第14話 エルザス王国王都モゼール⑤


 少年の手を引いて逃げつつ、イアルはこれからどうするかを考える。

 イアルはスラム街に土地勘がない。

 間違いなく、追いかけてくる男達の方が有利だ。

 以前、モゼールにきてしばらくした頃、一度来たときは、迷いながら、昔聞いた話を頼りに、手探りで進んで、目的の場所、エデン王国が使用していた隠れ家にたどり着けた。

 その隠れ家までの道ならば、覚えているが、そうすると、その隠れ家は2度と使えなくなるかもしれない。イアルの都合で、滅んだとはいえ、国の拠点を潰すのは抵抗がある。

 そもそも、その隠れ家が今どうなっているのかも分からないし、今も使える状況なのか分からない。


「このクソガキ、待ちやがれ」

「スラム街の中で追いつめる」

「1人先回りして挟み込め」

「その生意気なガキ殺して、もう一人のガキを早く捕まえろ」

「ガキ1人攫う依頼なんかすぐに終わらせるぞ。ヘマをしたら俺たちが殺される」


 後ろでは、リーダーとおぼしき、イアルにぶつかられた男が指示を出して、追いかけてくる。

 イアルは、男たちに少し視線をやり、すぐに視線を前に戻す。

 

(後ろから追いかけてくるのが2人。1人見えなくなった。さっき不意打ちで倒した男も追いかけてきてる。もし、見えなくなった男が、前に回り込んでいたら、このまま逃げ切るのは難しいな。どうすべきか‥)

 

 これからどうしたらいいか、この追いかけっこの決着のつけ方を考えてみるが、走っている今のままだとうまく考えがまとまらない。

 追いかけてくる男は、依頼と言っていた。

 つまり、これは、計画された誘拐。

 裕福な子供が一人でいたから攫ったのではなく、明確に、少年が狙われていたことになる。


 繋いだ手の先にいるのは、手を引かれ、しんどそうに息を荒くしながらも、精一杯走っていることが分かる、10歳ぐらい少年。

 彼を狙って、スラムのごろつきに誘拐を依頼した誰かがいる。


 彼も、追いかけてくる奴らの狙いが自分あることはわかっているのだろう。

 必死に走ってくれていることから、今の状況もしっかりと理解しているのだとわかる。

 けれど、こんなにふうに誰かに追いかけられて、必死に走ったりすることはこれまで無かったのだろう。

 走りにくそうな立派な服を着ていることも合わせて、手を引いて逃げ始めてあまり経っていないが、もうすでに限界が近そうだ。


 しばらくこの付近で逃げ周ることが出来れば、恐らく事情を分かっているアイラが、助けを呼んでくれるので、助けてもらえる可能性はある。しかし、少年の様子をみると、それまで耐えて走り回るのは無理だろう。

 

「大丈夫?まだ走れる?」

「はぁ、はぁ。はい。だ、大丈夫です。

 あっ、あの。でも、どこまで逃げれば」

「とりあえず、このスラム街から抜け出さないと、あの人たちからは逃げられない」 


 彼が身分が高い貴族の子供であることは間違いない。

 エモット伯爵やルーカスが出掛ける時に着ているような、綺麗な服を着ている。スラム街でこんな立派な服を着ている人は普通いない。平民とは、縁がないような服だ。この国で貴族が街に出る時に着るような服なのだろう。

 

 彼が一人で街にきて、ティエント商会に来た理由も気にはなる。何か事情がなければ、来ないはずだ。

 本当なら、助けるためにもまずは、彼が何者かを知る必要があるが、その余裕がない。


 どうするか考えながら走っているうちに、男達がすぐ後ろまで、迫ってきている。もうすぐ、追いつかれる。

 回りこんだ男がどこにいるのかは分からないが、イアルはようやく覚悟を決める。


 走る速度を緩める。

 少年がそれに気づいたのか、不安そうにイアルを見上げるので、安心させるように頷くと少年は安心したのか、足が止まってしまう。

 結果、イアルも足を止めることになり、正面から2人と向き合う形になってしまう。


 一人は不意打ちで倒してしまいたかったイアルとしては予定外だが、仕方ないとすぐに切り替える。後ろに、回り込まれていないことを確認し、剣を抜き、少年を後ろに隠すようにして、前に出る。


