§003 上官の嘲笑

「君はどうして左遷されたんだい?」


 その問いに俺は心の中で嘆息する。


 中央から地方に異動になる時点でこういう質問が来ることは想定していたが、いざ実際に質問を受けてみるとあまり気分のいいものではない。

 それが純粋な質問ならいざ知らず、悪意に満ちた質問なら尚更だ。


 だが、着任初日から荒事を起こすつもりは毛頭ない。


「重大な軍規違反を冒したためです」


 俺はあくまで冷静かつ淡々と事前に目を通していた自身の経歴書の内容を諳んじる。


「それは知ってるよ。私が聞いているのはその詳細だ。君は士官学校を首席で卒業。弱冠十八歳で少佐に昇格し、かの中央第一騎士団で軍事参謀を務めたのだろう? そんな出世街道を突き進んでいた男がこんな辺境に飛ばされたんだ。相当なことをやらかしたのではないかともっぱらの噂だよ」


 そう言ってゴップは退屈な地方生活の中に突如飛び込んできたゴシップネタを楽しむかのように、今日一番の陰惨な笑みを浮かべる。


 目をギラギラさせて挑発的な言葉を次々と繰り出すゴップはもう悪意を隠そうともしない。


 本来であれば切って捨てるような質問でも、軍が階級社会である以上、上官の命令は絶対だ。


 けれど、こんな挑発に素直に乗ってやるほど俺もお人好しではない。


「アリシア団長からこの件については他言無用の命を受けておりますので、いくら司令官と言えどもお答えするわけにはいきません」


 俺はここで事前に考えていた模範解答を持ち出し、平然とうそぶく。


 するとゴップはあからさまに顔を顰め、乗り出していた身体を深く椅子に収めた。

 どうやら地方と言えども、王族であり、王国最強の騎士であるアリシアの名は効果てき面のようだ。


 とりあえずゴップからは今後この事実を掘り返されることはないだろうと安堵のため息をつく。


「ああ、わかったよ。もう十分だ」


 毒気を抜かれたゴップは短くそう言うと、もう話は終わりだとばかりにひらひらと手を振る。

 そして、回転椅子をそのまま横に向けてしまった。

 完全にご機嫌を損ねてしまったように見える。


 俺もこれ以上話をしたいわけではなかったが、さすがに確認しておかなければならないことがある。


「司令官、それでは最後に一つだけ。こちらではどのような仕事をすればよろしいのでしょうか」


 俺はアリシアからアクアリーブルでの任務の大まかな内容は聞かされていた。


 そのため、詳細な指示を仰ごうという意図の質問だったが、ゴップからは予想外の返答が返ってきた。


「ああ? 君に任せる仕事はないよ」


「はい?」


 俺は自分の耳を疑った。

 しかし、ゴップは面倒くさそうに同じことを繰り返す。


「聞こえなかったか? 君にやらせる仕事はないって言ってるんだよ」


「いや! さすがにそんなはずはありません!」


 アクアリーブルはエルフェミア王国の最西方。

 敵国であるガイアス帝国領と隣接する地点にあり、ここを突破されればそのまま王国領への侵攻を許してしまう重要な軍事拠点の一つだ。


 しかし、アクアリーブルはその堅固さゆえに未だに防衛戦闘の機会は無く、現在のアクアリーブル軍の任務は他地域への戦力派遣が主になっている。


 そんな一見安全ともいえる都市なのだが、王国軍総司令部の接した情報によると、最近、ガイアス帝国軍の西方への動きが活発化しているとのことだ。


 ついに今まで不落だった西方方面への侵攻が始まる。


 そんな情勢であることから、「何かあればすぐに知らせるように」という目付け役の趣旨で俺はアクアリーブルへ派遣されたはずだったのだが……。


 俺はアリシアから聞いている任務内容をゴップに伝えるが、それを聞いても尚、興味なさげに答えるゴップ。


「アクアリーブルは鉄壁の要塞都市。うちが攻められるなんてことなんて万に一つもあり得ない。君はアクアリーブルを舐めすぎだよ。それに君の辞令は『司令官補佐・軍事参謀』だろ?」


