§036 静謐なる炎

「リーゼ・メロディアを討ったのは私達だよ。――雑草部隊エルバの諸君」


 敵指揮官アーチボルト・マクレガンの放った一言にクレアが肩をビクリと反応させたのがわかった。


 安い挑発。

 ただ、今のクレアにとっては効果てき面だったようだ。

 クレアは憎悪に表情を歪ませると、唇を噛みしめてアーチボルトのことを睨みつける。

 今にも飛び出しそうな勢いだったため、俺は左手をクレアの前に晒し、彼女を静止する。


「くっ!」


 苦痛に苛まれた短い声を出すクレア。

 その光景を見たアーチボルトはふんと鼻を鳴らすと、クレアに視線を向ける。


「赤髪の彼女はリーゼ・メロディアに執心があるみたいだね。ダメだよ、戦場でそんな隙を晒しちゃ」


 そう言って更なる挑発的な笑みを浮かべる。


 やりにくい相手だと思った。

 アーチボルトは挑発的な言動を繰り返しているが、これは決して感情的な挑発ではない。

 あくまで軍略的な挑発だ。


 おそらくこいつはリーゼ中佐のことなど何とも思っていない。

 これが最も合理的な戦略だと認識しているからこそ、その手法を選択しているだけだ。


 それを証拠にアーチボルトは嘲笑を浮かべ、敢えて不遜な態度を取っているが、筋肉は全く弛緩していない。

 いつでも抜刀できる。

 そんな戦闘熟練者の構えだ。


 こちらをアクアリーブルの雑兵と侮ってくれればよかったのだが、俺の情報は筒抜けのようだし、敵はどうやら全身全霊で雑草部隊エルバを潰しにきているようだ。


 俺はしばし黙考する。


 教会の中にはもう一人、アーチボルトと同等の魔力を持つ敵がいる。

 本当であればその者をクレアに任せたかったのだが……冷静さを欠いたクレアを戦闘に参加させるわけにはいかない。

 しかし、そうなると戦闘要員は俺一人だ。


 目の前には五十の雑兵。

 俺はそれを突破して、指揮官クラスの二人の首まで辿り着かなければならないのだ。


 現在、アクアリーブル軍の本隊は、ガイアス帝国の重装歩兵部隊は交戦中。

 いくら騎馬部隊を全滅させたとは言え、元々の覆しようのない兵数差だ。

 時が経てば経つほど、アクアリーブル軍は劣勢になるのは必至。


 アーチボルトもそれがわかっているからこそ、守りの姿勢を見せ、俺達との会話を引き延ばそうとしているのだ。


 そう考えるとファイエル達の到着を待っていては間に合わない。

 結局、この状況を打破するには、可及的速やかにアーチボルトを討ち取るしかないようだ。


 その結論に行きついた俺はギリっと歯を噛みしめる。


 ――しかし、次の瞬間、


「あたしは大丈夫」


 静謐な声音が俺を包み込んだ。


「え?」


 俺はその聞き覚えがあるのに、全く印象の異なる声に思わず横に視線を向ける。

 それはクレアが発したものだった。


「あたしにも戦わせて。もう大丈夫。ちゃんと冷静だから」


 クレアの瞳には今猶滾る炎が宿っている。

 けれどそれは、今までのような怒りに身を任せたものとはまるで違う。

 どこまでも静かで、触れるもの全てを凪させるような、静謐なる炎だった。


 俺はクレアの普段との変わり様に思わず目を見開く。


 ――まるでリーゼ中佐が乗り移ったようだ。


 そう思わせるほどに彼女の纏う雰囲気は落ち着いており、内なる強さがひしひしと伝わってくるようだった。


「……クレア」


 俺が口を開くと同時に、クレアの灼熱の双眸がこちらに向けられる。


「周りもちゃんと見えてる。リヒトの考えてることもわかる。あたしの力が必要なんでしょ」


 闘志を宿した瞳が微かに揺れる。


 それを見て……俺は静かに頷いた。


「ここからは策も何もない。正真正銘の実力勝負だ」


「端からそのつもりだし。あたし、リヒト以外に負ける気ないから」


 クレアはそこまで言うと、右手の愛剣を軽く振るって、鮮血を払うように宙を薙いでみせる。

 気合十分と言ったところか。


 そんなクレアを認めて、俺は改めて教会に視線を戻したところ、ちょうど教会内から一人の男が顔を出すところだった。


「お、あの赤髪の女は見覚えがあるな」


 現れた男はクレアを見ると、そう口にした。


 身長ほどもある大矛を携えた切れ長の目の男。

 とても軍人とは思えないヨレヨレにくたびれきった迷彩柄のジャケットに、ダボダボなニッカポッカ。

 その表情はどこか野性的で、余裕の表れなのか、口元は陰惨な半月状に歪みきっている。

 その相貌は野盗を彷彿させるものだった。


 筋肉の質、魔力量ともにこの中で最上位。

 表情もどこか自信に満ち溢れており、その実力のほどが窺える。


 その風体からどんな戦い方をするのかは想像に難くないが、模範的なアーチボルトとは対称的なタイプであるため、これはこれでかなり厄介な相手だ。


「……もう一人の指揮官クラスのお出ましだぞ」


 俺が静かにクレアに伝える。


「知ってる。あたし、あいつ見たことある。あの日の戦場での傍らにいた奴だ」


 言葉の内容とは裏腹な落ち着き払った声音。

 その声音に俺は少しだけ安堵する。


 仇を前にしても冷静。

 クレアはもう一人でも大丈夫そうだ。


「クレア。予定どおり、あっちの大矛の男を殺れるか。俺は指揮官を殺る」


「……了解」


 クレアの返事を確認すると、俺はアーチボルトとその横に並び立つ大矛の男に目を向ける。


 空気は張り詰め、一瞬の静寂が場を包み込む。


 もはや戦闘が秒読みとなったことを察したアーチボルトは静かに嘆息すると、真っすぐにこちらを見つめて言う。


「念のため聞いておく。降伏の意思はあるか。この兵数差だ。いくら君達が傑物と言ってもこれだけの敵を相手にするのは至難だろう」


「申し訳ないが俺はこの作戦において降伏する権限を持っていない。まあ仮にあったとしても、お前たちに差し出してやる首は無いがな」


「聞く耳持たぬか。では……仕方がない」


 アーチボルトは自らの剣帯に手を掛け、片手剣バックソードを抜刀の上、再度、右手を大きく挙げる。


「殺れ」


「うぉぉぉお!」


 敵兵の雄叫びと同時に、俺とクレアは地を蹴る。


 ――ゴザ奪還作戦・最終局面。


 その火蓋が、今、切って落とされた。




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【あとがき】

 3月はラストスパートということで、12:00と18:00に各1話ずつ投稿します。

 応援よろしくお願いいたします。


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