「もう、追いかけっこは終わりか」


 相手側もリーダーとおぼしき男がにやにやと笑いながら剣を持って前に出てきた。

 もう一人は、戦う気がないのか、後ろの方で、何も構えずに立っている。

 油断してくれるのならイアルとしては助かる。

 剣を抜いたイアルと男が向かい合うと、それを、スラム街の人達は、遠巻きに囲みながら、見学している。

 彼らにとっては、剣を使った殺し合いも、娯楽の一つに過ぎない。


「なんで、この子を追いかけてるんですか?」

「さあな。俺たちは、ただ依頼されたことをするだけだ。事情なんか何も知らねぇ」


 あっさりと答えてくれる。

 この男に裏はなさそうだと感じる。


「誰からの依頼で?」

「依頼主については何も言わねぇよ。まあ、そいつを攫うだけで、金貨50枚だ。そいつの親はよっぽど恨みを買うようなことをしたんだろうよ」

「・・」

「お前が、なんでそのガキを助けたのか知らねえが、今、そいつを差し出せば、命だけは、助けてやる。さっき、ぶつかってきた分、一発は殴るがな」

「・・差し出さなければ?」

「殺してやるよ。ここは、ゴミの掃き溜めのスラム街だ。転がってる死体が一つ増えたところで、誰も気にしねぇ。数日もすれば、骨まで綺麗に無くなるしな」

「そうです、か」


 その言葉とともに、イアルが接近し、剣を振ると男はなんとか剣で受けとめる。

 その一太刀で、イアルは、少なくとも、速さは自分の方が上だと分かった。


「な・・」


 まだ、子供だとイアルのことを舐めていた男は、驚きの声を上げる。イアルは、構わずに追撃をしていく。

 イアルが剣を振るたびに、小さな傷を与える。

 幾度目かのかすり傷を与えた時、相手がよろめいたところに更に追撃をしようとしたイアルだが、もう一人の男が慌てたように近づいてきたので、少年のところまで下がる。


「あ、あの。大丈夫ですか?」


 少年は気が気で無いように近くまで来たイアルに話しかける。


「ああ。大丈夫。それより、頼みたいことがあるんだけど良いかな」


 イアルも、相手からは目を離すことをせずに、答える。


「なんですか?」

「後ろを見ていて、あいつらの味方かもしれないと思った男が見えたら、声をかけて欲しい。出来る?」

「は、はい。任せてください」

「間違っていても良いから、少しでも怪しいと思ったら、すぐに声を出して」

「分かりました」


 少年は、イアルの頼み事をされると、すぐに、後ろを向いてじっと監視を始める。

 その素直に言うこうことを聞いて、気負った様子を微笑ましく感じながら、イアルは、再び男達と向き合う。


「大丈夫ですか」

「ああ。油断した。おい、時間を稼げ。俺が一気にケリを付ける」

「分かりました」


 相手側は、今度は、手下とおぼしき男が前に出てきて、もう一人は、後ろに下がった。

 それで、相手が魔法を使うつもりと分かったイアルは、その前に決着つけるために、今度も先に仕掛ける。

 今度の相手は、イアルのスピードについていくことが出来ずに、1撃目で簡単に体勢を崩し、2撃目で手首を切ると、剣を落とす。


「なっ・・・

 い、痛てぇ」


 剣を握っていた右手を左手で押さえて、しゃがみこみながらそれでも睨んできる相手を無視して、後ろの男に切り掛かるイアルだが、男は一足先に魔力を練り終わり、魔法を唱える。


肉体強化フィジカルブースト


 男に身体が一瞬光に包まれると、切りかかってきたイアルの剣を簡単に防ぐ。

 先ほどは、イアルの速度に付いてこれなかった男だが、今度は、問題なく付いてくる。魔法で強化されたその身体能力はイアルを圧倒的に上回っており、攻守はすぐに逆転し、イアルが次々に繰り出される男の攻撃をなんとか防いでいた。

