嵐の前のイチャイチャ
「ご主人様、この公式はここに当て嵌めるんですよ」
さて、サロンができてから二日ほどの時間が経った。
試験前だからか、皆己の鍛錬に勤しむようになり、アデル達への決闘がみるみる減っていた。
おかげで平穏な毎日が続いており、現在は爆睡かまして聞いていなかった部分を放課後に復習。もちろん臨時講師はエレシアだ。
「……なぁ、一個聞きたいんだけど」
アデルは頬を引き攣らせながら、ふとエレシアへ尋ねる。
「いかがなされましたか? どこか分からない問題でも? それとも、先程から何やら周囲の視線が強いことでしょうか?」
確かに、教室で勉強している二人へ何やら同じクラスの生徒達の視線が集まっているような気がする。
元より、アデルもエレシアも注目を浴びやすい人間だ。侯爵家の恥さらしでありながら、『黒騎士』疑惑(確信)もあり、決闘では全戦無敗。最近では「恥さらしに負けるなんて!」というより「強くなりたい!」というお声が強くなった。それもこれも、アデルの評価がどんどん変わってきている影響だろう。
一方で、エレシアは魔法家系の神童とまで呼ばれた女の子。目を惹くような容姿もあり、こちらもアデル同様注目を浴びやすい。
故に、こちらを見てヒソヒソと話されている現状はなんらおかしくはないのだ。
「いや、そうじゃなくて……」
アデルは引き攣った頬のまま、眼前にあるエレシアの頭を小突いた。
「なんでお前が俺の膝の上に乗ってるんだよ」
「あいたっ」
そう、現在教室で勉強に勤しんでいるアデルの体勢は少し変わっている。
アデルが椅子に座り、その膝の上にエレシアが乗る激甘カップル構図だ。
「そりゃ注目浴びるよバカップルの体勢だぞ、これ……」
「うぅ……最近、ご主人様に甘えられてなかったですもん。ですので、少しでも補給しておかないと……」
「俺は栄養剤か」
太ももから感じる柔らかい感触、鼻腔を擽る甘い香り、全身に伝わる体温。
加えて、振り向く度にキスができそうなほど迫る整った顔。
アデルの心臓は先程までバクバクなのだが、それがバレた途端にどんな反応をされるか分からないので平静を装う。ご主人様も尊厳と威厳を保つために大変だ。
『なぁ、あの二人……』
『まさかデキてるんじゃ?』
『おいおい嘘だろ!? あのエレシア様が恥さらしと!?』
少し内容が変わったヒソヒソ話を耳にして、エレシアは上機嫌な様子でアデルへと更に身を寄せる。
アデルは甘えん坊な子猫に小さなため息をついてしまった。
「エレシアのこれはいつものこととして……なぁ、勉強する必要あるのか? 部屋でゴロゴロしよーぜ。そろそろベッドと枕が俺に会えなくて泣いてるよ」
「ダメです、ベッドさんは一人になりたい時だってあるんです。それより、ご主人様は勉強をしないと……もし、次の試験が筆記中心だった場合、どうなされるつもりですか?」
「ぐぬっ……」
「今は首位にいるので問題ありませんが、試験の内容によっては陥落する可能性もございます。つまりは、できることをしましょうということです♪」
試験は、何も体を動かすことだけではない。
知識だって立派な実力の一つだ。頭がいい人間は国の技術や産業を発展させてくれる貴重な人材。運営面でも重宝され、学園側もどうしてもそちらの側面も重視してくる。
そのため、試験で筆記中心───ということは、全然あり得ることなのだ。
「シャナさんも今は訓練場にいますし、ルナ様達は魔法のお勉強をするために図書館へ行かれているみたいです。ですので、ご主人様も皆様に負けないよう頑張ってお勉強ですよ」
「うぅ……入学一ヶ月目で心が折れそう。鞭ばっかりじゃなくて学生に優しい側面をもう少しアピールしてくれ」
アデルは泣く泣く配られた教材に向き合い、筆を走らせる。
その様子を、机とアデルの間から眺めるエレシアであった。
「そういえばさ」
「はい」
「あの第三王子、てっきりなんか陰湿な嫌がらせをしてくると思ったんだけど、特に何もないよな」
あれから、アデルは平穏な日々を送っている。
中指を立てて真正面から王子に喧嘩を売ったのにも関わらず、普通の生活のまま。
ルナもサロンの設立ができるほど何も起こっていないらしく、あの一件が本当にあったのかも不思議になるぐらいだった。
「確かにそうですね。もしかして、ご主人様のイケメンフェイスに恐れおののいたのでは?」
「……いかん、脳裏に出発する前の純真無垢な瞳が思い浮かんだ」
「イケメンワードに首を傾げていらっしゃいましたね」
「おかしい、アリスにはたくさん俺の愛を注いできたのに」
まぁ、何もないことにこしたことはない。
エレシアの言う通り諦めたのかもしれないし、やりすぎたと反省しているのかもしれない。
だが、話に聞いた第三王子の性格と対面した雰囲気を思い出すと───
「嵐の前の静けさ、って感じがするわぁ」
「フラグのように聞こえてしまいますよ、ご主人様」
何も起こらなければいいんだが、と。
アデルはペシペシとエレシアに頬を叩かれながら、再び教材に視線を落とした。
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