§021 指揮官

「ええ。君の心の問題ですよ、クレア」


「あたしの心?」


 ファイエルの言葉を思わず聞き返すクレア。


「はい。隊長が……一番引きずっているのは他でもないあなたではないですか。それなのに新たな指揮官。クレアの気持ちがついてこれますか?」


 ファイエルの言葉にクレアの瞳が揺れる。

 そして、何かを考えるように軽く視線を落としたクレアはしばし黙り込んだ。


 けれど、数刻の後、意を決したようにクレアは顔を上げた。


「隊長の死はつらかったよ。死にたくなるぐらい、逃げ出したくなるぐらいつらくて……毎日泣いてた」


「…………」


「でもさ、隊長がいないからって……いつまでも逃げてはいられないでしょ。あたしたちも前に進まなきゃ……」


 クレアがそこまで口にしたところで、俺は居ても立っても居られなくなり口を挟む。


「クレア、俺を指揮官に推してくれてありがとう。でも、俺にも少し話させてほしい」


 俺の静かな声音にクレアは素直に頷いた。


「君達の境遇は先ほどファイエルから聞いた。そして、俺にも思うところがあった。もう俺は君達の指揮官になることに拘泥していない。むしろ君達は安全な場所に逃げるべきだと思っている」


「リヒト。それはさっき言ったよね? 逃げないって」


「……でも」


 食い下がる俺をクレアの真紅の瞳が射抜く。


「リヒトは誤解してる」


「……誤解?」


「うん。ここはね、あたしたちにとって大切な場所なの。それこそリヒトが思っている何倍も何倍もね。確かに最初はつらかったよ。何でこんな知らない土地に連れてこられて兵器として戦わなければならないのかってね。でも今は違う。守りたい仲間もできたし、貫きたい信念もある。リヒトがあたしたちの境遇を慮ってくれるのはよくわかるよ。でもね……あたしたちは別にゴップの命令だからここに残っているわけじゃない。自らの信念の下に戦場エルバに立ってるんだよ」


 自らの信念。

 その言葉に俺は思わずクレアの顔を見た。


 するとそこには、まだあどけなさの残る少女の面影は無く。

 クレアの表情は自らの理不尽な境遇を受け入れ、その上でも真っすぐに前に進もうとする女剣士そのものだった。


 俺はその時ふと、彼女と出会った時のことを思い出した。


 あの時、自らの待遇を憂うことなく、明るく、真っすぐに剣を振る彼女の姿に感銘を覚えた。


 彼女は勇敢だ。

 十人いれば十人がそう評することは間違いない。

 現にあの時の俺がそうだったのだから。


 でも……俺は今のクレアを見て思う。


 それは決して『勇敢』などという小気味いいものではなかった……と。


 ――クレアは自らの死すらも受容している。


 それはおそらく無意識によるものだろう。

 もちろんクレアも戦地に死にに行こうとは思っているわけではない。

 けれど、仮に信念の下なら戦場に散ってもいいと思っている。


 俺にはそう思えてならなかったのだ。


 以前はこんな風に思うことはなかった。

 これは単に彼女との付き合いが長くなったからかもしれない。

 つまり、彼女を死なせたくないという気持ちが俺の中に薄ら芽生えているということだ。


 でも、彼女は戦場に出ることが信念であると言った。


 彼女の信念と、彼女の命。

 その重すぎるもの同士の天秤に、自身の境遇を重ねる。


 今一度彼女を見るが、彼女の決意は揺るがない。

 そんな強くも悲しい彼女の姿に、俺はギュッと唇を噛みしめる。


 そんな俺を見たクレアは軽く嘆息するとゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。

 そして、袖首を掴むと俺にしか聞こえない声で言った。


「(また難しいこと考えてる? 大丈夫。約束したでしょ。負けた借りは絶対に返すって。それまで死ぬつもりはないからさ。だからあたしにもリヒトが中央に返るお手伝いをさせてよ)」。