 それでも、最強の軍事国家、エデン王国で精鋭の戦士から戦いの基礎を学んだイアルからすれば、街のごろつきが相手だ。相手に隙はある。

 相手が肉体強化されても、それは絶望的な差ではなく、自分よりも多少強い程度であれば、勝機は見いだせる。相手の剣を防ぎながら、その糸口を探る。

 そして、わざと隙を作り、反撃に出ようとするイアル。

 しかし


「う、後ろから、男が来てます」


 少年の言葉に、反撃しようとしたのを辞める。つばぜり合いをしながら、目を向けると、人垣の中から、男が一人駆け寄ってくるのが見えた。

 だいぶ、先まで回り込んでいたのか、息を切らしているが、間もなく着く。


「どうする?また2対1になったぞ」


 男が楽しそうにイアルに話しかける。


「そうですね。また、追いかけっこがしたくなりました、よ」


 イアルは、そう返し、男を押し返して、背を向けて少年に駆け寄ろうとする。

 男は、好機と見て、後ろから切り掛かるが、その剣は、イアルの上着だけを切る。その間に、イアルは、男の懐に潜り込んで、剣の柄で、鳩尾を殴る。


「ぐはっ・・」


 男は、膝を付いたところを、頭を鞘で殴り意識を刈りとった。

 

 周りにいる、観客達から、どよめきのような声が上がる。 


 イアルは、その歓声を無視して、男の意識がなくなったことを確認し、少年の元に駆け寄る。

 ほぼ、同時に、3人目の男が目の前に来て向き合う。


 その男は、仲間の2人が既にやられていることを見ると、険しい顔で立ち止まる。


「ご覧の通りです。諦めてくれませんか」

「お前が一人でやったのか?」

「ええ」


 イアルの言葉に男の顔が苦渋の顔になる。


「護衛がいるなんて聞いてねえぞ。くそ。

 しかも、お前・・」


 男が怪訝そうにイアルを見ている。

 その視線は、首元に向けられている。

 それで、イアルも気がついた。


 イアルは、自分の首元に、手をやる。先ほどの男との戦いので、上着を切られた。そのため、首元が出ていた。そして、イアルの首には、奴隷であることを示す首輪が嵌められている。

 

 イアルは、先ほどのどよめきが起こった本当の理由に気がついた。

 観客は、まだ子供のイアルが男に勝ったことではなく、奴隷の首輪をした子供が、スラム街で暴れたことに対して、驚いていたのだ。


 人を奴隷として飼うことは、表面上はエルザス王国は禁止している。 

 なので、イアルは、自分がエモット家の奴隷であることが主家の許可無しにバレるわけにはいかない。

 これで、アイラが連れてくる、兵士達に、姿を見られるわけにはいかなくなってしまった。


「おまえの飼い主は誰だ」

「誰の命令でそのガキを助けてる」

「他に仲間はいるのか」


 イアルに対して、矢継ぎ早に質問が飛んでくる。

 奴隷であるイアルがここにいるのは誰かの指示だと考えている。

 つまり、自分たちの行動はバレていて、イアル以外にも、実は、護衛がいるのではないかと男は疑っていた。


「飼い主のことなんて言えるわけ無いでしょ。ただ、時間稼ぎは、十分出来ましたよ」


 イアルが、男の勘違いをそのままにして、返事をすると、男は時間が無いと判断したのか、すぐに切り掛かってきた。


 しかし、その剣は、先ほどの男と比べると、遅い。

 イアルが、剣で受け流すと、前のめりに体勢を崩した男は、イアルに背を見せる形になる。


「てめ・・」


 男が慌てて、すぐに振り返ろうとしたところで、正面から、イアルが斬りつける。

 浅く切ったため、命に別状は無いが、男は切られたショックで意識を失ってしまう。


「ふぅー」


 イアルは、久しぶりの戦いが、無事に終わったことで安堵の息をつく。

 少年の方を向こうとすると、少年の方から、駆け寄ってきた。


「すごいです。凄いかっこ良かったです、お兄さん」

「うん。男が来たこと知らせてくれてありがとう。助かったよ」

「いえ。あの、助けてもらって、本当にありがとうございます」


 少年は、イアルの首輪が持つ意味を知らないのか、純粋にお礼をする。


 周りの人間は、イアルが奴隷だと分かったことで、関わりを持たない方が良いと判断したのか、少なくなっている。


 イアルは、複雑な気持ちになりながら、これからどうするか考えようとした。


 その時、「パチパチパチ」と手を叩く音がした。

 そちらに目を向けると、一人の男が近づいてくる。


 「お見事ですね」

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