アスティア家の次女

 本当に簡単に成功すると思っていた。

 王都の人混みは王国一。そのため、追いかけられても人が多くて捕まえることは難しく、関わりたくない人間は基本的にスルーを決め込んでいる。

 故に、ひったくりを行うのであれば間違いなく王都一択。

 現に、今まで何度もひったくりに成功し、私腹を肥やしてきた。

 なのに―――


「な、なんなんだよお前はァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッッッ!?」


 狭い路地の一つ。

 本来であればあまり人気がないはずの場所で、何故か多くの見物人が押し寄せていた。

 それもそのはず。何せ、今この場所にはひったくりをしたであろう男が蔦に足を掴まれて天から吊るされている奇妙な構図が見世物のようにあるのだから。

 そして、その下には黒い甲冑に巨大な剣を携える一人の騎士の姿が。


「てへっ☆ 通りすがりの一般人でーす! って決めポーズしても信じないだろ? なら必要のない問答だな」


 王都では悲しいことに犯罪は常日頃どこかしらで行われている。

 殺人……は、あまり少ないが、強盗や人攫い、それこそひったくりなど日常茶飯事だ。

 それでもこうして人が集まっているのは、天に吊るされた男という構図が珍しいのと、特徴的な黒の甲冑を着た英雄ヒーローがこの場にいるからだろう。


(っていうか、捕まえたのはいいが……こいつ、何を盗んだんだ?)


 アデルは男に近づいてマジマジと見つめる。

 男がさっきから何かを叫んでいるが、アデルは一切聞こえている素振りを見せなかった。


(えー、俺っち野郎の体に触る趣味なんてないんだけどー。それなら断然エレシアのスキンシップを受け入れた方が俺の心も潤うんだけどー)


 とはいえ、ここで躊躇して時間を食うわけにはいかない。

 一応、最近は素性バレが新聞に載って話題沸騰中なのだ。ギャラリーが集まっている現状、長居をするわけにはいかないだろう。

 故に、アデルは男の服に手を突っ込んで盗んだであろうものを探し始める。

 と、その時———


「ねぇねぇ、なんの騒ぎなのですかにゃ~?」


 ガシャ、と。アデルからは聞こえないであろうちゃんとした金属音が背後から聞こえてきた。

 ふと振り向くと、そこには姿の姿がいつの間にかあった。

 アデルは少女の姿を見て、思わず口から声が零れてしまう。


「げっ!」

「げっ?」


 その様子に首を傾げた少女だったが、やがて何かを思い出したのか―――


「あーっ! 今の声、アーくんでしょ!?」


 大きな声を出して、思い切り『黒騎士』姿のアデルを指差した。


 アーくん、という呼び名には聞き覚えがある。

 己の名前の愛称であり、つい最近までよく呼ばれていたもの。

 王都の学園に通いながら指折りの騎士が在籍している王家の騎士団に加入している、ミル・アスティア———つまり、アデルのお姉さんがよく自分のことをよくそう呼んでいた。


「散開ッッッ!!!」


 冷や汗が背中から溢れた瞬間、アデルは跳躍して屋根の上に登った。

 そして、次にするべきことは……全力疾走。動き難いのは間違いないし、褒められるべきことをしたので逃げる必要はないのだが、今ばかりは仕方ない。

 何せ、屋根の上に跳躍して飛び乗ったのにもかかわらず追いかけてくる女の子が背後にいるのだから。


「なんで逃げるの、アーくんっ!? その恰好……『黒騎士』だよね英雄ヒーローさんの!? そして、それがアーくんなんだよね!? やっぱり噂は本当だったんだ!」

「人違いですぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!!」


 近所迷惑関係なし。

 確信を持たれてしまっているとしても、捕まってしまえば一貫の終わり。言い逃れができなくなる。

 だからこそ、アデルは屋根の上を全力で走る『黒騎士』という明らかに注目を浴びそうな構図であろうともお構いなしに足を動かし続けた。


「でも、感度精度抜群お姉ちゃんセンサーは愛しの弟君の声だって反応してるんだ、よッ!」


 アデルは強烈に嫌な気配を背後から感じ取る。

 反射的に前方へ屈むと、その瞬間に頭上を片手剣が通過していった。


「反応してるって相手に剣をぶん投げるってどういう神経!?」

「これもお姉ちゃんなりの愛情表現、愛情表現♪」


 アスティア家の次女であるミルは、アリスと同じでアデルのことを好いている数少ない姉弟だ。

 今までよくしてもらったこともあるし、他の兄妹に虐められているところを助けてくれたりもした。

 ただ、よくも悪くも実力主義で騎士家系の生まれ。

 強いと分かっている人を前にすると、どうにも興奮は抑えきれない難儀な性格をしており―――


「さぁさぁ、アーくんが無能だと思っているお姉ちゃんを否定してみせてね!」

「なんのことが分からないのでサンドバッグにしないでください人違いなんですぅ!」

「じゃあ、その甲冑? なんか蔦でできてるっぽいけど……よーし、それを脱がして確認してみよう!」

「ちくしょうっ! とても善行を働いた人間に対する労いだとは思えないッッッ!!!」


 しゃがんだ一瞬で、ミルがアデルへと距離を詰めてくる。

 二本剣を用意していたのか、片手で握りしめた剣をミルは容赦なくアデルへ振るっていく。

 反射的にアデルも応戦。金属音とは少し違う鈍い音が屋根の上で響き渡った。


「あれ~? その剣、よく見たら甲冑と同じで蔦でできてるんだぁ~」


 目にも留まらぬ速さ。これが学生の枠にいる子供が繰り広げているとはとても思えない。

 流石は、学生の身でありながらエリート騎士団に加入するだけはある。

 ただ、問題は―――


「あはっ☆ お姉ちゃん嬉しいよ! アーくん、ずっとその実力隠してたの!?」

「身に覚えがないのでノーコメ!」

「うんうん、まだまだ余裕あるっぽいし……こりゃ、ねぇ~」


 このままじゃマズい、と。アデルは本気を出す。

 アデルの振るっていた大剣から黒い蔦が伸び、ミルの手を固定して動きを阻害する。


「ふぇっ?」


 その瞬間、アデルは回し蹴りをミルの剣に叩き込み、そのまま屋根の端まで弾き飛ばした。

 何が起こったのか? ミルの一瞬の思考の空白がアデルの魔法を誘発した。

 地面から巨大な樹木が何本も生え、びっしりとミルを挟み込むように伸びていく。


「ストーカーもほどほどにしとけよ! 貰い手なくなって噂の弟くんが泣いても知らねぇからな!」


 アデルはその隙に、一瞬にして跳躍。屋の下へと姿を消していった。

 ミルは追いかけようと体を動かすものの、ビクともせずに諦めてそのまま青く澄んだ空を見上げた。


「んー……これはお姉ちゃんの負けかにゃぁ~?」


 そして、小さく誰に聞かせるわけでもなく一人呟くのであった。


「まぁ、いっか。王都に来たってことは学園に入るってことだし―――どうせ学園で会えるっしょ」

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