§002 地方都市・アクアリーブル
王都セントラル・ミドガルドを立って数日後。
俺は数里先に堅固な防壁に囲まれた都市を認めた。
眼前に広がるはエルフェミア王国で最大の流域面積を誇るステュークス川。
それが流れ込むアクアリーブル湾と、険しい岩肌を露出したウィルピーク山。
この川、海、山に囲まれ、さながら自然要塞の様相を成しているのが、俺の新たな赴任地――地方都市アクアリーブルだ。
アクアリーブルはエルフェミア王国の最西端。
昼夜問わず馬を走らせたが、結局、七日間を要してしまった。
汽車を乗り継ぐという選択肢もあったが、アクアリーブルは港町であるため汽車の直通経路は無く、最寄駅から数十里の距離を歩く羽目になる。
それに何と言っても汽車代が馬鹿にならない。
そうであるならば、少し裏技的な方法であるが、乗り慣れた馬を走らせた方が幾分マシだ。
向かうはアクアリーブル軍が駐在している支部。
俺はここまで頑張ってくれた馬のたてがみを撫でつつ、残りの数里を一気に駆け抜けた。
街に入るとアクアリーブル軍の詰所はすぐに見つかった。
木造の建築物が多い街並みの中、煉瓦の紋様が美しい立派な建物だった。
入口の兵士に用向きを伝えると案内されたのは司令官室。
そこには四十歳前後の男が黒革の回転椅子にどっかりと腰かけていた。
「ようこそ、アクアリーブルへ」
司令官室で俺を出迎えたのは、二重、いや三重顎をした小太りの男だった。
声は大きく、身体も大きい。
腹は出ていて、肌色も悪いことから、不摂生な生活を送っているんだろうなというのが第一印象。
部屋には葉巻の煙が立ち込め、書類も乱雑に置かれていたことから、大雑把な性格をしているんだろうなというのが第二印象だ。
アクアリーブルに着任するに際して、事前にアクアリーブル軍幹部のパーソナルデータは頭の中に叩き込んである。
この司令官の名前は……。
「アクアリーブルの司令官をしているゴップ・スネイク。役職は大佐だ」
「お初にお目にかかります、ゴップ司令官。中央から着任しましたリヒト・クラヴェル大尉です。本日から誠心誠意任務に臨む所存でございます」
俺は台本どおりに最敬礼をする。
そんな俺に品定めをするような視線を向けていたゴップだったが、ふんと軽く鼻を鳴らすと、机の上の箱から葉巻を一本取り出す。
「そんなに気張らなくてもいいよ。中央の参謀さんには地方への異動はさぞかし堪えただろうしね」
着任早々にゴップから紡がれた一言。
それは明確な嫌味だった。
一瞬、「移動は疲れたでしょう」という労いの言葉とも思ったが、彼の顔を見たらそんな幻想はすぐさま立ち消えた。
ゴップは口角を陰惨に吊り上げ、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべていたのだ。
『地方』とは王国軍の地方支部のようなもので、役職等にも明確な格差が存在する。
例えば、地方での『大佐』は、中央では二階級落とした『少佐』として扱われるように。
元々採用試験も異なるため、このような格差が生じることはある程度致し方ないのだが、地方軍人は中央軍人のことを快く思っていないというのはよく聞く話だ。
事前情報からアクアリーブル軍人は特に中央軍人への風当たりが強い傾向にあることは把握していた。
それにこのゴップという司令官は過去に何があったのかは知らないが、中央軍人を顕著に目の敵にしているということだった。
そのため要注意人物として想定はしていたのだが、さすがに初日からこんなにもあからさまな嫌味が来るとは思っていなかったため、俺は思わず苦笑いをしてしまった。
「ん? 何をニヤニヤしているのかね?」
「いえ。さすがに七日間、馬を走らせ続けたのは、中々にして身体に堪えまして。やっとアクアリーブルに着けたということで安堵していたところであります」
「……馬? 君はセントラル・ミドガルドから馬で来たのか?」
ゴップは怪訝な表情を浮かべて首を傾げる。
「はい。馬に魔力を纏わせましたので、予想より早く到着することができましたが」
「馬に魔力? 君は何を言ってるんだ? そんなことができるわけがなかろう」
そのゴップの態度を受けて、この会話は失策だったと悟る。
――ああ、ここには馬に【纏い】をできる者はいないのか……。
中央第一騎士団では出来るのが当たり前だったため、ついその前提で話してしまったが、どうやらアクアリーブルでは馬への【纏い】は一般的ではないらしい。
確かに今思い返すと新たに配属された騎士達は「そんなことができるんですか?」と驚いていた記憶がある。
口で説明をしてもおそらく信じてもらえないだろうし、本来なら実際に見てもらうのが手っ取り早いのだが、どうやら彼は中央に偏見があるようだ。
わざわざ教えてやる義理もない。
そう思うに至った俺は、適当に話を誤魔化すことにした。
「いえ、要は馬が頑張ってくれたために予定より早く到着できましたという意味です」
答えているようで答えていない返答。
それに一瞬顔を顰めたゴップだったが、すぐさま表情を戻すと、再びニヤニヤと意味あり気な笑みを湛える。
「……まあいい。そんなことよりも君に会ったらどうしても聞きたいと思っていたことがあるのだが、いいかね?」
「はい。何でしょう」
「君はどうして左遷されたんだい?」
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