§042 魔法教室
「ってなにこれ? 魔法教室ってこういう感じー?」
俺とクレアは
俺が部屋に並べたのは、机と椅子、それに黒板とまさに教室といった感じだ。
クレアはどうやら実戦形式での演習を想像していたようで、『魔法教室』が座学だと知った今、机に突っ伏して鉛筆を舐めている状況だ。
「あたし、前みたいにリヒトが雪をばーっと降らせたりして、奥義みたいなのを伝授してくれるんだと思ってた」
「【放ち】は別に奥義でもないし、慣れれば普通にできることだよ。クレアにとって座学は厳しいかもしれないが、可能な限り、かみ砕いて説明するし、この座学が終わったらちゃんと演習形式もする予定だから、今日だけは頑張って授業に参加しよ? な?」
俺は問題児をあやすように、甘言を混ぜつつ、クレアの興味を誘ってみる。
その中でクレアにとっては『演習形式』という言葉が一番響いたようだ。
その言葉を聞くなり、目を輝かせて、突っ伏していた顔をすぐさま起こした。
まあ、今まで教育というものを受けたことがないクレアだ。
今日はこれで上出来だろう。
「じゃあ、クレア。現代における『魔力』とはどのようなものかを教えてくれ」
俺は授業らしさを演出するために、敢えてクレアを指名してみせる。
「え~っと、武器とかに纏わせてその能力を向上させるもの?」
「非常に感覚的なものだが、概ね正解だ」
俺は文献や教科書に載っている『魔力』の定義を黒板に書きながら、クレアに再度質問を投げかける。
「現代の『魔力』は――武器等の自身と近接するものに纏わせることにより、当該武器等の持つ能力を向上させるもの――と定義されている。この定義を聞いて、何か疑問に思わないか?」
この質問はもしかしたらクレアには難しいかなと思った。
しかし、慮外にも、クレアは一切の迷い無く答える。
「ん、そんなの『自身と近接するもの』って言ってるところに決まってるじゃん。リヒトが空気中の水分に魔力を干渉させてたのは、別にリヒトの周囲ってわけじゃなかったよ」
この答えには俺が驚かされた。
彼女は理論が全くわかってないはずなのに、実戦の経験から、現代の『魔力』の定義の欠陥を指摘してみせたのだ。
「そのとおり。現代の人々はこの『定義』により、自身と近接しているもの、主に武器にしか魔力を纏えないと思っている。でも、この先入観さえ捨て去れば、あれ? なんで近接したものにしか魔力を纏わせられないんだろうと思って然るべきなんだ。それが【放ち】の原点だ」
ここで俺は魔力の構造を分析して生み出した独自の魔法理論の解説を加える。
「魔力には大きく分けて三つの段階がある。まずは、魔力を生み出す【生み】。これは皆が無意識にやっていることであるため教科書とかには言及されていない。次に、武器等の近接したものに魔力を纏わせる【纏い】。これこそが現代における『魔力』の定義そのものだ。最後に、自身から離れたものに対して魔力を纏わせる【放ち】。これがクレアの言う、俺が雪を降らせたという事象に該当するが、現代において【放ち】の認知度はほぼ0と言っても過言ではなく、ゆえに使える者も少ない」
俺の説明に大きく頷くクレア。
「なるほど。本を読んだだけじゃ絶対わからなかったけど、そうやってリヒトの『魔法』を例に説明してくれるとわかりやすいかも」
そこで俺はもう一歩踏み込んだ質問をクレアに投げかける。
「じゃあもう一歩踏み込んで、離れた物に魔力を纏わせるにはどうしたらいいと思う?」
「うぅ~ん、そこは気合い? 魔力を遠くに飛ばすイメージみたいな?」
やっとクレアらしい答えが返ってきて心底安心した。
先ほどからのクレアは勘が冴えすぎていて、実は彼女は才媛なのではないかと疑ってしまうほどだった。
