第12話 エルザス王国王都モゼール③


 ティエント商会までの道が分からないため、イアルは、周りに目を配りながら、アイラの後ろ歩いていく。

 モゼールの道を覚えていないと言っていたアイラだが、その足取りに迷いはない。


「イアルはスラム街にも行ったことあるの?」

「1回だけですけどありますよ。アイラ様は、ないですよね」

「お父様が絶対に近づくなって」


 アイラの父は、娘のことをとても大事にしている。その娘をスラム街に近づけないようにしているのは簡単に想像出来る。


「だから、全然知らないの。興味はあるんだけどね。後で行ってみようかしら」

「ダメです」

「ダメ?」

「はい。アイラ様のような貴族が入るべきところじゃありませんし、入るなら、それなりの用意がいりますよ」

「そう。それじゃあ、またの機会ね」


 スラム街は、決して自分から入りたいモノではないし、近づかないですむなら、近づかない方が良い場所だ。

 興味本位で近づくべき場所でもない。


「まあ、どうしてもというなら、お父君に相談してください」

「許可してくれるわけないじゃない。あの父様が」

「なら、諦めてください。それに、アイラ様が、スラム街に行くと、迷子になって帰って来れないですよ」

「そう?」

「はい。スラム街は、道が入り組んでますからね、一度道を外れると、自分がどこに居るのかが分からなくなるんです」

「それは・・」

「俺も、スラム街のとある場所までの往復の道しか知りません。寄り道をしたら、帰るのにどれだけかかるのかも、そもそも帰れるかも分からないですね」

「イアルがそうなら、私は無理かしら・・」

「そう思いますよ」


 アイラにも、イアルの思いが伝わったのか諦めてくれたようだった。もしも、貴族のアイラが何の準備もなしにスラム街に行ったら、そこの住民にとって格好の的になるだろう。イアルとしても、アイラがそんな被害に遭うことは避けたい。


 それから、とりとめのない話をしていると、イアルの視界に、大きな建物が見えた。

 貴族街ではよくある大きさの建物だが、今イアル達が居るのは、モゼールの中心から離れた、主に平民が暮らす地区だ。ここで、あの大きさの建物は珍しい。

 それが、今日の目的地、ティエント商会の建物らしい。


 しかし、間近でみると、大きさ以上に驚いたことに、その建物の一部は、スラム街に立っている。

 もちろん、スラム街という正式な呼び方があるわけではないが、それ以外の地区との違いは建物や道路を見ただけではっきりと分かる。

 そして、スラム街に住む人は他の地区よりも劣った生活を強いられているため、他の地区に住む人間への反発も相応に強い。その反発の対象の中には当然、接している平民街も含まれる。

 にもかかわらず、ティエント商会の建物は、平然と、スラム街と平民街に跨がって建っている。他に、そんな建物はない。

 また、建物の外見も、この地区に似合わないほど綺麗にされている。あきらかに、周りにある建物とは大きさも、綺麗さも全てが違う。

 そのため周囲からは完全に浮いている。

 それでも、その建物には、今も、途切れることなく多くの人が出入りしているのが分かる。建物の周りにも人が大勢いる。

 ティエント商会は、スラム街の人にも、それ以外の平民にも受け入れられている。これは驚くべき、そして凄いことだとイアルは思う。

 普通は、こんな場所に立派な建物を建てたら、すぐに、スラム街の住人に、壊されたり、占拠されたりしそうだし、されなかったとしても、普通の人は寄り付かないだろう。

 入り口には、警備と思われる大柄な男が完全武装で数人立っているが、それだけで、全てをまかなえるとは思えない。何か、うまくやっていくいるのだろが、今のイアルには、想像もつかない。


「人がいっぱい入ってる。繁盛してるのね」

「そう、ですね」


 アイラも、次々と入っていく、人の多さに驚いているようだ。

 しかし、建物の大きさや立地位置については特に気にしていないようだ。


「それで、あそこから奥が、スラム街?」


 アイラは悪気なく言っているのだろうが、その言葉が聞こえたと思わしき人がこちらを見ている。

 イアルはその視線を主とアイラとの間に入る。

 住民からしたら自分が生活している場所をスラム街のと言われたら腹が立つだろう。

 幸い、その視線にアイラは気がつかなかったようだ。


「それじゃ、私たちも行きましょうか」

「はい。ですが、アイラ様、気をつけてくださいね」

「何に?」

「あまり、治安がよさそうではないですよ」


 そういってイアル向けた視線の先に居るのは、明らかに堅気ではない人たち。彼らも、当たり前のようにティエント商会に出入りをしているし、その周りを歩いている。何か問題行動をしているわけではないので、それを止めることは当然出来ない。イアルに出来るのは警戒を怠らないことだけだ。


「・・そうね。ゆっくり見て回りたい気もするけど、今日は目当ての物を探して、他のお店でゆっくりしましょう」

「それが良いと思います」


 イアルとアイラは入り口の男達に見られながら扉をくぐり、中に入る。フードをかぶったままのアイラが何も言わなれなかったことに安心しつつ、持ち物の確認などもせずに素通りであることに不安も覚える。


