§005 赤髪の少女

 俺に向かって刃を突き付ける赤髪の少女。


 歳は俺と同じか少し下くらいで、おそらく十八歳前後。

 灼熱を彷彿させる赤髪に、同じ色をしたアーモンド形の瞳が特徴的だ。

 服装は赤と白を基調とし、上は赤色の外套に純白のブラウスを合わせ、下は白色のショートパンツ。

 更には露出された太ももを覆い隠すように赤色の軍用ブーツを履いている。


 全ての服が大分着崩されていて、つい目のやり場に困ってしまうような露出が目立つが、いずれも元は軍が支給する軍服のようだった。


 ということは彼女は王国軍人なのか?


 彼女へ観察の目を這わせると、短刀剣スモールソードの切っ先が首にかけられた。

 どうやら勝気そうな見た目通り、あまり気の長いタイプではないようだ。


 俺は降参の意を表して、両手を挙げる。


「覗き見するつもりはなかったんだ。偶々、道に迷ってしまって」


 そんな言い訳に赤髪の少女はふんと鼻を鳴らす。


「変態はすぐにそうやって言い訳するのよね。言っとくけどこの先には何もないわよ。それなのにわざわざこんな場所まで来る理由が無いわ」


 冷ややかな眼光。真っ当な言い分。

 そして、次の瞬間、金属の冷たい感触が首筋を伝う。


 ああ、この子……感情で動くタイプの人間だ。


 さすがに自分の命が危うくなってきたので、必死の弁明に切り替える。


「わかった、白状するよ。実は中央から着任したばかりでこの辺りのことがまだよくわかっていないんだ。それで水場を探して彷徨っていたら偶々剣を振るう音が聞こえたものだから、少し気になってしまって」


