第11話 エルザス王国王都モゼール②


 自分の中にある黒斗の記憶について、思いを巡らせながらも、モゼールよりもはるかに人の多い街を歩いた記憶があるイアルは、明日開かれるエルザス王国の建国祭のため、いつもよりも人が多い街中でも、誰かにぶつかることも、立ち止まることもなく迷わずに歩いていく。


「いつもそうだけど、イアルの後ろを歩いていると、人とぶつからないから楽ね」

「そうですか?」

「ええ。他の人と一緒に歩いていると、立ち止まったりぶつかりそうになったり`して大変だから」

「アイラ様が、伯爵家の御令嬢として、街に出れば皆、道を譲るので、そんな苦労はありませんよ?」

「それだと、街をゆっくリ歩けないじゃない」

「そうですが、貴族としてはそれが正しいのでは?」

「もう。イアルまで、ルーカスみたいなこと言わないでよ。私は街でのんびりと買い物を楽しみたいの」


 そう言うアイラの格好は、フードをかぶり、銀色の髪を隠している。その服装から身分が高い物だと言うことはすぐに分かるが、モゼールにはアイラと同じように、フードで、髪や顔を隠している人もいるのでその格好を気にする人はいない。貴族の娘が街に出るときの基本的な格好だ。

 一方で、イアルは、どこにでも売っている、平民の服装だ。ただ、首元だけは、首輪を見られないように、隠している。

 アイラとイアルは、2人でのんびりと王都、モゼールの中央通りに向けて連れ立って歩いていく。


「イアルは、モゼールの道は全部頭に入ってるの?」

「そうですね。脇道も含めて、だいたい頭に入ってます」

「すごいわね。イアル、あんまり街に出てないでしょ?」

「はい。私が街に出られるのはアイラ様のお供をする時と、大きな荷物を購入された時ぐらいですから。今日の外出も、だいたい1ヶ月ぶりですね」

「それで、全部頭に入るのね・・。ほんと、イアルって優秀よね。私なんて、ずっとモゼールに住んでるのに、全然覚えられないのに」


 感心したように呟く、アイラだが、モゼールの町並みは、王城を中心に、円形に広がっていて、覚えるのは難しくない。


「アイラ様は覚える必要がないと思われているから頭に入らないだけですよ。もしも、覚えようとも思えば、アイラ様なら、すぐに覚えられます」

「どーせ、私は、精霊以外にろくに興味を持たない人間よ」

「そんなこと、私は言ってませんよ」


 イアルの言葉に、拗ねたような口をきく、アイラだが、その表情は楽しそうだ。

 

「いいのよ。事実だから。私は、魔法のそして、精霊の真理を解き明かしたいの」

「精霊の真理ですか?」

「ええ。精霊はもちろん、魔法にも、まだまだ、誰も知らない、気がついていない秘密があると思うの。私は、その一端でもいいから見つけたい」

「あいかわらず、アイラ様は精霊がお好きですね」

「ええ」

「でも、アイラ様は魔法使いで精霊術は使えないのに、なんでなんですか?」

「そうね。私は精霊術師になることをまだ諦めてないの」


 精霊術師は少ない。そもそもとして、精霊術を使うことが出来るのは、王族の血が流れている者だけだからだ。

 アイラのエモット伯爵家は、数代前にエルザス王家の姫を嫁に迎えているから、アイラが精霊術師になることはあり得ないことではない。


「まあ、確かに、魔法使いが精霊術師になった例は、確認されてますからね」

「そうなの。だから、私だって、修行を続ければ、精霊術師になって、精霊術を使えるようになるかもしれない。そして、この目で精霊を見ることは出来なくても、あのエデン王国のジョアン・エルドラドのように自由に空を飛べるようになりたいの・・」


 イアルは、まさかここでジョアンの名前を聞くことになるとは思っておらず息を呑む。


 イアルは、精霊が見えることも精霊術を使えることも、アイラには話をしていない。アイラは、イアルは魔法も精霊術も使えない人間だと思っている。

 そして、イアルはエデン王国で育ったということも、ジョアンに仕えていた事も秘密にしている。

 ジョアンが死んだ今、イアルが精霊を目にすることが出来るようになったことを知っている人間は誰もいない。

 神様の僕と呼ばれる精霊を自分の目で見ることが出来るの人間は、ベルフォール大陸では特別視されている。精霊術を使える人間も貴重だが、精霊が見える人はさらに希少だ。そのため各国の王族や貴族といった身分の高い人間であっても、必ず教会の保護下に入ることが暗黙のルールになっている。

