辺境軍師の魔法教室~地方に左遷されたけど、俺だけ使える『魔力操作』で中央へと返り咲く

葵すもも

第1章【出会い編】

§001 左遷

「辞令。リヒト・クラヴェル。本日付で少佐から大尉へ降格処分とする。併せて、中央第一騎士団長補佐・軍事参謀の任を解き、地方都市アクアリーブルへの出向を命ずる」


 慣れ親しんだエルフェミア王国軍中央騎士団の一室にて、銀鈴を振るうような声が響きわたる。

 それは俺、リヒト・クラヴェルの【左遷】を告げる辞令だった。


 辞令を読み上げるのは、天使と見紛うほどの美少女。


 その場に佇むだけで空気が清らかになり、歩を進めるだけで星屑が舞う。

 そんな印象を与えるほどに類まれなる美貌を有し、厳格にも純白のブラウスに濃紺の軍服を羽織った弱冠二十歳の女性佐官。


 彼女の名は――アリシア・エルフェミア中央第一騎士団長。


 俺の直属の上官だった人物だ。


 約三年間。

 俺は彼女の指揮の下、中央第一騎士団の軍事参謀として、様々な戦地を渡り歩いてきた。


 だが、それも今日までのこと。


 俺はを冒し、地方都市へと左遷されることになったのだ。


 順調に出世してきた自負はあった。

 士官学校を首席で卒業し、各戦場でそれなりの武勲も上げた。


 けれどこれで俺は完全に出世のルートから外れたことになる。


 別に左遷されることに文句を言うつもりはない。

 この結果は言わば自業自得であり、正当な評価でさえある。


 それよりも……俺の中で燻ぶり続ける別の感情の方が問題だった。


『どうして私を助けたんですか!』


 毎日のように夢に見る。

 既にトラウマとして俺の心に巣食うてしまった言葉が脳内に響き渡る。


 俺は今猶いまなお答えが出せぬ問いから目を背けるように、上官であるアリシアから目を逸らすと、形式的に読み上げられる赴任先での任務内容に耳を傾ける。


 数刻の後。

 辞令書を読み終えたアリシアが、絹のような白銀の髪をサラリと揺らし、湖面を映したような水色の双眸をこちらへと向ける。


「ということのようです。総司令部は本当に勝手な人事をしてくれます。まさか私の片腕であるリヒトをアクアリーブルへ出向させるなんて……」


 俺の待遇を憂いた台詞。

 のように見えて、その一言から幾重にも折り重なった感情が垣間見える。


 戸惑い、悲しみ、後悔…………そして、怒り。


 そんな複雑な感情を向けられて、俺は返すべき適切な言葉を見つけられずにいた。


 俺達を見守るように見つめる騎士団員達も、何とも形容しがたい表情を浮かべている。


 今すぐにでもこの場から逃げ出したい衝動に駆られるが、やはり俺にも軍人の血が流れているようだ。


 幾度となく命を受けてきたアリシアの言葉に、身体は無意識のうちに言葉を紡いでいた。


「……俺はそれだけのことをしました」


 俺はふと出てしまった言葉に伏せていた視線を上げる。


 すると、真っすぐに俺を射抜いていたアリシアの視線と交錯してしまった。


「…………」

「…………」


 不意をつかれた形になり、気まずさを湛えた俺の表情がアリシアの双眸に映りこむ。


 彼女は何かを言いたげに口を開こうとするが、それをグッと飲み込むように口端を湿らせる。


 しばしの沈黙の末、どちらともなく視線を逸らした。


 それはまるで喧嘩別れをした子供のようだった。


 気まずさばかりが先行して、何とも言えないもどかしさだけが残る感覚。


 俺も大概だが、ジャンヌダルクの再来とも呼ばれ、圧倒的な天賦の才で王国最強の騎士まで登り詰めたアリシアには似つかわしくない態度だった。


 アリシアはそんな雰囲気を取り繕うように言葉を紡ぐ。


「リヒトは十分な成果を残しました。さすがは『戦場の魔術師』の異名で敵から恐れられるだけはあります」


「団長。その呼び方はやめてくださいと何度も言ってるじゃないですか。それに俺なんて遠く及びませんよ。名立たる武官を退けて十八歳という異例の若さで大佐まで昇格されたのはどこの才女でしょう」