「ここで重要になるのが――魔力操作――だ。多くの人が近接した物にしか魔力を纏わせることができないのは、一言で言えば、魔力操作が未熟だからだ。クレアも【纏い】をしていてわかると思うけど、自身が持つ剣ですら、魔力を移動させるのは難しい。それを遠くに飛ばすには更なる魔法操作技術の向上が必要となる。じゃあ、どうすれば魔力操作技術が向上するのか。この点について俺は、『魔力の原理を理解すること』こそが、魔力操作を精緻に行うための『鍵』だと思っている」
「……魔力の原理」
「そう。俺がさっき説明した魔力には各段階があるという話だ。それを意識するだけで魔力操作は格段に向上する。だからこそ、【生み】、【纏い】、【放ち】という用語は一般的ではないが、今後はクレアにもこの魔力操作の段階を意識してもらうためにも、俺は敢えてこの用語を使っていこうと思っている。これを意識すれば、クレアでも近いうちに、馬に魔力を纏わせて、馬の身体能力を向上させるくらいの芸当は朝飯前になるはずだ」
「ああ、ゴザ奪還作戦の道中でリヒトがやってたやつだよね。あれがあたしにもできるのか~」
クレアはそう口ずさむと、満足気に自身の手のひらを見つめる。
どうやら既に自身の力を試したくてうずうずしている様子だ。
そうであるならば、座学も総仕上げといこうか。
「さて、じゃあ最後に。今は『魔力』の定義のうち、『自身と近接するもの』という点を否定してみたけど、実はもう一つこの定義にはミスリードな部分がある。それがどこかを指摘してみてくれ」
俺の問いかけに対し、真剣な表情で『魔力』の定義を見つめるクレア。
既に黒板は俺の書き込みだらけになっていた。
俺はクレアが自ら気付きを見つけるまでじっと待った。
そして、数刻の沈黙の末、
「あ、あたし、わかっちゃったかも」
クレアが何かに気付いたように口を開いた。
「言ってみろ」
「『能力を向上させる』ってところが間違ってると思う」
「ほぉ。どういう風に?」
「難しいことはわからないけど、あたしが【纏い】をできるようになって変わったことを考えてみたら、剣速が上がったこと、剣撃の威力が上がったことだけど、剣撃の威力が上がるのはまだわかるけど、剣速が上がるのって意味わからないよね? 剣自体に速度っていう概念があるわけでもないし、別にあたしの能力が向上しているわけじゃないんだから」
その言葉を聞いて、俺は思わず拍手をしてしまった。
それほどまでにクレアの分析結果が素晴らしかったのだ。
「正解だよ、クレア。この答えにたどり着けたのは、クレアがひたむきに剣に向き合ってきたからこそだよ」
俺があまりにも大絶賛するものだから、クレアは頬を赤らめて、若干恥ずかしそうにする。
「べ、別にすごくなんかないし。ちょっと思ったこと言ってみただけだし」
照れ隠しをするクレアが可愛く見えたが、今は魔法教室の授業中。
俺は気を取り直して解説に移る。
「クレアの言うとおり、ミスリードとなっているのは『能力を向上させる』という部分。剣の能力が向上して剣速が速くなるっていうのがおかしいというのは、まさにそのとおり。でも、魔力を纏ったことにより剣速が上がったのは事実。では、なぜ魔力を纏ったことによりクレアの剣速が上がったのか。これは――剣の状態が変化した――と考えれば説明がつくんだ」
「……剣の状態が変化?」
クレアは目をぐるぐる回しながら、俺の言葉を反芻する。
「剣撃の威力が上がった=剣の硬度が増したため威力が上がった、剣速が上がった=剣の重さが軽くなったことにより剣速が上がった、ということだ」
「あ、それわかるかも! 同じ剣なのに魔力を纏った時の方が軽く感じた。あれは軽く感じたわけじゃなくて、実際に剣が軽くなってたってことだったのね」