 例外は、王位継承者が、その一人しかいない場合だけだ。

 しかし、過去には、その唯一の継承者が教会に行ったため、王家が途絶えた国さえある。


 だから、イアルが精霊を目視出来ることを隠していることが発覚すれば、教会に行かなければならなくなる。それは、そのまま、これからの生涯で、自由が一切なくなることを意味する。そして、イアルの過去を必ず、教会は調べる。イアルとしては絶対に避けなければならなかった。

 ましてや、生まれつきではなく、後から、精霊が見えるようになった人間は、今までに確認されていないはずだった。ジョアンが、どうやって、イアルに自分の精霊を託し、見えるようにしたのか分からないので、説明も出来ない。恐らく、王族の血が流れていない人間で精霊が見えるのはイアルが史上初だと思う。

 イアルは自分の実の親を知らないのでもしかしたら、どこかの国に王族の血が流れているかもしれないが・・


 そのため、イアルは、お世話になっているアイラにも、自分の事情については何も話せずにいた。

 奴隷の事情を知ろうとする人は少ないが、数少ない例外のアイラに出会えている幸運と隠していることの申し訳なさを感じながら、イアルはエモット家で毎日を過ごしていた。


「空を飛ぶ、ですか」

「うん。どんな景色なんだろう。いつか見れる日が来るかしら」


 素直に憧れを語るアイラ。

 イアルは、かつて、ジョアンに抱えてもらって、空を飛んだことがある。

 確かに、すばらしい景色だった。

 しかし、ジョアンの練習に付き合って、一緒に空から堕ちて、死にかけたこともある。

 治癒の光魔法がなければ、あの時に死んでいたと、イアルは本気で思ってる。

 だから、空が少し怖い。


 しかし、イアルは、そんなことはおくびに出せない。


「いつか、精霊術師になれるといいですね」

「ええ。そのためにも、研究を成功させないといけないのよね」

「大変そうですね。でも、アイラ様なら、きっと、すばらしい成果をあげられると、俺は信じてますよ」

「イアル・・」


 今のイアルはアイラの研究を助けることは出来ない。ただ、応援することしか出来ない。

 無責任かもしれないし、精霊について隠し事をしている、イアルに資格はない。それでも、アイラには、自分の望みを叶えて欲しいと本気でイアルは思っている。


「そうね。頑張らないと。私に残された時間は短いし」


 それまで笑顔だったアイラの表情が少し曇る。


「そうなんですか?」


 アイラは、まだ若い。天才魔法使いとして、王立魔法学園で働くことが許されている。

 まだまだ、時間はありそうだが・・


 そこで、イアルはようやく気がついた。

 アイラは、貴族の令嬢。そして、貴族は20歳を超えたら生き遅れとみなされるのがこの世界だ。

 今のアイラが17歳。結婚をしてもおかしくない年だ。

 アイラの、そして、エモット家の事情をイアルは知らないが、相手によっては研究を続けるのは難しいだろう。たしかに、自由な時間は少ないのかもしれない。当主であるゼーレンは、アイラのことを溺愛していると言っていいので本人が望まない結婚はさせないと思うが今よりも研究を続けるのは難しくなるだろう。


「うん。それで、そのためにね・・・」


 少し暗くなったアイラだが、それをひり払うように、研究のことを話始めた。

 イアルは、アイラの研究のついて、何かを知っているわけではない。今、話している内容も、ほとんど、理解出来ていない。

 ただ、研究の話をしているアイラは嬉しそうだった。イアルには、それだけでよかった。


 ただ、今イアル達がいるのは王都の街の中だ。

 そして、アイラは、研究の話に熱中して、立ち止まってしまった。

 このままだと、買い物が出来ない。イアルは、それでも何の問題もないが、アイラが困ることになる。アイラは、普段から忙しく、今日のように街に出られる休みの日は少ない。

 それに、このまま道の途中で話をしていると、通行の邪魔になる。


「アイラ様」

「どうしたの、イアル?」

「研究についての話もうかがいたいですが、今は、先に買い物に行きましょう」

「あ、そうね。ごめんなさい。思はず・・」

「いえ。ですが、相変わらずですね。」

「ごめんなさい」


 研究の話をすると、時間を忘れて過ごしてしまう癖をアイラは自覚している。それでも、熱中してスイッチが入ると止まれないのだ。

 そこは、ジョアンも一緒だった。

 そんなことも思い出し、イアルは懐かしくなる。


「そうよね、今日は研究のために買い物に来たんだもの」


 アイラは、今日の目的を思い出してくれたようだった。


「アイラ様。今日はどこのお店に行くんですか?いつものお店ですか?」

「いえ、今日はティエント商会のお店に行くわ」

「ティエント商会?」


 今日の本題に戻り、ようやく、目的地を聞いたイアルだが、帰ってきたのは、初めて聞く商会の名前だ。

 イアルはこれまで、よく行くお店にいく前提で、アイラの前を先導していたが、その商会の場所は知らない。


「聞いたことがないお店ですね。最近出来た店ですか?」

「商会自体はずっと、昔からあったみたい。でも、数代前の商会主が、事業に失敗して、モゼールのお店は、その時に、放棄されていたらしいわ。それが、今の代表に変わって、ここ、2、3年で急激に商売に成功して、少し前にモゼールにも、支店を出したらしいの。そのお店が、品揃えがいいって話を、生徒から聞いてね、私も行ってみたいと思ったの」


