§046 【放ち】

 視線を外したつもりはなかった。

 ただ手前のコインを見据えて、後方のリヒトを視覚に捕らえる動作。

 でも、意識だけは、一瞬、コインに移ってしまっていたようだ。


 あたしがコインの落下からコンマ数秒を経てリヒトのに視線を戻した時には、リヒトの姿は消えていた。


 次の瞬間――今まで感じたことがないほどの凄まじい殺気があたしを襲った。


 目で捕らえたわけじゃない。

 それでも鳥肌が止まないほどの寒気にも似た気配。

 あくまで野生の勘というやつなのだが、このままでは死ぬという漠然とした危機感が身体に警鐘を鳴らしてくれた。


 あたしは同時に刺突を中止。

 足に纏っていた魔力を剣に集中させ、反射的に眼前に構えた。


 転瞬――


(ガキン!)


 ――鈍い金属音を響かせて、あたしの剣が大きく弾かれた。


「――――なっ!」


 何が起きたのかわからなかった。

 その場に剣などなかったはずなのに……そこには確かに剣があった。


 リヒトに攻撃された?

 剣閃どころかリヒトの姿すらも視認することができなかった。


 あたしの思考は混乱を極めた。


 いま攻撃を防げたのは、剣を構えた場所に偶々リヒトが打ち込んできただけ。

 要は運がよかっただけなのだ。


 しかし、次に攻撃をされたら確実に当たる。

 そう確信できるほどに、あたしは今自分が置かれている立場を理解できずにいたのだ。


 ――距離を取らなければ死ぬ。


 そう条件反射のように判断したあたしは、剣が弾かれた反動を利用して、後ろへと大きく飛んだ。

 地を強く蹴り、左手で地を叩いたバク転の要領での緊急回避。


 だが、足に魔力を纏わせる余裕がなかったので、想像より飛距離がでない。


 でも、きっと大丈夫。

 いつものリヒトならあたしが退避すれば追い討ちをしてくることはない。

 そんな甘い考えが心のどこかにあったのだと思う。


 戦争は甘くない。

 そう教えられるかのように、更なる殺気があたしを包み込んだ。


 バク転は踏ん張りが利かない体勢であることから隙も大きい。

 そんな隙を本気のリヒトが見逃すはずがなかった。


 まるで幻術を見せられているが如く、ゆらりと目の前に姿を現れたリヒトは一閃。

 膨大な魔力を帯びた漆黒の刃が無情にも振るわれる。


「――――くっ!」


 あたしは上下が逆さまの状態でリヒトの剣を受けるしかなかった。


(ガキン!)