「その通り。剣の重さの変化を感じ取れるのは、剣が身体の一部になるくらいに振り続けた人だけだよ。クレアにはそれがわかるんだ。補足として説明すると、俺が【放ち】により雪を降らせた時は、空気中の水蒸気に干渉させたってざっくり説明したけど、あれは空気中の水蒸気の密度を変化させて、温度を低下させて水から氷を作り出したんだ。これも、水の状態変化という『変化』を使っている」
「なるほど。じゃあ魔力を【纏う】ときに、どう変化させるかを意識すれば……」
「何も考えずに魔力を纏っている時よりも魔力操作の能力は飛躍的に向上すると考えていい。ちなみに俺が中央にいたときの中央第一騎士団は、【放ち】までを行えるものは数えるほどしかいなかったが、『変化』を意識した【纏い】というレベルなら誰もが到達していた領域だ」
「……中央第一騎士団かぁ」
クレアはなぜか感慨深そうにそう口ずさむと、次の瞬間にはバンッと音を立てて立ち上がっていた。
「リヒト! 今なら前よりももっと【纏い】を使いこなせそうな気がする! ちょっと今から訓練付き合ってよ!」
「ちょ、まだ授業中……」
俺は勇むクレアを引き留めようとするが、もうそんなもの聞いちゃいない。
傍らに置いていた剣を腰の剣帯に収めると、入口に向かって歩み出していた。
まあ、知った知識をすぐに使ってみたいという気持ちは俺もわかる。
そういえば、俺も初めて『魔力』の真髄に気付いた時には、「魔法が使えるんだ」と無邪気に庭に飛び出していったっけ。
そんな俺が今では魔法の講師をやってるんだから、人生とはわからないものだよなと思う。
どこまでいっても俺は軍人だ。
彼女に魔力操作を教える義務もなければ、彼女も魔力操作を教わる義務もない。
それなのに、ゆくりなくも俺とクレアの関係性が構築されている。
「……クレア」
俺は無意識のうちに彼女の名前を口にしてしまっていた。
そんな俺の声に呼び止められたと思ったのか、扉に手をかけていたクレアがこちらに向き直る。
外の光が差し込み、彼女の屈託のない笑みに更なる輝きが加わる。
「あたし、学校って行ったことなかったから授業って聞いて正直かったるいな~って思ってた」
「え、」
「……でもね、リヒトの魔法教室は言葉は難しいのに、新しい発見がいっぱいあって、あたしみたいな馬鹿のことをたくさん褒めてくれて。本当にわくわくすることがたくさんあって……こんな授業ならまた聞いてもいいかもしれないと思った。だからこれからもよろしくね、リヒト先生?」
そこまで言うと、クレアは勢いよく外に飛び出していった。
残された俺はその場に呆然と立ち尽くす。
なるべく意識しないようにしていた。
いや、わかってはいたけど、なるべくそうならないように、自制をしてきた。
でも、今、俺は、決定的に意識をしてしまった。
俺の中でクレアの存在がどんどん大きくなっていることを。
俺は既に彼女を単なる協力者と見られなくなっている。
この感情がどういう感情なのか自分でもわからない。
しかし、アリシアに対する感情と近いものであることはもはや否定することはできない事実だ。。
俺は彼女の背中を追って『秘密基地』を出ると、そこには既にクレアの姿はなく。
その代わり、夏の湿気を含んだ風が俺の頬を撫ぜた。
ゴザ奪還作戦から一ヵ月が経った。
もうすぐ本格的な夏が来る……。
俺にはわかる。
アクアリーブルを主戦場とした戦争の足音が刻一刻と近付いているのを。
戦争に備えた準備は既に万全に行ってきた。
……残るは心の問題のみ。
俺には彼女が必要だ。
しかし、彼女を死なせたくないと思っていることもまた事実。
だからこそ、今一度、問わなければならない。
二度と同じ間違いを犯さないためにも。
――彼女が、今、剣を振るう意味を。
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