第6話 前世②


 あの日、帆乃香の母親は助からなかった。一緒に出かけていた和樹を身を挺して守って車と直接ぶつかったせいだ。

 和樹は母親に守られたおかげか、一命だけはとりとめた。けれど、今後、自力で立ち上がれることはない。ベッドの上から出られることになっても、これからは一生、車いすで生活をするしかない。


 そして、そんな悲惨な事故を引き起こした黒斗の父親は、何も怪我をしていなかった。父親は病院での検査が終わると警察に連れて行かれ、そのまま帰ってきていない。その身体からは違法薬物の反応が検出されたらしい。

 黒斗は、事故を起こした後の父親と一度も顔を合わせていない。


 どうしたらいいのか分からなかった。

 何をしたらいいのか分からなかった。

 あの日、帆乃香に何も声をかけてあげることが出来なかったタクシーの中と同じだ。

 あの日から、頭の中がただ、ぐるぐると回っている。


 黒斗もそれから母親も急に変わってしまった現在の状況についていくことが出来なかった。


 黒斗は春休みまでもう少しだった小学校はすべて休んだ。

 母親とただ何もせずに一緒にずっと家にいた。


 それから、何日が経ったのか数えてはいない。

 まだ4月にはなっていない。

 桜も咲き始め、見頃が近づいてきていた。

 毎年、天谷家と桑山家が一緒に花見をしていた時期だ。去年までは、ずっと、桜が満開になる日を楽しみにしていた。母親が作ってくれた弁当を、食べながら、黒斗は、帆乃香と和樹と3人で一緒に遊んだ。それを、両家の親は楽しそうに見守ってくれていた。

 けれど、今年はそんな事を考える事が出来なかった。

 黒斗が、家の中から、ただ、呆然ときれいに咲いている桜をぼんやりと眺めていた時、帆乃香が家を訪ねてきた。


 黒斗と母親は、おじさん、帆乃香の父親から葬儀も来ないでくれと言われていたため、黒斗と帆乃香が会うのは一緒に病院に行った時以来だった。


 黒斗が物心ついてから、これだけ帆乃香と顔を合わせなかったのは初めてだった。


「久しぶり。クロちゃん」

「うん」


 そう言って部屋に入って、話かけてきた帆乃香は無理をしていることがすぐに分かった。顔色が悪い。

 けど、黒斗はそんな帆乃香にどんな言葉をかけていいのか分からなかった。どんな顔をして帆乃香に向き合えばいいのか分からない。

 帆乃香の顔をちゃんと見ることも出来ずに、俯いて下を見ていることしか出来なかった。

 帆乃香は、何かを探すように部屋を見渡している。これまでも黒斗の部屋には何度も入っているのに何を探しているんだと最初は疑問に思った黒斗だが、すぐに違うと分かった。

 帆乃香も黒斗と同じで何を話していいのか分からないのだ。

 2人とも何も言葉を発することが出来ず、ただ部屋の中に一緒にいた。


 これまで、黒斗と帆乃香が2人で一緒にいてこんなに長い間会話がないことはなかった。黒斗が、帆乃香と一緒にいる時間が気まずいと思ったのも今日が初めてだ。


 どれくらいの時間をただ座っていたのか黒斗には分からない。

 黒斗は、ただ、何かを話さないといけない。けれど、何を話していいか分からない。それで、結局、何も話すことが出来ずに、帆乃香の方を伺い、また、下を向く。そんな意味のない思考と行動をただ何度も、繰り返していた。

 そうして、何度目か分からないが、帆乃香の方を見た際に、今日初めて黒斗と帆乃香の目が合った。

 その時の帆乃香の顔は、何か覚悟を決めたように凛々しくて、けれど、その瞳は寂しそうに涙にぬれていた。

 その瞳に魅入られるように黒斗が帆乃香の方に寄っていくとそれを押しとどめるように、帆乃香が口を開いた。


「あのね、私、引っ越すことになった」

「えっ」

「少し前から、和樹の容態が落ち着いたの。移動が出来るようになったから、もっと設備がいい病院に和樹を入れるために、お父さんが今の家から出て行くって決めた」

「そう、なんだ・・」

「だから、今日で、クロちゃんと出会うの最後になる」

「っ・・」


 帆乃香の言葉に黒斗は衝撃を受ける。帆乃香とどう接すればいいのか分からなかったし、どうしたらいいのか迷ってもいた。けれど、会えなくなるとは思っていなかった。ただ、いつかは、元通りに、一緒に居られるようになると、漠然と思っていた。