 膨大な魔力が込められた一撃。

 膂力で敵わないのに、こんな体勢で受ければ、あたしが力負けするのは必定だった。


 受け身は度外視。

 トンと手をバネにして空中でリヒトの剣を受け止めたあたしは、空いた左手で剣身で押さえてどうにかリヒトの刃を押し返そうと躍起になる。

 だが、そんな抵抗も威力をほんの少し殺す程度の効果しかなかった。


 大きく振るわれたリヒトの太刀筋により、あたしの身体はパチンコ玉のように軽く弾き飛ばされた。


 人がこんなに飛ばされるのかというほどの威力であたしの身体は空を切る。


「――あ、ぐぅ!」


 激しく地面に叩き付けられ、肺の中の空気が情けない声となって外へ押し出される。

 それでも勢いは止まずにゴロゴロと転がり続ける身体。

 あたしはその勢いを殺すように爪でガリッと地を掻くと、低空姿勢を復帰させ、すぐさまリヒトに視線を戻した。


 身体の至る所に裂傷。

 額からも生暖かいものが流れてくるのを感じる。


 しかし、そんなのは些細なこと。


 あたしの思考の全てはリヒトへと向けられていた。


「……リヒトの動きが全然見えなかった! 何をしたの!」


 あたしは地面に手をつき、荒く息を吐きながら、リヒトに向かって叫ぶ。


「……【放ち】」


 口数少なくそう呟いたリヒトは、自身の目の前に人差し指を一本立てて見せる。


 最初は挑発の類いかと思った。

 でも、それが違うことはすぐに理解した。


 リヒトの人差し指がまるで蜃気楼のように揺らいだのだ。


「――――えっ!」


 あたしは狐につままれたような感覚に陥り、思わず目を見開く。

 これは決してあたしの目が霞んでいるのでも、辺りを舞う土煙のせいでもない。


 ……でも、一体どういう。


 そんなあたしの疑問にリヒトはいつも答えてくれた。

 どういう原理なのか、何がポイントなのかを丁寧に説明してくれた。


 しかし、今、目の前に立つリヒトは違った。


 漆黒の剣を構え直したリヒトは言葉無く揺らぎ。

 「ふっ」という形容がぴったりなほどに忽然と姿を消した。


 また見えない攻撃が来る。

 そう思った時には、地面の砂を拳一杯に掴み、周囲にまき散らしていた。


 これは決して苦し紛れで稚拙な悪あがきではない。

 あたしは直感的に理解したのだ。

 自分がさっき『蜃気楼』と評したことが、言い得て妙だったことを。


 あたしは蜃気楼がどんな原理なのかを知らない。

 でも、蜃気楼が遠くにあるものが近くに見えたりする現象であることは知っている。

 そうであるならば、自分の視覚を信じてはいけない。


 もっと感覚的にリヒトの位置を探る必要がある。


 そして――見えた!


 巻かれた砂が不可解な動きをした箇所を。


 そんな条件反射にも似た感覚で、あたしはそちらに剣を向ける。

 同時に異空間から剣だけが飛び出したかのように、何も無い場所から漆黒の剣が伸びてきた。


(ガキンっ!)


 既に聞き慣れた剣がぶつかり合う音が木霊する。


 間一髪。

 ではあったが、あたしは自らの剣でリヒトの剣を防いだ。

 これは今までの直感だけで凌いでいた結果とはわけが違う。

 その気持ちがあたしの気持ちを更に高揚させる。


「――あたしはやられたらやり返さないと気が済まない質なの!」


 そう雄叫びを上げると、足に魔力を集中させ、思いっきり蹴り出す。

 そして、リヒトがいるであろう空間に向かって思いっきり剣を振り下ろす。


(ガキンっ!)


 またもや響く金属音。


 今日初めてのあたしからの攻撃。

 それに対して、まるで透明のベールから出てきたかのように姿を現したリヒトは、眉をピクリと動かした。


「魔力の移動がスムーズだ。足に魔力を纏わせて初速を上げたのは評価できる」


 いつまでも澄ました顔でいられると思わないで。

 あたしは鍔迫り合いをしながらも、挑発的な視線を向けてリヒトを煽る。


「お生憎様! もうその蜃気楼はあたしには利かないわ!」


 そんな虚勢を張ってみるが、決してそんなことはない。

 さっきは偶々防ぐことができたが、次に同じことができるとは限らない。


 リヒトだってあたしが虚勢を張っていることくらい、十分承知しているはずだ。


 でも、最初は全然見えなかった攻撃を、今は防ぐことができたのだ。

 これを精神の支柱にしないで何ができよう。


 それに……リヒトが今まで見せたことのない【放ち】を使ってきたこと。

 この事実がむしろあたしを冷静にさせていた。


 あたしはやはり戦闘開始の当初は、リヒトと本気で剣を交えることに躊躇いがあったのだと思う。


 いくら自分の信念のためとはいえ、身内に対して剣を振るうという心理的葛藤。

 これが重荷にならないわけがないのだ。


 精神状態は、剣に大きな影響を与える。

 迷いのある剣は、決して相手の懐には届かない。


 でも、リヒトは本気であたしの首を取りに来た。

 それは、今の一合目、二合目ではっきりした。


 ――だからこそ、あたしも本気を出せる。


 あたしは速度を殺された鍔迫り合いを嫌うと、後方へと大きく飛び退いた。


 まさか魔力を纏ったを最初に使う相手がリヒトになるなんて……。


 あたしは手が震えていることに気付いた。

 武者震いではないかもしれない。


 それでも……あたしがリヒトの隣にいるためには、これしかないのだ。


 あたしは腰を大きく落とすと、抜刀していた剣を、一度、剣帯に収めた。


「後悔なさい、リヒト・クラヴェル! 貴方に敗北の味を教えてあげるわ!」

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