 俺の心の内を完全に看破した優しい言葉。


 彼女は死ぬつもりはないと言った。

 その言葉で俺は自らの心配が杞憂であったことに安堵し、同時に心は決まった。


 ――彼女がどうしても戦場に出ると言うのなら。


 ――俺は雑草部隊エルバを率いてアクアリーブルを。ひいてはエルフェミア王国を救う。


 ――そして、クレアのことは絶対に死なせない。


「本当に今日の俺は失言ばかりだな。君達の話を聞いてこの場所が非常に大切な場所であることはよくわかった。それなのに『逃げてくれ』なんて……配慮が足りなかった。重ねてお詫びする。その上で、俺からお願いをさせてもらいたい。この作戦は……俺が行かないと多くの犠牲者が出る。俺は……どうしてもこの国を救いたいんだ。だからどうか……協力してほしい」


 俺は雑草部隊エルバのメンバーに向かって頭を下げる。


「「「……!!」」」


 それを見た雑草部隊エルバのメンバーはまるで毒気を抜かれたように唖然としていた。


「今回の作戦を指揮しているのはアリ・ベナート副司令官だ。でも、俺はあいつとは違う。決して君達を使い捨てたりしない。その決意の証として、今回の作戦では俺が先陣を切る。君達が今までの戦争で担ってきた役割を今回は俺が担う。だから頼む。エルフェミア王国を救うためにも、どうか俺に協力してくれ」


 その場の空気に合わせるようにクレアが優しい声音で言う。


「……ということだからさ、みんな。リヒトを指揮官に据えて再出発してみない? 彼は強くて、大尉で、中央のエリートで、あたしたちじゃ手も届かない存在だけどさ、国を守りたい一心であたしたちみたいな下っ端に頭を下げてくれてるんだよ? 危険を承知で自ら先陣を切るって言ってくれてるんだよ? それに応えてあげられないようじゃさ……死んだ隊長にも失礼だよ。あたしたちはどんなに踏まれても絶対に折れない精鋭部隊――雑草部隊エルバ――なんだからさ」


 このクレアの言葉から場の雰囲気は俺を受け入れる流れになっていた。

 エインリキだけは最後まで不満そうに口をへの字に曲げていたが、もうこれ以上何かを言うこともなかった。


 それを見てクレアが微笑む。


「ふふ。全会一致ということなので、これからよろしくね! リヒト指揮官!」


 クレアがいるだけでどんなにじめじめした場所でも明るくなる。

 そんな太陽みたいなクレアに俺は感謝の気持ちでいっぱいだった。


 だからこそ思う。

 彼女だけは絶対に守り抜かなければならないと。


「(ありがとう)」


 先ほどのお返しとばかりに、俺はクレアにしか聞こえない声で耳打ちをする。

 するとクレアも負けじと耳打ちを返してくる。


「(ううん。あたしの方こそありがとう。どうしてもリヒトと一緒に戦場に行ってみたかったんだ。本気のリヒトの戦いを見れる機会なんて滅多にないからね)」


「(戦場は遊びじゃないぞ)」


「(わかってるわよ。それに……あたしも乗り越えなきゃいけないからさ……いろいろと……)」


 そう言ってクレアは遠い目を向ける。


「(いろいろ?)」


 俺がクレアに聞き返したところで、エインリキが茶々を入れてきた。


「お二人さーん! さっきから何イチャイチャしてんの? クレアが何か言った瞬間から軍師さんの態度が随分変わったよね? やっぱり二人できてるの? そゆこと?」


「「なっ//」」


 エインリキからのデリカシーの無い一言に俺とクレアは共に赤面する。


「できてるってなによ! そんなのじゃないし! あんた、斬り殺すわよ!」


 刹那、抜刀の上、エインリキに斬りかかるクレア。

 そんな光景を笑いながら見守る俺や他の雑草部隊エルバのメンバー。


 何はともあれ第一関門は突破した。

 あとはゴザ奪還作戦で雑草部隊エルバをどう動かすかだ。


 俺は戦略を思案しつつ、クレアに剣先を突き付けられているエインリキを見つめた。


「それにしても……」


 ――あいつは誰にでもあんな感じなんだな。


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