黒騎士

「ねぇ、このまま逃げてもいいの!?」


 とある国境付近の森の中。

 そこへ、五頭もの馬が人を乗せて激しいスピードで駆けていく。

 月のような金の髪を靡かせる一人の少女は、そのうちの一頭の上に乗りながら声を大にした。


「このまま街へ逃げ込むのです! 我が国の街であれば必ず保護してくださります!」

「私、戦えるよ!?」

「子供の範疇のおままごとであればいいでしょう。ですが、相手は―――」


 一人の騎士がそう言いかけた瞬間、頭上が瞬いた。

 反射的に見上げると、そこには巨大な火の玉がいくつも自分達に向かって振り堕ちてくる光景が。


子供ガキの範囲を超えてる……ッ!」


 少女は咄嗟に馬から飛び降り、そのまま身を転がす。

 馬は手綱から放たれて先を走っていくが、すぐさま火の玉に吞み込まれてしまった。


「ひ、姫様っ!」

「私は大丈夫……だけど」


 馬はなくなり、三人の騎士が火の海の先に。

 自分側に残っているのは、一人の騎士だけ―――


「ばッ……?」


 ―――と思った矢先。

 横にいた騎士の首から鋭利な剣が顔を出した。

 何が起こったのか? 刺されている騎士も、血飛沫を浴びた少女もわけも分からず固まってしまう。

 だが、それも騎士の一人が地面に崩れ落ちたことによって現実へと戻される。


『お、お前ら!?』

『何故こっちにも先回りしてガッ!?』

『姫様、お逃げくだ……』


 火の海の向こうで、聞き慣れたはずの騎士達の声が聞こえる。

 聞こえたかと思えば、みずみずしい音が響いた瞬間から消え去ってしまう。

 少しして。もう、騎士達の声が聞こえることもない。

 代わりに、どこからともなく現れた黒い装束を纏った男達が森の中から何人も姿を見せる。


『ルナ・カーボン……王国の第二王女だな?』


 声を発した男の手には、鋭利なナイフが二振り。他の男達も剣や杖といった武器を握っており、対して少女———ルナの手には何も握られていない。


(魔法は使えるけど……ッ!)


 圧倒的不利。

 数も、武器も、体格も。何もかもが劣勢。

 騎士をあんなにも意図も容易く殺してみせたのだ、己が立ち向かったところで勝てるはずもなし。

 しかし、頼みの綱であった馬車は火の海の中へ消えてしまっている。つまりは、この人数相手に逃亡も不可。


「あなた達は誰!?」

『…………』

「どうして私を殺そうとするの!?」


 男達は終始無言。

 素性がバレるのを恐れているのか、それとも会話を交わす気を持っていないからか。

 いずれにせよ、その無言がの心を恐怖で蝕んでいく。


(死ぬの……?)


 ガサリと、声を発した男がナイフを手に歩き出す。


(私は、ここで死んじゃうの?)


 まだまだやりたいことはたくさんあったのに。

 楽しみにしていた学園生活。友達もいっぱい作って、難しいかもしれないが恋愛もして、美味しいものもいっぱい食べて、お勉強して。

 それなのに、ただ王女という理由で殺される。まだ何も成し遂げていない。

 視界に映る男達が全て己の命を狙ってくる―――年頃の女の子が、恐怖しないわけがない。


「い、ゃ……」


 後退るが、背中から感じ取るのは激しい熱気。

 少し視線を下げれば、そこには先程まで一緒にいた騎士の骸が。


「い、やだ」


 死にたくない。

 死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない。


 誰か―――


よぉ!」


 そして、




 英雄ヒーローが、やって来た。



『は?』


 必要以上は喋らなかったはずの男が、初めて必要以外の言葉を発した。

 ただ、それだけ。ナイフを持っていたはずの男の視界は一瞬にして一回転し、そのまま頭だけが地面を転がる。

 男が最後に目にした光景。それは、全身を黒の甲冑で覆った一人の少年が巨大な剣を横薙ぎに振るった姿であった。


「てめぇらは、誰かを泣かせることしかできねぇのか」


 ザクッ、と。少年はゆっくりとルナの前へと歩き出す。

 近づいてきたから分かった―――黒い甲冑が、金属でできていないことを。単純な、蔦の集合体。それが、全体を覆っている。


「人の安眠を妨害してんじゃねぇよ。男だったら、女の子は守るもんだろうが」


 少年は剣を地面に突き立てる。

 そして、小さく口を開いたのであった。


「『森の王』」


 次の瞬間、森の至るところから何かが伸びてくる。

 蔦や、草や、木が。その全てが、周囲一帯にいた男達の下へと襲い掛かった。

 しなる蔦は何故か四肢を両断し、伸びる木は胴体に突き刺さり、草は顔を覆って空気をなくす。


『『『『『ッッッ!!!???』』』』』


 こんな状況においても声を出さないのは、流石は暗殺者といったところか?

 それぞれが突如現れた猛威を受け、血飛沫を上げながら地に倒れていく。


「な、ん……ッ!?」


 ルナは、その光景を見て驚かずにはいられなかった。

 あの人数が、本当に一瞬で。

 絶望めいた時間で、願ってはいたが誰も助けてくれないと思っていたのに。

 窮地から救済へと、状況が一変してしまった。


(そ、そういえば)


 聞いたことがある。

 困っている人や助けを願う者の前に颯爽と現れ、手を差し伸べてくれる英雄ヒーローがいると。

 その人間は全身を黒い甲冑で覆われており、背丈と声音からまだ若い少年だと予想される。

 剣の腕前は子供の身でありながらも他者を凌駕できるほどの腕前であり、見たこともない植物を扱う魔法を自在に操る。


 総評して、『黒騎士』の実力は───

 そして、その存在は甲冑と巨大な剣、誰かを守る人間である騎士という存在を連想させるが故に、皆は敬意を込めて───


「間に合わなかった人もいる……か。ごめんな、間に合わなくて」


『黒騎士』と、そう呼ばれていた。


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