第5話 前世①
地球。日本。それももう何年も前の話だ。
その年は3月に、この冬最大の寒波が訪れた。
昨日から降り続けていた雪は、珍しく、都会でも積もり、めったにない積雪に子供達は喜び遊んでいた。
そんな中、バスから降りてきた少年は、後ろにいる幼馴染みの少女に向けて、手を差し出す。少女の方も差し出された手を嬉しそうに、そして、ためらいなく握った。
少年と少女はいつも通り手をつなぎながら家に向けて歩き出す。
「クロちゃん。今日は一緒にかずくんのプレゼント選んでくれてありがと」
「和樹には俺も何かあげたかったから。ほのちゃんが声かけてくれてよかったよ」
「かずくん、喜んでくれるかなぁ」
「大丈夫。和樹なら、絶対喜んでくれるよ」
「クロちゃん。うん。そうだね」
「ねえ、ほのちゃん。今日の買い物楽しかった?」
「うん。最初は電車に乗って遠くに出かけるの怖かったけど、クロちゃんが一緒に居てくれたから楽しかった」
「よかった。また、2人で出かけようね」
「うん」
そんな会話をしながら2人は、バス停から家までのそれほど長くない時間を会話だ途切れる事なく話しながらゆっくりと歩いて帰る。
少年の名は天谷黒斗。少女の名前は桑山帆乃香といった。この時、2人はともに、まだ7歳の子供だった。
そして、この日が、2人にとって、これまでと変わらない幸せな日常を過ごせた、最後の日だった。
2人には、お互いに最初に出会った頃の記憶はなかった。
2人とも、物心が付いた頃には、すでに毎日のように出会い、他の誰よりも、それこそ、両親よりも多くの時間を一緒に過ごすことがすでに当たり前になっていた。
黒斗が母親から聞いた話しでは、2人が最初に出会ったのは、お互いが、1歳になったかどうかの時で、親に連れられて、近くの病院に出かけたときだったらしい。
たまたま隣に座ったことで、まずは、お互いの母親同士が打ち解けた。
お互いに初めての子供だったこと。その子供が同じ年産まれたこと。住んでいるマンションが同じだったこと。いくつかの共通点があり、その日、2人の母親はすっかり打ち解けた。
両親が話している間、黒斗と帆乃香は、何もせずに、ただ、ぼうっと相手のことを眺めていた。
偶然か、その日から、街中や家の近所で出会う事が多くなった。いや、それまでは、お互いにすれ違っても認識していなかったのを意識するようになった。
自分では行動出来ない幼い子供が動けるのは基本的に親の行動範囲のなかだけだ。だから、親同士が出会うときはその子供も一緒に出会う機会は多くなる。
必然、黒斗と帆乃香が出会うこも多くなった。
不思議な事に、黒斗は、帆乃香の傍だと、帆乃香も黒斗が傍にいると泣くこともなく大人しかった。
そのため、お互いの両親は2人をできるだけ一緒にいさせようと話し合った。
だから、2人は赤ん坊のころからずっと、一緒に育ち、それは物心がついてからも変わらなかった。
親同士が仲良くなり、そのおかげで子供同士もより仲良くなった。
それまでは、出会ったら話しをする程度の関係だったのが、約束をして出会うようになった。そうなると、子供たちがさらに大きくなってくると、お互いの家族を連れて一緒に出かけるような、家族ぐるみの付き合いになっていくのも当然だった。
家族同士の交流は、それから先の両家のありようも変えた。
帆乃香の母は、2人目の子供を産んでしばらくすると、専業主婦の黒斗の母に子供たちの世話を任せて再び働きに出た。
黒斗の父は、息子を妻と、桑山家の両親に任せ、長期間、家を空けることが多くなった。
そんななか、黒斗は母親に見守られながら、帆乃香とその弟の和樹と3人で過ごす日が多かった。
そんな物心つく前からの続く2人の関係はまさに、幼馴染みという言葉がふさわしかった。
黒斗は帆乃香の横が自分の居場所だと思っていたし、帆乃香もそう思ってくれていると感じていた。この時の黒斗は帆乃香のことを好きだとは特に思っていなかった。好きという言葉を知るずっと前から、自分の隣に帆乃香がいることを当たり前に感じていたし、それは帆乃香にしても、同様だった。そして、そんな2人の関係が一生続いていくと信じて疑っていなかった。
小学校に通うようになる前から、親と一緒ではなくても、黒斗と帆乃香は2人でも出かけるようになった。それぞれに、他の友人が出来ても、お互いがお互いにとって特別な存在あることにまったく疑問を持ってなかった。
そして今日は、3歳年下の帆乃香の弟、和樹が来月から、黒斗たちが通っていた幼稚園に通うことになるため、何かプレゼントをあげたいと考え2人で出かける約束をしていた。
これまで黒斗と帆乃香の2人が、あるいは、和樹を入れた3人が遊びに出かけるのは、ほとんどがマンションからあまり離れていない公園などだった。
しかし、今日はバスと電車に乗っていつもよりも遠い場所に買い物に出かける事を決めていた。4月には小学2年生にあがる2人にとって、2人だけで、電車に乗って出かけると言うのは、ワクワクする小さな冒険だった。
いままで、電車に乗るときにはたいていは黒斗の母親が一緒だったし、それ以外でも、誰か大人が一緒についてきてくれていた。子供だけで切符を買って、公共交通機関に乗るのは初めてだったため、黒斗も最初は不安もあった。けれど、帆乃香と2人で出かけていると、そんな不安よりも、一緒に出かけられる楽しさが勝った。
そして、無事に和樹への買い物をして帰ってくることが出来た。
・・・・・・
