§037 真実
二手に分かれた結果、私の相手は目論見どおり大矛の男と、その他雑兵が十人程度となった。
逆に言えば、リヒトは指揮官と雑兵四十人を相手にするのだ。
――舐められている。
そう感じたが、あたしは思いのほか冷静だった。
あたしは迫りくる雑兵を真っ向から迎え撃つ。
あたしには魔力がない。
だから、あたしの剣が相手の剣に触れることは絶対に許されない。
その時点であたしの敗北が決定するから。
そんなとても剣術の死合とは言えない制約の下。
けれど、今のあたしにとっては、それは制約にすらならなかった。
「てぇやっ!」
気合いの雄叫びとともに、前へと大きく踏み込む。
一瞬にして距離は
「ぐはっ――」
「げほっ――」
続けざまに舞い上がる血飛沫。
喉笛を掻き切られた敵兵は声にならない声を上げると、崩れ落ちるように倒れていく。
あたしはその影から更に疾駆し、次なる雑兵に肉薄する。
――やはり今日は調子がいい。
剣を振るう度にその剣閃が研ぎ澄まされていくのがわかった。
残像をも残さぬ速度で右に左に疾駆し、もはや風と同化した剣で肉を断つ。
一瞬だった。
今のあたしには雑兵程度では相手にすらならなかったのだ。
目の前には数刻前までは
――これで一対一だ。
あたしは剣から滴る鮮血を振り払うと、目の前に佇む一人の男に視線を向けた。
身長ほどもある大矛を携えた男。
その男は、これだけあっさりと雑兵を討ち倒したあたしを前にしても、口の端を上げ、尚も余裕の笑みを浮かべていた。
武器もそうだが、その不遜な態度が、覇道六大天第六席を名乗ったあの男を彷彿させる。
目の前にいるのは仇だ。
リーゼ隊長を葬った覇道六大天第六席の配下。
しかも、あの日、あの場にいた敵陣営の幹部だ。
あの日の気持ちを忘れたわけじゃない。
リーゼ隊長への忠誠が揺らいだわけでもない。
それでもあたしの心はさざ波一つ立たない静かなものだった。
ただ、それが逆にあの日の悲しみの深さを物語らせる。
「あんた、あの男と一緒にいた奴よね。その顔覚えてるわ」
あたしの言葉に男は陰惨な笑みを湛えた。
「へぇ。オレ様のこんな
「あんたの名前になんか興味ないわ」
あたしの切って捨てるような口調にジェルデと名乗る男は苦笑する。
「おいおい、連れねーな。お前はあれだろ? あの金髪女の腰巾着だろ?」
「は? あたしはクレア・スカーレット。誇り高きリーゼ隊長の一番弟子よ――――」
そう言い終わらないうちに――あたしは駆け出した。
一瞬にして数メートルあった距離が縮まり、疾風の刃がジェルデの首筋に剣を突き立てられる。
――入った。
今日の中で最速の剣閃。
この剣を避けられるはずはない。
そう思った。
しかし、あたしの剣は無情にも空を切った。
――か、躱された?
あたしは一瞬思考が停止して、ジェルデの影を追った。
すると――ジェルデの顔が下にあった。
「――――ッ!」
その蛇にも似た瞳は真っすぐにこちらを捉えており、咄嗟の判断であたしは横へと逃れた。
そして、すぐさまジェルデの方に向き直るが、あたしはその風体に絶句した。
ジェルデは地面すれすれと言えるほどまでに身体を仰け反らせ、そのままの姿勢で静止していたのだ。
そう。ジェルデは驚異的な身体の柔らかさでその身を反らすことによって、あたしの剣を躱したのだ。
常識を逸脱した回避方法。
あたしの剣も大概変則的な方だが、この男の戦闘スタイルは別格だ。
その瞬間、この男が想像以上に厄介な相手であることを痛感した。
「あっぶねー。オレ様じゃなければ首が飛んでたぜ」
そんな余裕さを窺わせる言動をしながら、舌なめずりをするように口の端を綻ばせるジェルデ。
次は何が来る。
そう思った矢先。
ジェルデは今度は背中を前傾に丸めると、手をだらんと下げてぶらぶらと横揺れをし出した。
獣を彷彿させる異形の構え。
先ほどの回避を見ていなければ、これが臨戦の構えだとは誰も思わないだろう。
しかし、あたしにはわかった。
一瞬でも視線を逸らしたら、あたしの首は落ちると。
「それじゃ次はオレ様から――」
転瞬、ジェルデの大矛があたしの胸元へと伸びてきていた。
「――――くっ!」
文字通り、伸びたと錯覚するほどの刺突。
あたしは半身になって紙一重のところで大矛を躱す。
あたしの戦術は自身の速度を活かしたヒットアンドアウェイだ。
そのため、あたしは常に先手先手を取り、戦闘を有利に進めてきた。
それなのに、あたしはこの男に先手を譲ってしまった。
異形の構えに不意を突かれたことは否めない。
それでもリヒトとの仕合ですら先手を譲ったことのないあたしだ。
この男の実力をどうやら認めざるを得ないようだ。
この男は速い。あたしに匹敵するほどに。
そして、あたしの剣を躱せるところを見ると、相当目もいいようだ。
想定を遥かに超える敵にあたしは思わず歯噛みする。
あたしは魔力が使えない。
その制約の下、この男を相手にするのは少々分が悪い。
戦闘が長引けば長引くほど、魔力を使えないあたしが劣勢に追いやられるのは必至だ。
……そうなると、一瞬でけりをつけるしかないか。
あたしにはリヒトでも止められなかった最速の奥義がある。
――『
空間を断絶して音速を超えた斬撃を放つ最高の剣術だ。
あたしは一度、剣を帯に収めると、静かに瞑目する。
「(これで終わらせるから。見ててね、リーゼ隊長)」
そう独り言ちた上で、腰を低く落として抜刀の構えを取る。
集中力が高まり、心が深く深く落ちていくのがわかる。
段々と色が消え、気配が消え……世界が塗り替わっていく感覚に包まれる。
いつもならこの時点で周りの音は聞こえなくなっている。
でも、今回は違った。
「そういえば、今更だけど、あのリーゼ・メロディアって女……」
ジェルデの声が、あたしの世界に、
聞かなければいい。
そのはずなのにあたしの耳は正確にジェルデの声を拾い続ける。
「あの日、万全の体調じゃなかったよな? あれって、なんでだか知ってるか?」
え、何を言ってるの。
あれはあたし達が魔力を使わせ過ぎた魔力欠乏症で……。
「まさか本当にそんな風に思ってるのか。おめでたいやつだな」
なにそれ、どういうこと。
「ははっ、本当に知らないんだな。じゃあ優しいオレ様が教えてやるよ。あの日の真実を……」
やめて。
やだやだやだ。
聞きたくない。
「あの日リーゼ・メロディアは…………」
――アクアリーブル軍司令官・ゴップ・スネイクに毒を盛られてたんだよ。
「え、」
一瞬、時が止まった気がした。
けれど、そんなことは無かった。
あたしが思わず目を見開くと、目の前には悪魔のような笑みを浮かべたジェルデの姿があった。
「隙ありっ!」
(ガキンッ)
鈍い金属音が木霊し、魔力を持たない剣が虚空を舞う。
……あ、死、
「クレアぁ――――っっっっ!!」
赤く染まる視界の中で最期に聞こえたのは、大切な人の悲痛な叫び声だった。
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