§045 決闘

 あたし、クレア・スカーレットは怒っていた。


 リヒトはあたしを剣で魅了し、あたしの命を助け、あたしに魔力を与えてくれた。

 リヒトはあたしの師匠になり、目標になり、そして、大切な人になった。


 もうリヒト無しでは生きられない。

 そんな気持ちにさせておいて、いきなり戦場に立つな……なんて。

 梯子を外すにもほどがある。


 あたしを死なせたくないと言ってくれたのは……素直な気持ちで言えば嬉しかった。

 あたしはがさつだし、すぐキレるし、ちっとも淑やかじゃない。

 男といる方が気が楽だし、ちょっと前までは平気で男の前で着替えたりもしていた。


 そんなあたしのことを女の子として扱ってくれたことで、ほんの少しだけ心がときめいた。


 でも、やっぱり動揺の方が大きくて。

 あたしはリヒトの隣で戦いたいって言っているのに、リヒトはあたしの言葉になど耳を傾けてくれない。

 挙げ句、決闘で決めるとか言い出す。


 どうせあたしが単純だから、『決闘』って言葉を出せば食いついてくると思われているんだ。

 悪かったわね、戦闘バカで。

 でもね、それはあたしのことを侮りすぎだよ。


 ……リヒトは本当にわがままだね。


 あたしを死なせたくないなら、貴方があたしを守りなさいよ。

 あたしが大切なら、貴方の側にずっとあたしをいさせてよ。


「…………」


 そこまで考えて、あたしはふと立ち返る。


 ああ、でも……これはあたしのわがままなのか。


 そう考えると、何が正しくて、何が間違いかなんて、どうでもよくなった。


 だからあたしは【信念】という言葉が嫌いなのだ。

 信念という言葉は、所詮は、自分の考えを押し通すための免罪符にすぎない。

 それでも譲れない気持ちであるがゆえに、人はそれを信念と呼ぶのだろう。


 あたしだってそう。

 譲れない想いがあるから、あたしは今、ここに立っているのだ。


 元より難しいことを考えるのは性に合わない。


 ――あたしは今日、貴方を超える。


 ただ、それだけでいいじゃないか。


 そうして、あたしは黒い外套を翻して距離を取るリヒトの姿を見つめ、自身の愛用する白銀色に輝く短刀剣スモールソードを撫ぜる。


 リヒトは訓練の時は頑なに真剣の使用を禁止していた。

 そんなリヒトが自ら真剣の使用を宣言し、この立合いを『訓練仕合』ではなく『決闘』と呼んだ。


 命のやり取りをする勝負。

 リヒトの本気度が窺える。


 以前の訓練仕合では、リヒトに完封負けを喫した。

 いや、結果としては、あたしの勝ちだったかもしれないけど、あたしはそんな勝ちは認めない。

 だからこそ、あたしはリヒトに勝つことを目標にここまで剣を振り続けてきたのだ。


 リヒトは強い。

 でも、あたしだってあの時のあたしとは違う。

 今は【纏い】も使えるし、リヒトの剣も初見じゃない。

 それにリヒトは以前、仮にあたしが魔力を帯びた『孤宝こほう』を繰り出したら止めることはできないだろうと評してくれたことがあった。


 勝機は十分にある。


 あたしは向き直ったリヒトの剣を見つめる。


 手に握られるのは漆黒の片手剣バックソード

 剣の全長は一一○センチ程度で、普段の訓練でリヒトが使用している剣とほぼ同等。

 素材おそらくミスリルかオリハルコン。

 リヒトがその剣を抜いているのを見たのは、ゴザ奪還作戦の時のみだが、その記憶は鮮明に残っている。

 人間が、剣が、盾が、まるで紙を切るかのように一刀両断されていた。

 あれが剣の性能によるものか、リヒトの技術によるものかはわからない。

 でも、あの剣が相当な切れ味を誇るということは頭に入れておかなければならない。


 あたしは自身の短刀剣スモールソードを握り直す。


 以前は訓練用の剣だったからこそ、その感覚の差を利用されて、あたしの剣がリヒトを捕らえることはなかった。

 剣にしては小ぶりであるから、リヒトの剣と比較すると、どうしても心許なさは残る。

 でも、これはもはや身体の一部とも言える愛剣なのだ。

 剣の性能で不覚を取ることはないだろう。


 あたしは深呼吸をすると、全身に血を巡らせるように、剣にゆっくりと魔力を行き渡らせる。


 リヒトに教わった魔力操作。

 戦闘において魔力の移動は基本にして奥義。


 剣が馴染む。

 剣の鼓動が伝わってくる。


 今日は調子がいい。


「前回と同じようにコインが地面に落ちた瞬間から勝負開始でいいわね」


「ああ」


 リヒトが静かに頷くのを見て、「ああ、本当に始まるんだな」という実感が身体に満ちる。

 心臓がドクドクと音を立て、剣を握る手には汗が滲んだ。

 身内に剣を向けるというのは、それなりの覚悟がいるものだと思い知らされる。


 それでも、あたしがリヒトの隣にいるには、これ以外の道はない――


「――いざ、勝負」


 そう口ずさみ、指を勢いよく弾く。

 ピンッという小気味いい音を立てて宙に投げ出されたコイン。

 まるでスローモーションのようにコインの裏表の模様が視覚情報として伝わってくる。


 全てが遅い。全部見えている。

 うん、やっぱり今日は調子がいい。


 これなら……と、あたしは剣に手を添え、身体を低く低く落とす。


 あたしの得意分野は、速度を活かしたヒットアンドアウェイ。

 先手を譲るつもりは端から選択肢にない。


 最初から全力でリヒトの首を取りに行く。


 あたしは目を細めて空中で孤を描くコインを目で追い――それが地面に落ちる瞬間。


 ほんとに一瞬だった。

 瞬きよりも短い一瞬。

 あたしはリヒトから意識を外し、コインを見た。


 しかし、その選択は間違いだったと思い知らされる。


 瞬間――今まで感じたことがないほどの凄まじい殺気があたしを襲った。



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