「……それが何か?」


「つまりは司令官でもなければ、副司令官ですらないんだ。最初から君に何かを意見する権限なんて与えられていないんだよ」


「…………」


「君はそれなりに頭が切れるのかもしれないし、『戦場の魔術師』と呼ばれるくらいだ。魔法操作にも秀でているのだろう。だがそれは全て中央での話だ。地方には地方のルールがある。余所者に口を出されちゃたまらないんだよ」


 そこまで言うとゴップは椅子をくるりと回転させて俺の方に向き直る。


 その表情に俺は絶望すら感じた。


 それは同じ軍の仲間に見せる表情ではなく、明らかな敵対者に見せるものだったから。


「まあ、いいじゃないか。何もしないで給料がもらえるんだ。こんな好待遇は滅多にないぞ。それに聞いているところによると、君は出世に貪欲だと言う話じゃないか。どうせアクアリーブルで武勲を上げて早々に中央に帰ろうとか思ってたのだろう?」


 俺はゴップの指摘に思わず唇を噛みしめる。

 それを見たゴップは愉悦にまみれた満足げな笑みを湛える。


「どうやら図星のようだね。だがここの指揮官は私だ。そんなに都合良くいくと思わないことだな」


 そして、一拍置いたゴップは、最後に凄味を利かせて言い放った。


「君にはここで潰れてもらう」


 この言葉を聞いた瞬間、今までどうにか抑えていた激情がこみ上げてくるのを感じた。


 いま感情に任せて上官であるゴップに食ってかかれば対立が表面化することは明白。

 地方生活の安寧を望むのであれば、何を言われようが黙って受け流す。

 それが最善であり、唯一の最適解だった。


 ……けれど。


「俺は中央に帰りますよ」


 思考を経るよりも先に、ほとばしる想いを口にしてしまっていた。


 感情に任せた勢い任せの一言。

 本来であれば悪手であるはずの一言だったが、それが逆に俺を冷静にし、同時に大事なことに気付かせてくれた。


 ……例の一件で見失いかけていた信念を。


 俺は何のために出世を志していたのか。

 この腐った王国軍を変えるためじゃないか。

 戦争を無くし、皆が笑い合える国を作る。

 そのためにも俺は偉くならなければならないんじゃなかったのか。


 俺は一度失敗を冒し、出世のルートから外れてしまった。


 だが、もう過ちは起こさない。

 絶対に中央に返り咲いてみせる。


 ――たとえ何を犠牲にしようとも。


 俺はスッと伏せていた瞳を上げる。

 そして、心に刻み込むように、もう一度ゴップに向かって宣言する。


「俺は絶対に中央に返り咲いてみせますよ。たとえどんな手段を使っても」


 俺は滾るものを宿した瞳でゴップのことを思い切り睨みつける。


 もう後戻りはできない。これは明確な戦線布告だ。


 俺の放つ殺気に気圧されたのか、ゴップの額から一筋に汗が流れる。


 しかし、取り繕うようにコホンと一度咳払いをすると、表情を改めて嘲笑を深める。


「へぇ? 司令官の私に盾突いて武勲なんか上げられると本気で思っているのかい? 生憎、君に貸し与える部隊など用意してないよ?」


「大丈夫です。一人でどうにかしますので」


 それを聞くとゴップは吹き出すように唾を飛ばしながら、大きな笑い声を上げる。


「ぶはは! 一人で? それはまた随分と大きく出たな。まあそこまで言うなら好きにやりたまえ。せいぜい楽しんでくれよ、アクアリーブル流の歓迎を」


「一つ言わせてもらいますが、俺はこの処遇について不満はありません。俺はそれだけのことをした自覚はありますし、客観的に見てもこの異動は正当な評価だと思っています。嘲られるのも、憐れまれるのも、あなたの勝手ですが、俺はどんなに蔑まれようとも、それを贖罪と思って受け止め、自身の信念を全うするつもりです」


「……ガキが」


「……それでは失礼します!」


 俺は慇懃な敬礼を送ると、踵を返して扉を勢いよくバタンと閉める。


 初日から些かやり過ぎた気がしなくもないが後悔はしていない。

 むしろゴップには見失いかけていた進むべき道を示してくれたことに感謝を述べたいぐらいだ。


 当面の目標は決まった。

 まずは早急に体制を整えて、協力者を募る。

 そして、早々に中央に戻るんだ。


 俺はそう意気込むと、司令官室を後にした。


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