「今日も、会いにくるか迷った。どんな顔をして、何を話していいのか今でも分からない。でも。やっぱり最後にクロちゃんに会いたいと思ったから来たの」

「ほの、ちゃん」

「私ね、クロちゃんのこと好きだよ。大好き。

 小さいころから、クロちゃんの隣は私だけのものだってずっと思ってた。この関係は死ぬまで絶対にずっと変わらないんだと思ってた」

「お、俺も、そう思ってた。ずっと、ほのちゃんに横にいて欲しいって。いつか、ほのちゃん結婚したい、いや、するんだって」


 思はず、言葉が出ていた。言ってから気がつく。今、こんな言葉を言っても傷つけるだけじゃないのか・・


「でも、ごめん。俺には、ほのちゃんのそばにいる資格はない」

「クロちゃん・・」

「俺は・・

 俺はこれからどうしたらいいのか分からない。何をしたらいいんだろう。父さんがあんなことをして・・」

「そうだね。私もこれからどうしたらいいんだろ

 お母さんもいなくなっちゃって。和樹も・・」

「っ・・。ごめん・・」


 黒斗は自分よりもずっとつらい状況の帆乃香の前で泣き言を言ってしまった。

 そのことが情けなかった。

 本当なら、母親を亡くして弱っている帆乃香を黒斗が慰めて立ち直らせてあげないといけない。

 それは、誰よりも帆乃香のことを分かっている黒斗の役目のはずだった。

 黒斗は、事故から今までの数日間、止まっていた時間を動かすように必死に考える。けれど、結局、何も思い浮かばない、 

 なんとかしてあげたいという思いはある。

 それでも、何をしてあげることが出来るのか、黒斗にはまったく分からなかった。


 (帆乃香のお母さんを奪い、弟を傷つけたのは俺の父さんなんだ。

 そんな最悪の男の子供が何を出来るっていうんだ・・)


 そんな黒斗の葛藤も帆乃香には全部分かっていた。だから、帆乃香は自分から別れを告げる。


「クロちゃん。私、もう帰るね」

「・・うん」

「最後に顔、見れてよかった。バイバイ」


 それだけを口にして帰ろうとする帆乃香に、黒斗は何も言葉を返すことが出来なかった。


 それでもせめて見送ろうと思った時、あの日、帆乃香と一緒に帰ってきた時のまま放置していた荷物が目に入った。


 あの日、和樹のプレゼントを一緒に買いに行った。

 その時に一緒に見つけた、おもちゃの婚約指輪。

 家に帰ってから交換しようと帰り道に約束をした。

 そして、いつかは、本当に・・そう思っていた。

 けれど、その存在をいままで忘れてしまっていた。


「待って、ほのちゃん」

「?」

「これ」


 黒斗が、荷物の中からあわてて取り出した指輪を見て、帆乃香もその存在を思い出したのだろう。驚いた顔をしている。

 黒斗と帆乃香が一緒に遊びに出かけた日の最後の楽しかった思い出。


「ほのちゃんにこれを持ってて欲しい」

「クロちゃん。でも・・」

「今の俺には、何をしたらいいのか分からない。

 父さんが、おばさんを殺して、和樹に一生癒えない傷を与えた。

 あんなことをした父さんの子供として、何が出来るのかをこれからも考え続ける。

 だから、その答えを見つけられたら、また会いにいっていいかな?」


 黒斗は、たったこれだけの言葉を言うだけなのに、一生分の勇気を使った。そんな気がする。

 それでも、帆乃香の反応が怖かった。

 もしも、「会いにこないで」と言われたらきっと黒斗は、一生立ち上がれない。間違いなく、今日までのように、無意味に悩んでいる。なにも、答えをだすことが出来ずに。

 

「俺が会いにいったら駄目、かな?」


 黒斗が出す声が震えている。それでも、帆乃香の答えが欲しくて尋ねる。


「うん。うん。

 私、待ってる。クロちゃんが迎えに、私に会いに来てくれるのをずっと待ってる」


 そう言って笑顔を向けてくれる帆乃香に黒斗は衝動を抑えられなかった。

 ただ、抱きしめた。

 その存在を手放すことを拒むように、精一杯、帆乃香のことを抱きしめる。


「ほのちゃん。好きだ。

 だから、もう一度、ほのちゃんの横に居られるように頑張ってできることをするよ」


 今の黒斗に言えるのはこれだけだった。

 でも、それだけで十分だった。

 答えをくれる誰よりも大切な女の子が今は、腕の中に居るから。

 