買い物から帰ってきた黒斗たち2人はまず、和樹へのプレゼントを置くために黒斗の家に一緒に入る。プレゼントは和樹へのサプライズにしたかったので、帆乃香の家には、持っていかなかった。すると、2人を待っていたのは、顔を真っ青にして、落ち着かない様子で、立ったり座ったりをしている黒斗の母親だった。
母親は、ずっと黒斗たちを待っていたのか、2人が帰ってきたとわかるとすぐに、手をつかんでまた、外に連れ出そうとする。
「帆乃香ちゃん。それから黒斗も帰ってきたのね。そのまますぐに出かけるから、付いてきて」
「母さん?」
「なにかあったんですか?」
いつもはどちらかというとのんびりとしている母親の初めて見る怖い顔に、黒斗と帆乃香は、不思議に思いながらも、今日買ってきた荷物を部屋に下ろして、後ろに付いていく。
マンションの外に出ると、2人が帰ってきたときにもいたタクシーに母親は迷わず助手席に乗り込んだ。
そして、黒斗達にも早く後ろに乗るように急かした。
黒斗たちが後部座席に乗ったことを確認すると、運転手は行き先をあらかじめ告げてられていたのか、タクシーはすぐに動き出した。
タクシーに乗ってからも母親は、何も話してをせず、黒斗たちが帰ってきた時からずっと同じ青い顔をして、ただじっと前だけを見ていた。
帆乃香は、その様子を不安そうに見ているが、声をかけていいのか分からないようだった。いつもは、やさしく、話しやすいのに、今日の初めてみる姿に戸惑っていることが分かった。
結局、話かける事が出来ず、帆乃香は黒斗の方に、「どうしよう」と言うように困った視線を向けてくる。
ただ、それは、黒斗も同じだった。
黒斗も、どうしたのか、何があったのか、このタクシーはどこに向かっているのかを聞きたいことはたくさん思い浮かんだ。だが、後ろから見える母親の横顔に聞くことをためらってしまう。そして、結局、黒斗も帆乃香と同じように、話しかけることが出来ず、帆乃香に首を小さく横に振る。
それでも、黒斗は手を伸ばして帆乃香の手を握る。帆乃香も小さく握り返す。たった、それだけのことでも、黒斗たち2人は車の中の重苦しい空気が少し軽くなった気になった。
それからも、タクシーの中には会話がないまま、ただ、走るのに合わせて周りの風景だけが変わっていった。
しかし、順調に流れていたタクシーも、渋滞に捕まり、完全に停まってしまう。
「病院まで、後どれくらいかかりそうですか?」
「そうですねぇ〜。渋滞がしばらく続きそうなので、後30分ぐらいかかるかもしれませんね」
「そんな・・」
「今日は雪の影響もありますからね」
「ここから、歩いたらどれくらいか分かりますか?」
「降りて歩かれるよりは、こちらの方が早いと思いますよ」
「そう、ですか」
まったく進まなくなったことに我慢できなくなったのか母親が運転手にどれくらいかかるのか時間を聞いているが、返事は芳しくない。こんないらだっている母親の姿を黒斗は初めて見た。だが、それよりも気になったことがある。
「病院?」
小さな声で、帆乃香がつぶやくと、母親はしまったという顔をする。
黒斗と帆乃香は、一度、顔を合わせてから、揃って助手席に座る母親を見る。その様子に、観念したのか、ようやく2人がずっと疑問に思っていた事に答えた。
「帆乃香ちゃん。黒斗。
あのね、落ち着いて聞いてね」
「わかった」
「はい」
「2時間ぐらい前にマンションの近くで事故があったの。横断歩道を歩いてた親子と車が接触する交通事故」
「・・・」
「まさか」
ここまでの言葉からイヤな予想が出来てしまい、黒斗は言葉に詰まる。
帆乃香も、黒斗と同じような悪い返事を予想をしたのだろう顔に手をあてている。けれど、母親が続けた言葉は黒斗の予想を超えて最悪なものだった。
「車にはねられたのが帆乃香ちゃんのお母さんと和樹くん。それで、ね。信号無視をして、2人をはねた車を運転していたのがお父さん。私の夫」
「えっ・・」
「っ・・・」
「今は、3人が運ばれた病院にむかってるわ。帆乃香ちゃんのお父さんも向かっているから、もう病院に着いてると思う」
何も言葉が出てこなかった。どうしたらいいのか分からなかった。
けれど、それ以上に黒斗は横に座る帆乃香のことが気になった。
黒斗は、帆乃香の方を向こうとした。なのに、まるで自分の身体が機械になったようにゆっくりとしか動かせない。それでも、なんとか顔を横に向ける。そこには、これまで見たことがない顔をした帆乃香がいた。
その表情には何も浮かんでいなかった。
悲しさも寂しさも、苛立ちも何を感じているのかまったく分からなかった。
帆乃香はもともとそれほど気持ちが顔に出る方ではない。けれど、黒斗は、黒斗だけは表情だけで帆乃香が今どんな気持ちなのかを良く理解できていた。帆乃香の両親でも分からないときも黒斗だけは分かった。それは、黒斗にとって帆乃香との特別な絆だった。
けれど、今の帆乃香の表情からは、黒斗もどんな気持ちなのか分からなかった。
ただ、黒斗の視線に気づくと帆乃香はおずおずと手を伸ばし、黒斗の手を両手でつかんだ。
それからはタクシーの中で、誰も言葉を話すことはなかった。
渋滞の中、少しずつ進んでいく、タクシーの中で、黒斗はただ、帆乃香の手をつかんでいることしか出来なかった。
黒斗と帆乃香はずっと、その手をつないでいた。
病院に着いてからのことはほとんど覚えていない。
ただ、その日から黒斗の生活はこれまでからすべて変わった。
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