 建物の中は、綺麗に整えられていた外見とは異なり、雑多だった。いろいろなモノが場所を問わずに置かれている。モノの溢れている。

 アイラは、物珍しそうに周りを見ているが、イアルはまったく別の物をみていた。

 そこに、置かれている物は、珍しい物もあるが、イアルが見ているのは商品ではない。

 商品に書かれている書かれている文字だ。見たことがない文字だ。

 いや、違う。

 イアルは見たことがある。見た記憶がある。

 書かれているのは数字。地球、日本では、誰でも使えるアラビア数字。

 けれど、この世界で見たことは一度も見なかった文字。

 0、1、2、3、4、5、6・・・


 ティエント商会の置かれている商品には、地球で黒斗が使っていた数字が刻まれている。

 予感はあった。


 曽我黒斗が地球で死んだとき、その場には、他に4人がいた。

 黒斗と同じように呼び出された3人と呼び出した1人。

 黒斗の記憶がイアルの中にあるように、その他の4人の記憶も、この世界の誰かの中に流れていてもおかしくない。理屈はまったく分かっていないが、既に、イアルと黒斗という、例がある以上、他にも同じ人がいないとは決して言えない。

 黒斗は詳しくないが、そういった設定の本やアニメがあったことは知っていた。

 もちろん、その4人の誰かではなく、黒斗がまったく知らない人が地球から来ている可能性も、地球から来た人ではなく、この世界の人が編み出した物だという可能性もないわけではない。

 そもそも、この世界の文字は、地球で言うローマ字に似ているとはこの5年思っていたことだった。

 

 そして、今日のこの数字は、今までで、一番イアルに、黒斗の世界を感じさせるものだ。

 ティエント商会を立て直したという、今の代表か、それに近い地位の人間に接触することが出来れば、何か分かる可能性はある。

 それが、美咲を含めた顔見知りの誰かなら、黒斗の記憶を通してイアルが知らない情報を手に入れることだって出来る可能性がある。

 これまでにも、自分以外に、記憶を持っている人がいるのではないかと疑ったことはあった。


 けれど、イアルは、行動を起こそうとしなかった。

 起こせなかった。

 怖かったから。

 もしも、曽我黒斗のことを知っている人間に出会ったら、イアルという自分が否定されるのではないかと思った。

 イアルとして、ジョアン達と生活したエデン王国での日々が消えてなくなり、自分が、曽我黒斗になるような気がしたから。


「・・アル、イアル?」

「え・・」

「イアル、どうかしたの?」


 長い間、考え込んでしまっていたらしい。心配そうに、アイラがしている。


「いえ、申し訳ありません。いろいろと物があって圧倒されてました」

「・・そう。なんだか今日はぼんやりしてるわね」

「そうですか?」

「ええ」


 アイラの護衛として来ているのに、これではダメだ。


「すいません。もう大丈夫です」

「・・ならいいけど」


 それから、イアルとアイラは、商会の中をいろいろと見て回った。

 中には老若男女問わず、多くの客がいる。アイラのように、顔を隠している、身分が高い貴族と思われる人も少ないがいた。近くの人だろう平民や何かの職人と思える人も大勢いる。そして、スラム街に住んでいるだろう、襤褸を着ている人もいる。身分も立場も関係なく、多くの人から受け入れられていることが分かる。

 また、置かれている品々も多い。エルザス王国では取り扱っていない物も多くあり、確かに、貴族街から遠い、この店に来たかいはある。

 アイラも嬉しそうに、物色をしている。


 そんななか、イアルは周りも見ながらも気になっているのが、今、受付にいる少年だった。

 おそらく、先ほど、ここにくるまでに見た子供だ。

 今も、フードで顔を隠していて、背中しか見ることも出来ないが、恐らく間違いないだろう。

 何か目当ての物を探しているのか、受付でしばらく話し込んでいる。それは、問題ではない。

 アイラのように、貴族の子供がお忍びで来ているのは珍しいことではない。  が、そこに、護衛と思われる人間が誰もいないとなると話は変わる。背丈から見ても、まだまだ小さい。何か、事情がない限り、一人でくるようなことはないだろう。

 そして、周りに護衛がいないにも関わらず、彼を見る視線が多いことが気になっていた。最初は、護衛が離れて見守っているのかと思っていたイアルだが、しばらく見て、違うと気がついた。

 彼を見ているのは、恐らく、スラム街の住人達だ。そして、それは護衛ではなく、監視の目だ。


「イアル、あの子がどうかしたの?」


 アイラも、イアルがその少年を見ていることに気づいて声をかける。


「いや、まだ、小さい子供なのに、護衛も無しで、ここまできたのかな、と」

「うーん。多分、どこかの貴族の子だと思うけど、一人ってのは珍しいわね」

「はい」

「でも、揉めたりしてるわけじゃないし、お忍びの人に不用意に話しかけたり出来ないわ。私たちも買い物を済ませましょう」

「わかりました」


 その子供をずっと見ていることも出来ないので、イアル達は買い物に戻る。

 アイラの目当ての物も手に入れることが出来、これまで、モゼールでは手に入れることが難しいと思っていた材料も、取り寄せを頼むことが出来た。

 初めて来たティエント商会での買い物に満足し、トラブルに巻き込まれることなく、イアルとアイラは店を出た。

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