「私の場合は王家の人間であることが大きく影響しています。それに今回の件で私はもう大佐ではありません。アリシア中佐ですよ、リヒト大尉」


 そう言って彼女は薄く笑う。

 そして、少し感傷的な表情を湛えながら言う。


「リヒトの常識にとらわれない軍略と精緻な魔力操作には大変助けられました。私の力だけではどうにもならない戦場も、リヒトがいたからこそ勝利に導くことができました」


「偶々作戦がうまくハマっただけです。それに、結局、剣術では団長に一度も勝てませんでしたからね」


 そう言って彼女の肢体に目を向ける。


 すらりと長い脚には女性らしからぬ軍用ブーツ。

 腰回りにはしなやかなくびれを締め上げる革製の剣帯。

 その剣帯には少女が持つにはあまりにも不似合いな大剣クレイモアが収まっていた。


 彼女は静かに瞑目し、そっと剣に手を添える。


「剣術は私の誇りです。この剣で国を守る。その気持ちは今でも変わっていません」


「……知っています。団長はそういうお方です」


「信念があるのはリヒトも同じでしょう」


 アリシアはそう言うと伏せていた瞼を上げ、俺の瞳を真っすぐに見つめる。


「私はリヒトの犠牲をいとわず立身出世を志して邁進する信念を尊敬していました」


 一拍、アリシアは言葉を選ぶように呼吸を置く。


「……リヒト。貴方の悲願のためにも、早く中央に帰ってきてくださいね」


 彼女は激励としてこの言葉を送ってくれたのだと思う。

 けれどこの言葉を受けて、今までどうにか平静を保っていた心の均衡がぐちゃぐちゃに崩れていくのを感じた。


 本来の俺ならこんな時でも合理的に感情を制御できていたと思う。

 しかし、この時はなぜか様々な感情が交錯して、止めどない気持ちが口をついて出てしまっていた。


「確かに『出世』は俺の唯一の目標でした。出世のためなら全てを擲つ。その覚悟がありました。しかし……」


 そこまで言いかけて、俺は一度口を噤んだ。


 この後に続く言葉を口にしてはいけない。

 もし口にしてしまったら、その瞬間に、今まで積み上げてきたものが……確固たる信念が……崩れ去ってしまう。


 そんな気がした。


 冷静に、論理的に、客観的に俺の脳が「これ以上しゃべるな」と警告を鳴らしている。


 けれど、人間の感情とは複雑なもので、時には理性を上回る感情というものがあるのだと思い知らされる。


 そして、俺はついに口にしてしまう。


「あの時から……『出世』というものが……わからなくなってしまいました」


「……え?」


 アリシアから戸惑いの声が漏れる。


 そして、何かを悟ったかのように深く深く瞑目した後。

 激しく責め立てるような、非常に厳しい視線がこちらに向けられる。


「……リヒト。あの時のこと……


 アリシアが突然紡いだ怒気を含んだ言葉。


 それは何の脈絡も無く、まるで小説を途中から読み出したような言葉だった。

 けれど、俺には次に紡がれる言葉が容易に予想できた。


 「もう一度聞く」という言葉が意味するところ。


 それは以前も尋ねられた問いであり、俺が答えることができなかった問いであるということだ。


 そうとわかった瞬間、心臓の鼓動が急激に速まり、額に汗が滲むのがわかった。


 出来るならこのまま時が止まってしまえばいい。

 そう思わせるぐらいに辛く苦しい記憶が蘇ってきた。


 しかし、無情にもアリシアは口を開く。


「あの時、なぜ貴方はあのような愚かな判断をしたのですか?」


 その明確な非難の言葉に部屋はしんと静まり返った。

 俺はゴクリと唾を飲み込み、どうにか思考を巡らせるが、肝心の声が出てこない。


 決して答えたくないわけじゃない。俺にもその答えがわからないのだ。


 黙り込む俺を見て、アリシアは更に言葉を添える。