 商会としてはよくある話だ。商人は一代で成り上がることも出来るが、簡単に没落することがある。その新しい代表は優秀なのだろう。


「だからってわけじゃないけど、商会の場所も、王都の中央から離れて、スラム街に近いらしいわ。王侯貴族よりも、庶民向けで、商売してるらしいの」

「それを生徒から聞いたんですか?」

「ええ。どうかした?」


 不思議そうにアイラは尋ねる。


「いや、魔法学園に通うのは、貴族様ばかりだと思っていたので。スラム街の近くにある商会を利用する生徒もいるんですね」

「それはいるわよ。それに、少ないけど、才能を認められた平民の子も通っているのよ。私にその話をしてくれたのも、平民の出の子」

「そうなんですか」


 イアルは、王立魔法学園には貴族だけが通うことが出来ると思っていた。


「まあ、通えるのは、教会から洗礼を受けた子供だけだから、結局、貴族の推薦を受けた子や商会の子供だけだけどね」

「なるほど」


 それはありそうな話だった。商会の子供が通えるのはお金や利権の関係だろう。そこは、どこの国も変わらない。


「しかし、大丈夫なんですか?」


 イアルの危惧は伝わっているのだろうが、アイラは気にしていないようだ。

 モゼールのスラム街の治安はそこまで良いとは言えない。


「大丈夫よ。今は、祭典のために、モゼールはいつも以上に警備もしっかりしてるし。それに、いざという時のために、イアルに来てもらったんだし」

「アイラ様・・」

「ね。頼りにしてるんだから。ちゃんと、私のこと、守ってね」

「はい」

「それに、いざとなれば、私も自衛ぐらいは出来るわよ」


 高位の風の魔法使いであるアイラである。魔法を発動することが出来れば、たいていの相手には、勝つことが出来るだろう。

 魔法使いの最大の問題は、発動までに時間がかかることだが、それをフォローするために、イアルが居る。街中での使用はあまり薦められないが。アイラなら完璧に操作出来るので問題はない。

 そのため、アイラが自信を持っているのも分かる。

 イアルも、よほどのことがない限り、大丈夫だとは思っている。


「でも、イアル。スラム街に行くからって、また、変なことしたらダメよ」

「変なこと、ですか?」


 言われても、思いつくことがなく首を傾げるイアル。


「ええ。前だって、商人のもめ事に頭突っ込んでたでしょ。その前なんか、冒険者と住民の喧嘩に巻き込まれて、怪我してたじゃない。イアルは、私と出かける時、いつも、トラブルに首を突っ込むんだから」

「そんなことは・・」

「イアルがしたことは正しいとは思うけど、もうすこし、状況もちゃんと考えないとダメよ」


イアルの行動は、別に何か信念があってしているわけではない。とっさに身体が動いてしまっているだけで、その結果、周りが助かっているにすぎない。


「まあ、でも、私は、そうやって、周りの困ってる人を見捨てられないイアルのこと好きよ」


 そう、まっすぐに言ってくれるアイラに対してイアルは顔をそらす。

 イアルがいらないと思っている黒斗の思考による影響を受けた行動だ。それを褒められるのは決まりが悪い。

 すると、そらした視線の先には、アイラと同じように、フードを深くかぶって、顔を隠している人が早足で歩いている人がいる。その背丈からおそらくまだ子供だろう。お忍びの貴族だろうが、周りに、護衛らしき人がまったく居ないのが少し気になった。後ろを見渡しても、追いかけてくる気配もない。


「イアル?」


 顔をそらしたまま、急に、あたりを見始めたイアルの行動にアイラはどうしたのかと顔を覗き込む。


「いえ。アイラ様にそういってもらえるて、恥ずかしかっただけです」

「そう。恥ずかしかったんだ」


 その返事に嬉しそうにしているアイラ。

 イアルの行動に不審を持つようなことはなかった。


「じゃ、行きましょうか。場所は、聞いてるから、付いてきて」

「はい」


 イアルは、先ほどの子供のことが気になりながらも、アイラに後ろについていく。

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