「うん。私も、ずっと、クロちゃんに横に居てもらえるように。クロちゃんの横に居られるようになる。

 だから、絶対に会いに来て」


 そう応えると、帆乃香は、あの日よりも前に一緒にいた時と同じように笑ってくれた。

 もう一度、この笑顔をみたい。この笑顔をずっと横で見ていたい。

 どれだけ時間がかかっても、関係ない。

 そのために、俺に出来ることは何でもやろう。

 そう決意を固めて黒斗は誓う。

  

「うん。約束する。必ず、会いにいく」


 最後に初めてのキスをして黒斗と帆乃香は別れた。



 その後、帆乃香たち桑山家は、引っ越しの日を迎えた。

 その日、引っ越し用のトラックがマンションの前に停まっていることに気がついた黒斗は、帆乃香たちに気づかれないように見送ろうと思い外に出た。

 そうして、家から出た黒斗を待ち構えるように待っていたのは帆乃香の父親だった。


「おじさん」

「ちょうど良かった。久しぶりだね。黒斗君」

「・・はい」


 黒斗が、会うのは、帆乃香の母が亡くなった、次の日、葬儀に来ないでいいと言われた日以来だ。その日、大人の人が泣いているのを黒斗は初めて見た。


「これまで、帆乃香と和樹と仲良くしてくれてありがとう。

 キミのおかげで、2人はこれまでずっと楽しかったと思う」

「・・俺もほのちゃんと和樹とそれから、おばさんとおじさんと一緒に居られてよかったです。それを、父さんが・・」

「あの事故はキミのお父さんだけの責任だ。黒斗君と黒斗君のお母さんには何の責任はない。けれど、それをわかっていても、納得できない私は弱い人間だ。私は、見たくないものから目を背けるために、引っ越しすることを決めた。黒斗君達には悪いが、事故を起こした人間の家族とは出来れば会いたくない。そう思ってる」


 そういわれてもしょうがない。そう思っても、思っていたよりも、ショックを受けた。


「そう、ですよね」

「でも、帆乃香が黒斗君のことが好きなのはわかっている。帆乃香が本当はキミと離れたくないと思っていることも。だから、帆乃香と黒斗君が、過去を、あの子が母親の死を乗り越えて、一緒にいたいというならばそれを止めるつもりはない。それだけは、伝えておこうと思ったんだ」

「ありがとう、ございます」

「お礼を言われることではないよ。いままで、本当にありがとう。

 それと・・」


 言葉の途中でその場を離れると、和樹を乗せた車いすを押して戻って来た。

 その和樹の姿に黒斗は先ほど以上のショックを受けた。

 和樹の姿を見るのも、事故直後の病院以来だった。

 和樹は、イタズラ好きなお調子者で、人懐っこい、明るい子供だった。

 けれど、今の和樹に、その面影はない。

 和樹の未来を黒斗の父親は奪ったのだ。

 今の和樹は、ただ、死んだような目で黒斗のことをじっと見つめていた。 


「和樹。黒斗君に言いたいことがあるんだろ?」


 父親が、促しても和樹は、何も言わなかった。

 ただ、ずっと、黙っていた。その姿が、静かに黒斗の方をみている。


「クロにぃ」


 ただ、そう呟くと、和樹は再び口を閉じた。


「和樹・・」


 黒斗は、ただ、審判を待つように和樹の前に立ち尽くしていた。


「クロにぃ。俺は、母さんを殺したおじさんを絶対に許さない。クロにぃにもおばさんにも二度と合いたくない」


 和樹は、それだけの言葉を発するのが精一杯のようで、もう何も言わずに、目を閉じていた。

 和樹の様子を見て、おじさんは首を振った。

 

「黒斗君。さよなら」


 そういっておじさんは、車いすを押して帰って行く。


「和樹。ごめん。許して欲しいなんて言えない。それでも俺は、いつか必ず、和樹に会いにいくよ」


 黒斗はその背中に声をかける。

 黒斗の言葉が和樹に届いたのかは、黒斗には分からない。それでも、黒斗の決意は変わらない。いつか、帆乃香と再び合うために、黒斗は自分に出来る事をする。

 黒斗が思い描く、帆乃香との幸せな未来のためには、和樹も傍にいないといけない。だから、黒斗は、和樹ともしっかりと向き合えるような人間にならないといけない。

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