「私は貴方のことを一番近くで見てきました。貴方は非常に冷静で合理的な方です。決して感情に任せた無謀な判断をする人ではありません」


 アリシアはギュッと口を固く結び、俺の答えを待ってくれている。

 けれど、考えれば考えるほど、思考は泥沼にはまっていった。


 長い沈黙が流れる。


 しかし、その沈黙も予想外の形で、あっけなく打ち破られてしまった。


 突然、バンっと大きな音を立てて扉が開き、側近を引き連れたが入室してきたのだ。


「総員! 敬礼!」


 アリシアはそれを認めると即座に号令。

 すぐさまカッと踵を鳴らして最敬礼の姿勢を取る中央第一騎士団員。


 そんな光景を興味無げに認めた将官は、ゆっくりと口を開く。


「辞令式程度に時間をかけすぎではないかね。アリシア中佐」


 将官がアリシアに鋭い視線を向ける。


「はっ! 申し訳ございません、キルヒブリューデ総司令! リヒト大尉とは同じ騎士団所属であったこともあり、つい思い出話に花を咲かせてしまいました」


 アリシアほどの階級になると、上官と呼べる人物はそれほど多くないが、今回はその例外が来てしまったようだ。


 キルヒブリューデ中央騎士団総司令官。

 第一から第五まである五つの中央騎士団を統括する元締めだ。


 アリシアの表情にも緊張の色が浮かぶ。


 総司令はアリシアから俺の名前が出たことにより、視線をチラリとこちらに向けるが、ふんと鼻を鳴らすと、アリシアに視線を戻す。


「この後、新たな騎士の叙任を行うと伝えておいたはずだ。それに、続けて新たな軍事参謀を交えた作戦会議を行うことになった。君も同席するように」


「…………」


 その一言に刹那歯噛みしたアリシアだったが、上官、しかも総司令の命令だ。

 当然逆らえるはずもなく、瞑目の上で「はっ」と答える。


 そんなアリシアを認めると、総司令は将官用軍服を翻して踵を返した。


 しかし、総司令は何に興味を持ったのか、すれ違いざまに俺に話しかけた。


「君が例の元軍事参謀か」


 値踏みするような視線がべっとりとまとわりつく。


 俺は居心地の悪さを感じつつも、視線を逸らすことは許されず。

 総司令のやや後方に焦点を合わせ、可能な限り無心で最敬礼を維持する。


 けれど、そんな俺の態度が気に入らなかったのか、総司令はあからさまに顔を顰めると、吐き捨てるように言った。


「君のせいで第四騎士団は壊滅した。その事実をしかと受け止めなさい」


「……はい。申し訳……ありませんでした……」


 俺は力なく応える。


「あと、兵舎の後ろが閊えているので本日中に荷物をまとめてアクアリーブルへ立つように。もうここには君の居場所はないんだよ」


 そこまで言うと総司令は俺にしか見えない位でほんのわずかに口の端を上げた。


 けれどそれは一瞬のこと。すぐさまその嘲笑に似た笑みを正すと、歩みを再開した。


 その後ろにアリシアが続く。


 一瞬、チラリとこちらに視線を向けたようにも見えたが、もう歩みが止まることはない。


 この後、アリシアは叙任式へ、俺はアクアリーブルへと向かうことになる。


 つまり、今この瞬間が俺とアリシアが共に過ごす最後の時間なのだ。


 お互いにそれをわかっていた。


 わかっていながらも、二人がこれ以上言葉を交わすことはなかった。


 こうして俺は、何とも言えない後味の悪さを王都セントラル・ミドガルドに残し、地方都市アクアリーブルへと左遷されたのだった。




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【あとがき】

『電撃の新文芸5周年記念コンテスト』に向けて、本日から投稿を開始しました。

 毎日12:00に更新(土日祝のみ2話更新)予定ですので、応援よろしくお願いいたします。

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