§044 大切なものを失わないために

「決闘しよう、クレア。――もし俺が勝ったら、もう戦場には立たたせない」


 俺は無情にもクレアにそう言い放つ。


 クレアと相対する直前まで、ずっと悩んでいた。

 彼女を戦場に立たせるべきか否かを。


 彼女は以前誓ってくれた。

 命を無駄にしないと。


 それならば……と、俺は彼女に【纏い】を教えた。

 敵に決して遅れを取らないように。

 少しでも生き残る可能性が高まるように。


 でも、戦場では何が起こるかわからない。

 どんな強者であろうと簡単に命を落とすのが戦場だ。


 人間とは本当に残酷な生き物だと思う。

 『他人』であれば平気で受容できてしまう死を、いざ『大切な人』に置き換えられると受容できなくなる。

 そう、俺は彼女に死んでほしくないと思うようになっているのだ。


 でも、これは俺の一方的なエゴ。

 彼女の意思は一切反映されていない。


 だからこそ、俺は彼女が剣を振るう理由を確かめたかったのだ。


 そうして返ってきた答えが――リヒトとずっと一緒にいたいからだよ。


 正直、息が詰まった。

 彼女が俺に対してそんな気持ちを抱いてくれているとは思っていなかったからだ。


 俺は恋愛というものには疎い。

 でも、彼女の熱っぽい視線を受けたら、これが単なる尊敬とか目標とかそういうものでないことは、どんなに鈍感でもわかる。


 クレアは可愛いと思うし、一緒にいて楽しいと思うのは事実だが、俺がクレアに対して恋慕の感情を持っているかというと、正直よくわからない。

 だから、今、彼女の気持ちに応えることはできない。


 それでも、もし、彼女を失ったらと考えると……。

 それが敬愛であれ、恋慕であれ、俺は絶対に後悔する。

 彼女が気持ちを伝えてくれたからこそ、俺の心は決まった。


 決闘という名の契り。

 俺が取り得る選択肢の中で、彼女を最も傷付けずに戦場から退出させる方法。


 奇しくも彼女に先に言われてしまったが、俺もクレアとのつながりは剣だと思っていた。

 言葉では伝わらないことも、剣を交えれば伝わることもある。

 きっと説得には応じてくれないクレアには決闘しかないと、そう考えたのだ。


 だが、こんな一方的な申し出、当然、彼女も納得するわけがない。

 ただ、俺の言葉を聞いたクレアは怒りを顕わにするというよりは、動揺が怒りを上回っているという感じだった。


「リ、リヒト。何を言ってるの……あたしは貴方の右腕で……剣の腕も認めてくれて……ゴザ奪還作戦の時だった一緒に……」


 クレアが自身の存在価値を確認するかのように言葉を紡ぎ、同時に口の端を震わせる。


 俺もアリシアの右腕だった過去があるからこそ、この言葉に思うところはある。

 いきなり通告される左遷勧告に様々な感情が渦巻くのと同じだ。


 しかし、俺はそれを認めるわけにはいかない。

 一度彼女を肯定してしまったら、更に彼女を傷付ける結果になるからだ。


 決めたからには、俺は徹底的にヒールを演じなければならない。


「近いうちに勃発するアクアリーブル戦では、おそらく覇道六大天が出てくる。リーゼ中佐の仇。そんなのを相手にすることになったら、クレアは一〇〇パーセント命を落とす。そんな場所に君を行かせるわけにはいかないんだ」


 そんな言葉にも、自らの意思を主張するかのように胸に手を当てて必死に反論するクレア。


「意味がわからない! 命を落とす可能性があるから何だって言うの! そんなの剣士になると決めた時から、リーゼ隊長を亡くしたあの日から理解している! それにいくら相手が仇だろうと、もうリーゼ隊長のことで心が乱れることもない! それよりもあたしはリヒトの側にいたいの! リヒトと共に戦いたいの!」


「君は俺とずっと一緒にいることが信念だと言ったな。じゃあ別に剣に固執する必要はないじゃないか。俺は君から離れると言っているわけじゃない。戦場に立たせないと言っているだけだ」


「そんなの詭弁よ! あたしから剣を取ったら何も残らない! あたしに戦場に立つなというのは、もう離れるって言われているのと同じことなの!」


「そんなことはない。君は既にリーゼ中佐の呪縛からは解放されている。剣士以外の別の道だって……」


「違う! リーゼ隊長は関係ない! あたしは今あたしの意思で剣を握っているの! 人の感情を勝手に決めないでよ、わからず屋!」


 縋るように必死の抵抗を見せるクレア。


 ああ、こうやって言葉を紡いでいると、自分の性格の悪さがよくわかる。

 俺は屁理屈に屁理屈を重ね、挙げ句、クレアの感情を利用してまで、彼女の望みを断ち切ろうとしている。


 でも、俺だって……もうでの二の舞を演じるわけにはいかないんだ。


 ここまで言うつもりはなかったけど……。


「わかってくれ、クレア。俺よりお前を戦場に立たせるわけにはいかないんだ」


 その言葉にクレアは目を見開き、頬を強ばらせた。

 これで心が折れてくれれば最善なのだと俺は願った。


 でも、それも一瞬のこと。

 やはり一筋縄ではいかない。

 一言「……上等よ」と呟いたクレアは、血が滲むほどに歯を噛みしめると、獣の鋭さを湛えた灼眼でこちらを睨み付ける。


「……リヒト。貴方があたしを戦場に立たせたくない理由をもう一度聞かせて」


「お前を死なせたくないからだ」


「……そう」


 クレアは一度深呼吸するように視線を伏せた。


 そんな彼女を見て、最善ではないにしろ、俺は少なからず安堵した。

 クレアは完全に俺の挑発に乗ったのだ。

 あとは決闘という名目で彼女を組み伏せて、戦場から追放するだけ。


 決闘という建前があるし、彼女には何よりもプライドがある。

 おそらく、この決闘を最後に、彼女は剣を握ることはなくなるだろう。


「…………」


 ああ、ほんとに自分が嫌になる。

 今日は夜はやけ酒かなと思いつつも、俺はクレアを見据える。


 これが正解であるかなんて今の段階ではわからない。

 けれど、戦場では只結果こそが真実。

 死んでしまっては意味がない。


 もう俺達は元には戻れないだろう。

 長く続く沈黙が俺達の訣別を象徴しているかのようだった。


 そして、数刻の静寂の後、視線を伏せていたクレアがぽつりと呟いた。


「……アリシア・エルフェミア王女殿下の気持ちがよ~くわかったわ」


「は?」


 まるで恋人の浮気を冷たく弾劾するような軽蔑しきった抑揚。

 安い挑発だ。

 そうは思ったが、慮外にも紡がれたアリシアの名前に俺は思わず反応してしまった。


「お前にアリシアが何がわか……」


 しかし、言い終わらないうちに、俺の言葉はクレアの咆哮によってかき消された。


「わかるわよ! グダグダグダグダグダグダグダグダと理屈、屁理屈、並べ散らして、人の気持ちも知らないで! あたしを死なせたくない? そんなのこと言うなら――――貴方があたしを守りなさいよ! それが男っていうものでしょ!」


 クレアはシャンと金属音を轟かせて腰の剣を抜き。

 鋭い視線とともに、切っ先をこちらに向ける。


「証明してあげる。あたしが本当に貴方より弱いかどうかを。――あたしは貴方の隣にいるために、今日、貴方を超えるッ!!」

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