回想~エレミレア伯爵家の神童~

 エレシア・エレミレア。

 魔法家系歴代を遡っても稀に見る天才児。魔力総量、運用センス、記憶力どれを取っても群を抜いており、その潜在能力ポテンシャルは現王国魔法士団の団長である父親をも凌ぐ。

 その才覚は幼い頃から発揮されており、周囲は彼女のことを『エレミレア伯爵家の神童』とまで呼ぶようになった。

 おかげで、一時魔法家系のエレミレア伯爵家は社交界で有名となる。

 ある意味対極にいるアスティア侯爵家とは違って長年功績を残しておらず、比較されては常に世間の評判に埋もれてしまっていたのだ。素質だけなら間違いなく王国一。話題にならないわけがない。


 そのおかげもあってか、エレシアの下には多くの縁談が舞い込むようになった。

 商会長の息子、貴族の嫡男、一時は王族からの縁談も挙がったほど。

 しかし、圧倒的な才覚の弊害と言うべきか。エレシアは他者にあまり関心を持たなかった。

 友人も幼なじみであるシャナだけであり、数多い家族の中でも母親にしか心を許さない。

 いつか、母親がこんなことを言っていた―――


『あなたもいつか、素敵な男の子……そうね、と巡り合ってちょうだい。あなたの見ている景色が、すべて幸せ色になるわよ?』


 意味が分からなかった。

 貴族として、いつかは政略結婚をしなければいけないというのは分かっている。

 だが、己が自ら望むような相手? 皆、等しくそこら辺に転がっている雑草と変わらないのに? なんて、エレシアは母親の言葉を聞いてからそう思っていた。

 それは、十二歳になるまで変わらず、結局無関心な性格はそのまま体と一緒に成長する。

 とはいえ、現当主である父親からしてみれば些事たること。

 エレシアは将来、由緒正しい騎士家系であるアスティア侯爵家を越える存在となるのだから―――


「はぁ……お父様も面倒なことを押し付けてきます」


 十二歳を迎えたある日。

 エレシアは一人で伯爵領から離れた森の中を一人で歩いていた。

 魔法士として頂点に立つのであれば、幼い段階から戦闘に慣れるべき―――そう教わり、いずれは一人で任務をこなせるよう子供一人を森の中へ放り込んだのだ。


「魔獣の討伐。比較的弱い魔獣しか生息していないとはいえ、シャンデリアの下で踊るレディーが歩いていいような場所ではないと思うのですが」


 そう愚痴を吐いた時、ふと先の茂みから一匹の狼のような魔獣が現れる。

 まだ、エレシアの存在には気づいていないのか、きょろきょろと辺りを見渡すだけ。

 エレシアは指を向けて、早速討伐することにした。


世に降り収束していく陽の光は我が袂にさぁさぁ、一つ天の乙女が素敵なプレゼントをしましょう


 神童が扱う魔法は自然界の中でもごくごくありふれた光。

 生み出すこともあるが、基本的には単純に周囲に散らばっている光を回収し、手元に集め、放っていく。

 それ故に、射出速度は最速。詠唱さえ終われば、あとは押し出すだけで本来光が持つ性質の下に周囲を抉り、文字通り光速で敵を穿つことが可能。

 ゼロから一を生み出さない限り、元の多大なる魔力総量もあってエレシアに魔力切れはほとんどない。


完成ギフト、『光の矢』」


 だからこそ、エレシアは正直に言うと一人森の中へ放り込まれたとて怖くはなかった。

 向かうところ敵なし。本気で戦えば父親ともいい勝負をし、兄妹や同年代の人を圧倒できる。


「さて、あと何体倒して帰りましょうか」


 頭部が丸々吹き飛ばされた魔獣を見て、エレシアは軽い調子で歩き出す。

 さっさと終わらせて、早く帰ろう―――きっと、のだろう。


『gyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!』


 故に、背後から現れた雄叫びによってようやくその存在に気づいた。


「ッ!?」


 咄嗟にエレシアは振り返る。

 いつの間に? そう思ってしまうほどの熊のような巨体。小さくて見逃していた……なんてこととは無縁の巨体。己の体の二倍を優に超え、圧倒的な威圧感を放つ。

 恐らく、獲物の傍に来るまで足音を消していたのだろう。

 だが、エレシアはパニックに陥り「どうして?」の答えを当てることはできなかった。

 その代わりに、反射的とも言える速さで巨大な魔獣へと指を向ける。


世に降り収束していく陽のさぁさぁ、一つ天の乙女が素敵なプ———」


 エレシアはまだ幼い。

 戦闘経験もほとんどなければ、世の魔法士がどういうポジションで戦っているのかを知らない。

 その結果、エレシアは重要なシチュエーションで致命的なミスを犯すことになる。


『gyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!』

「がッ!?」


 魔獣の巨腕が、思い切りエレシアの小さな胴体を横薙ぎに殴った。


「いあ゛ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!?」


 魔法の詠唱は大きな隙となる。

 近接戦に持ち込まれた時点で、魔法士は逃げる選択を取るべきだったのだ。

 しかし、幼い少女はまだそのことを知らない。

 これが経験の差———エレシアの体は森の草木を薙ぎ倒し、地面を何度もピンポン玉のように転がる。


「い、だぃ……」


 痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いッッッ!!!???