 その言葉に少し驚いた表情を見せる彼女。


「へぇ……あんた、中央から来たんだ」


 どうやら彼女は「中央」という言葉に興味を持ったようだ。


 今までの変質者に向けるような冷ややかな眼光を正すと、首に突き付けられていた剣先も収めてくれた。


「まあ、来たばかりならそういうこともあるか。でも、中央からアクアリーブルに来るなんて珍しいわね。何か訳アリ?」


 短刀剣スモールソードを剣帯に収めた少女は、小首を傾げながら言う。


「まあ、そこそこ訳アリかもしれないな。でも、そういう君も何か訳アリだろ?」


「……え?」


「だって君は東方の出身じゃないか」


 突然の俺の切り返しに感嘆の声を漏らす彼女。


「なんでわかったの?」


「発音に少しだけ訛りが残ってるんだ。あと、さっきの剣の構えはこっちの流派では見ないものだし、おそらくは東方の古武術に由来するものかと」


 俺がそこまで言うと、少女は驚きのあまり目を見開く。


「ご名答。この国で東方出身って言うといい顔されないから普段は黙ってるんだけど、初対面で言い当てられたのは初めてだわ。あんた、実はすごい学者さんだったり?」


「軍人だよ。君と同じ」


「え? あんた軍人なの? 軟弱そうだからてっきり学者とか教師とかだと思った」


「東方のことは偶々たまたま学生の頃に勉強してたから知ってただけだよ。そういう君はもしかして士官だったりするのかな?」


 素直な質問だった。

 先ほど見た剣戟は一介の兵士で繰り出せる代物ではない。

 アリシアには及ばないかもしれないが、それでも一度ひとたび戦闘に出れば武勲の山を築けるほどの実力であることは確かだ。

 司令官が大佐なら、おそらくは大尉か……悪くても少尉クラス。


 しかし、俺の言葉を聞いた彼女は「はぁ?」と半ば呆れた表情を見せる。


「あんた、あたしのことバカにしてるの? 超超超下っ端の一兵卒ですけど?」


「へ、兵卒?! 役職無しってことか?!」


「そうよ。あたしバカだし士官なんかなれるわけないじゃん」


 そしてなぜか威張るようにふんぬと豊満な胸を抱き込んで腕を組む彼女。


「それにあたしは出世しようと思って軍にいるわけじゃないし。あたしはね、剣さえ振れる場所ならどこだっていいんだ」


 そう言って彼女は笑った。


 その言葉を受けて、俺の心を様々な感情が駆け巡った。


 まず真っ先に思ったのが彼女の待遇だ。

 あの実力を見て彼女を兵卒に据え置くとは、ここの司令官はどんな顔をしているんだ。

 是非とも顔を見てみたいと考えて、先程のゴップの嫌味面が頭に浮かんだ。


 ああ、いや訂正。もうお腹いっぱいです。


 あいつなら十分あり得そうだ。

 選り好みも激しそうだし、そもそも彼女の剣の凄さすら理解できない可能性もある。


 ただ、そんなことよりも俺が強く思ったこと。


 それは彼女が自分の人生を全く悲観していないことだ。


 人とは自分のあるべき場所に収まりたいと思うものだ。

 実力があるなら評価されて然るべき。そう考えるのが人間として性のはず。

 もちろん自分の実力を正確に把握できていない可能性もある。


 しかし、それでも彼女から受ける印象は明るく、真っすぐだ。


 とても自らの待遇を憂いているようには見えない。


 他者を凌駕できる実力を持ちながらの不遇。

 普通ならそんな状況で笑えない。そう……今の俺のように。

 けれど、彼女は笑った。


 そう考えた瞬間、俺の中に込み上げてくるものがあった。


「君は……すごいな」


 俺はまだ会って数刻しか経っていない名も知らない少女へ、尊敬の念を述べる。


「はぁ? やっぱりあんた、あたしをバカにして……」


「バカになんかしてないよ。あんな素晴らしい剣戟を見せられてバカにする方がどうかしている」


「……え?」


 突然の俺の一言に呆けた顔を見せる彼女。


「君は強いよ。技術もさることながら日々の鍛錬が見て取れる。一つ一つの剣捌きに強い意志が宿っているし、動きも呼吸するように無駄がない。これは一朝一夕で身につくものじゃないよ。それになにより……」


 俺は彼女の心の強さに触れようとした。

 しかし、彼女がそれを不遇と思っていない以上、俺がそれに触れるのは無粋な気がした。


 俺は喉元まで出かかった溢れ出る感情をどうにか飲み込んで、別の言葉に置き換える。


「……君のような実力者とまさかアクアリーブルで出会えるとは思っていなかった。叶うなら手合わせを願いたいぐらいだ」


「……なっ//」


 率直な感想を述べたつもりだった。

 けれど、少女はどういうわけか顔を赤らめて視線を伏せてしまった。


 しばしの沈黙の末、彼女は紅潮させた顔を隠すようにぷいとそっぽを向いた。

 しかし、すぐさま半身振り返ると、控えめな口調で言う。


「じゃ、じゃあさ……少しだけ手合わせしてみる? あたしも一人で稽古するの飽きちゃったし」


「……え?」


「あんたも帯刀してるってことは剣はできるのよね?」


 その予想外の誘いに、俺は刹那、逡巡した。


 確かに彼女は強い。

 将来的にはアリシアと肩を並べるほどの才媛だと素直に思う。

 ただリヒトとて王国最強の騎士であるアリシアの片腕を担っていた男だ。

 今の彼女には負ける気がしない。


 もし俺との手合わせで彼女の心が折れてしまったら。


 しかし、そんなことは杞憂だとすぐに理解した。


「な、なんで黙るのよ! あたしがせっかく手合わせしてあげるって言ってるのに逃げるわけ!?」


 中々答えを出せずにいた俺に痺れを切らしたのか、さっきまでのしおらしい表情は一転。


 挑発的な視線を向けてくる彼女。


 それは照れ隠しをするようで、無邪気な子供が剣を交えるのが待ち遠しくてたまらない――そんな表情だった。


 俺は心の中でくすりと笑う。


 ――ああ、やっぱり彼女は剣に対してどこまでも真っすぐな子なんだ。


 剣を愛し、剣に愛される。

 俺はそんな女性をもう一人だけ知っていた。


 彼女ならこの場合どんな風に応えるのだろう。

 そんなのは考えなくても決まっている。


「それじゃあ一合だけお願いしようかな。実はさっき嫌なことがあって俺も無性に剣を振りたい気分だったんだ」


「ふふ、そうこなくっちゃね。あ、あんたがどれだけの実力なのか知らないから一応言っておくけど……」


 そう言ってニヤリと笑う彼女。


「――あたし、強いから」


 瞳を爛々に輝かせた彼女の表情は、どこまでも前向きで、自信に満ち溢れたものだった。


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