学園に逃げよう

「今の時期でも入学できて、即日入学できる学園は王都の学園だけですね」


 徐々に一目『黒騎士』にお目にかかろうと侯爵家の屋敷前に人混みができ始めた頃。

 エレシアは主人であるアデルにピトッと体をくっつけながら、テーブルに並ぶ資料を眺めて口にする。


「王都の学園って言ったら、王家が運営する王立カーボン学園か……うげぇ、ミル姉さんとかロイド兄さん達がいる学園じゃん……」

「ですが、飛び込み申し込み可のキャッチコピーを掲げているのはこちらしかありませんよ?」

「むむっ……これはあれか、軽い地獄か深い地獄に入るかの二択を強いられている状況か」


 学園に入れば、正当な理由で屋敷から抜け出せる。

 黙って勝手に入学するのは本来よろしくないが、勝手にトンズラすることよりかはマシな選択。

 当初、自堕落ライフを謳歌するために親の提案を断って引き篭ろうとしていたのだ。これならまだ当主である父親も文句は言わないだろう。

 まぁ、自堕落な生活からは少し遠ざかるし、身内がいるのは少々問題ではあるが。


「どうされますか? 必要であれば、膝枕一回で即日学園へ申し込んできますが」

「なんでメイドが要求してんだよ……」

「ふふっ、であればメイドを辞めましょうか?」

「……やめてくれ。その瞬間、本格的になるぞ」

「あら、それは私も嫌ですね。であれば、まだまだご主人様のお世話をするとしましょう」


 お淑やかで上品な笑みを浮かべるエレシア。

 その姿に思わずアデルはドキッとしてしまうが、誤魔化すように「あとでしてやる」と書類を手渡した。


「仮に今日申し込みをすれば、入学試験は明後日……ですか。となると、王都に泊まった方がよさそうですね」

「おぉ! それは素晴らしいっ!」


 アデルは瞳を輝かせながら立ち上がる。


「王都は侯爵領よりも魅力的な場所で溢れている! 食べ物もそうだし、観光地も多い! 何より、綺麗なお姉さん達が働くムフフなお店もたくさ───」


 ガッ(エレシアが足払いをする音)

 ガシャ(エレシアがマウントを取る音)

 ゴッ ゴッ ゴッ(エレシアが拳を振り落とす音)


「ご主人様、途中から聞き逃してしまったのですが、王都には何があるのでしょうか?」

「……美味しい食べ物と観光地があります」


 震える口からは、ムフフなワードが出てこなかった。


「まったく……ご主人様には困ったものです。隣にはこんなに可愛い女の子が甲斐甲斐しくお世話までしているというのに、余所見など……」

「その可愛い女の子が見られないんだけど、どうしてだろう? 目が腫れているからかな?」

「心が汚れているからですよ」


 男の子だもん仕方ないじゃん、なんて発言はもちろんできるわけもなく。

 アデルは渋々起き上がって何故か恐ろしく感じてしまったエレシアから距離を取って窓の外を眺め始めた。


『黒騎士様は本当にうちの領主様のご子息なのか!?』

『ばかっ、それを確かめるために来たんだろ!?』

『でも、本当だったら素敵よねぇ……あの恥さらしなんて言われてた男の子が英雄ヒーローだなんて』


 窓を少し開けているからか、どこからともなくそんな声が聞こえてくる。


「うわぁ……見てよ、エレシア。好奇心旺盛なギャラリーさんがいっぱいだ」

「『黒騎士』様の見物人ですね。いっそのこと、手でも振ってみられたらいかがですか?」

「馬鹿言うな、プライバシーの侵害上等なギャラリーにファンサービスなんかするかよ。っていうか、アイドル枠に入れてほしくないの、俺は」


 こりゃ早く学園に逃げなきゃなぁ、と。アデルは外に集まる領民の姿を見て頬を引き攣らせた。

 その時───


「兄上!」


 勢いよく扉が開かれる。

 そこからは、アデルとどこか似た面影のある男の子が姿を現していた。


「聞いたぞ、兄上! どうやら、街で『黒騎士』が兄上だという話が挙がっているらしいな!」


 兄に対してなんて不遜な態度。

 とはいえ、馬鹿にされるの大好きなアデルくんは指摘することはない。


「ふんっ、皆も馬鹿馬鹿しい。こんななんの才能もない兄上があの『黒騎士』であるわけがないというのに!」


 その代わりと言ってはなんだが───


「俺が領民にも父上にも言っておいてやる! 無能な兄上にそんな事実はないのだとぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」


 ───


「あら……よろしかったのですか、ご主人様?」


 パリン、どころかガシャン! と割れた窓ガラスの下を覗き込みながら、エレシアは顔色一つ変えずに尋ねる。

 今の一連の流れをしっかりと説明すると、アデルが蔦を一瞬にして伸ばして弟の足に巻き、そのまま窓の外目掛けて振るったというものだ。

 おかげで、アデルの弟は窓の外から放り投げられて、現在窓の下の敷地に頭を埋めて綺麗なオブジェと化していた。


「いいんだよ、ちょっぴり力を見せたって。っていうか、まったく反応もなしに放り投げられたんだ、何をされたのかも気づいちゃいねぇよ」

「一応、あの弟様も聞けばそれなりに同年代の中では強かったと伺っていたのですが……つくづく規格外ですね、ご主人様は。あとでクレームが入っても知りませんよ?」

「弱肉強食、強いやつが正義。うちの家系の教訓はそこだから無問題モーマンタイ。っていうか、うっさい」

「まぁ、それはそうですね。であれば、早速現実逃避の三年間を謳歌するために、王都に泊まる荷造りでもしましょうか」

「そうしましょ」


 そう言って、二人は窓の外を覗くことなく部屋へと戻っていく。

 盛大に突き刺さった衝撃音によって屋敷の使用人達が何やら集まっているが───新しく敷地にできたオブジェに興味を示さない二人は、王都に向かうべくせっせと荷造りを始めていくのであった。



「ご主人様、私の下着はどちらの方がよろしいでしょうか?」

「うーむ……ピンクのレース」

「ふふっ、承知いたしました」

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