 なんで? どうして!? そんな悲痛な疑問が頭の中を埋め尽くす。

 しかし、それを待ってくれる魔獣ではなかった。

 何せ、目の前には上質な肉の塊が。餌を前にして、魔獣は捕食するために近づいていく。


(か、体が……)


 逃げたくても、殴られた場所と叩きつけられた場所に痛みが走って動かせない。

 このままでは……なんて恐怖が、エレシアを襲っていく。


「な、ぜ?」


 私がこんな目に? 私は強い……でも、私は死にかけて? だからやりたくないって。そもそも、なんで私一人をここに放置したの? 聞いてない、こんな魔獣がいるなんて。でも―――それより死にたくない。


「死にたく、ないです……!」


 そう口にしても、体は思うように動かなくて。

 助けてと、願っても魔獣は足を止めなくて。

 エレシアの瞳からポロポロと……物心ついて一度も流さなかった涙が、零れ始める。

 その時———



「おいおい、鬼ごっこするなら俺も交ぜろやクソ雑魚が」



 ―――唐突に、熊の腕が吹き飛ばされた。


『gyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!???』


 耳に響くような魔獣の叫びが木霊する。

 その瞬間、吹き荒れる血飛沫をエフェクトとするかのように、一人のが空から降ってきた。


「うるせぇな……こっちは面白い植物がないか探索の最中だったんだ。少しぐらい途中参加勢を歓迎しやがれ」


 恐らく同い年ぐらいだろうか? 見た目若く、そこら辺にいる子供と変わらない。

 代わるとすれば———手元に黒く染まった剣のような何かが握られていることぐらいだろう。

 そして、魔法の天才であるエレシアはその剣を見て一瞬で理解する。


(ま、ほうで作られた……剣?)


 疑問は解消されることなく、少年は剣を横薙ぎに振るっていく。

 しかし、魔獣は跳躍することで躱すと、一思いに残った腕を叩きつけた。

 だが、小さな体を押し潰すことはなく、剣で受け止めて少年は獰猛に笑う。


「弱ぇよ、クソ魔獣! もっと体重増やして出直して来いッ!」


 少年の蹴りが魔獣の腹に突き刺さる。

 体格差があるはずなのに、魔獣の体は地面をバウンドして転がっていった。

 すると、何故か少年はもう一度剣を横薙ぎに振るい始める。

 距離があるはずなのに。その剣のリーチでは、届かないはずなのに。


「『森の王』」


 とはいえ、そう思っていたのはエレシアだけであった。

 横薙ぎに振るうと同時に、転がる魔獣の首を的確に刎ねる。


「…………」


 唖然、茫然。エレシアの口からは、何も飛び出して来なかった。

 先程まで己が恐怖で染まっていたというのに、この少年が現れて全てが変わってしまった。

 同い歳ぐらいにもかかわらず、あの巨体を圧倒できる筋力。魔法士の弱点である詠唱を必要とせず魔法を扱えるセンス。加えて、それらを混合させた戦闘スキル。

 ……常軌を逸している。

 こんなの、神童と呼ばれた自分が馬鹿らしく思えてくるほど———


「大丈夫か?」


 茫然としていると、少年がゆっくりと近づいてきた。

 こうして正面を向いてくれたから、その少年が社交場何度かで見かけたあのアスティア侯爵家の恥さらしと呼ばれている人だと分かった。

 何故? 無能と呼ばれているはずじゃ? そんな疑問が浮かび上がるが、それ以前に―――


「あ、ぁァ……」


 エレシアの恐怖によって塞き止められていた感情が、溢れ出した。


「あ、ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッッッ!!!」


 初めての死の淵、初めての恐怖。

 それらによって、エレシアは人生で初めて大きな声で泣き叫んでしまった。

 突然泣いたことで、少年はあたふたと戸惑い始め……迷いに迷った結果、勢いよくエレシアの体を抱き締めた。


「お、落ち着けって……な? 大丈夫、倒したから! 魔獣はもういないから!」

「あァァァァァァァァァァァァァァッ!!!」

「あー、もうっ! 夢に出てくるようだったら俺を呼べばいいし、また現実でも現れそうだったら迷惑考えずに呼べばいいから!」


 そして、


「そしたら、! だから泣き止んでくれって! 誰かが泣いてる姿は苦手なんだよ!」


 エレシアはこの日、英雄ヒーローに出会った。

 人生で初めての経験。人生で初めて報われた瞬間。

 神童と呼ばれた少女は、泣き止むまでにしばらくの時間を有してしまった。


(あぁ……なんでしょう、この気持ち)


 その際、ずっと安心させるように力強く抱き締めてくれた少年がいる。

 安心する、心地よい、胸の鼓動がうるさい、彼の背中が目から離れられない。

 願うことなら、ずっとこうしていたい。

 こんな感情、今まで抱いたことがなかった。


(そう、ですか……分かりました)


 エレシアは少年に家まで送ってもらい、ようやく己の変化に気づいてしまった。

 そして、母親に向かってこう言い放ったのだ───


「お母様……私、見つけました。一生、お傍に居たいと思える人に」



 魔法家系、エレミレア伯爵家の神童。

 この日をきっかけに、彼女は全ての反対を押し切って家を飛び出した。

 すべては、初恋であり一目惚れでもあり、のちに『黒騎士』と呼ばれるようになる―――英雄ヒーローの傍に居るために。

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